夜、東京の弟に電話した。
そして意外な事を聞き、驚いた。
「今日、⚪︎⚪︎ちゃん(妹の名前)が青梅マラソンに、出てね。あまり自信はなかったけど、完走して、しかも余裕の走りだった。
来年も出場するみたい。今年はその布石にしたかったらしい。」
青梅マラソン。すっかり忘れていた。
今年、三年振りに開催されたとのこと。
コロナ禍以前の二年前から、妹とこの弟は、青梅マラソン、10キロの部に出場参加して、なかなかの成績をおさめている。
妹は、私より三つ下の今年67歳。
弟は、9歳下。
弟曰く、10キロは苦しい。
このあとは、⚪︎⚪︎ちゃんのサポートに徹する。と。
で、本日も早朝、鎌倉から急ぎ帰宅して、姉の援助をしたらしい。
それにしても…我が妹の底力。
小さい時から、私とは真逆の努力家だった。
生まれ持った才能プラス、日々の努力精進も怠らない。
勉強もスポーツも。
な〜んにも才能のない姉を、補うかのように、なんでも出来た妹であった。(ちょっと身内自慢だし、自分を卑下してるみたいでお聞き苦しいかも、だがそうではなく、いつも、姉を立ててくれる優しい妹なのです。)
今年の青梅マラソンのスターターは、高橋尚子さんだったようだが。(きちんと調べていないので違うかも🙇♀️)
思い出すのは、2004年の事。
あの年は、割と長い期間、しかも珍しく冬から早春にかけての帰省。
娘が大学の春休み、短期留学で一ヶ月家に居ないので、骨休みに帰省していた。
青梅マラソンの当日の朝、確か、まだ沿道に雪が残っていた気がする。
雨だったかもしれない、とにかく道が濡れて歩きにくかった覚えがある。
弟と二人、会場へ急いだ。
スターターの、ミスター(長嶋監督)を見るために。
途中で雨が降って来た記憶がある。傘をさして、デジカメを構える。
走者以上に、観戦者も凄かった。
人、人、人で、近くに寄るのは到底無理。
長嶋監督が車の上で、挨拶する声もあまり聞き取れなかった。
写真も、残念すぎるくらい小さく、まわりの人ばかり写っている。
それでも、ミスターが去った後、満足して帰宅して行った姉弟。
その十数年後、この弟、そして妹が、出場するなんて思いもしなかった当時であった。
ただミスターを生で見たいが為に、行った青梅マラソン。(のスタート地点。)
遠い遠い昔を、ふと思い出した。
春や号砲 青梅路駆ける 人、人
ええ!
妹さんが67歳。
三歳違いの蒲公英さんでしたか。
バレましたね。
いいか。私より若いから。(笑)
コメントありがとうございます。
そうです!
70歳です!
年齢詐称なしでやっております(笑)(笑)
りたいあまんさんが、先輩という
事も存じておりますよ。🤭
青梅マラソン、妹さん、弟さん、皆仲が良いのですね、素晴らしい事です、
これが一番・・私も親の口ぐせは「兄弟仲良うに」でした、5人兄弟兄は亡くなりましたが、
4姉妹毎日グループラインして盛り上がています。
このようなお話はほのぼのと、大好きです!
句にとても背がピンと伸びたのは、スタートの号砲はまるで春を思わせる音、近づいてくる音に
聞えました、開催されて良かったですね、今は制限なくて応援できるようになりました、
本当にその喜び・・日常が戻って来たと言う人、人、人を感じる嬉しい情景ですね。
ミスターの思い出、大切ないい思い出ですね! 私が3つ上なんですね。
嬉しい春を感じさせる句ですね!
いつも見てくださり、感謝です。
俳句は…褒められ過ぎて、照れてしまいます🤭
でも、やっぱり嬉しいので😚ありがとうございます♪
三つ年上。丑年なのですね。
私の兄と同い年です。奇遇と言いましょうか、
私も5人兄弟です。兄、私、妹、弟二人。
みくさまの、丸で「若草物語」のような仲良し
姉妹とは、少し違い、真ん中の、私と妹、一番下の
弟、3人かずっと仲良くしています。
亡くなった母は、5人仲良く(これもみくさまの
お母さまと、同じですね。)が願望でしたが、
それぞれ家庭を持ってから、なかなかすんなりとは
いかないこともありました。
で、この3人はいつも、母と伯母(母の姉)を
囲み、母伯母亡き後も、繋がっている次第です。
私は、遠方に嫁いだせいで、主に電話、メール
LINEが主なのですが、血の繋がりって不思議です。
久しぶりの再会も、あまり無沙汰した感じがしない。
兄弟って、良いですね。
まさに、親に感謝です。
長々と書いてしまいました。
みくさまの、高尚な短歌に、唸ります。
短歌は、私には難しい。言葉をそれほど知らない
ものには詠めません。
時々お邪魔させていただきます🙇♀️