米合衆国憲法第4、第5、第6修正とは米合衆国憲法が成立した後に付け加えられた権利章典規定である。日本国憲法の第31条から第39条に相当する。
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「そんなに重要な規定がなぜ本文に入っていないのですか。『後から付け加えられた』って、軽くないですか。」という至極自然だが研究者の度肝を抜くような質問を以前の職場で受けたことがある。
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学生だけでなく教員の一人からも同じような質問をされたことがある。20年くらい前のことだ。
学生ならまだしも大学の教員の中にも知らない人がいる。日本の教育の根本部分にボタンの掛け違いがあると感じた。
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結局、そのときの講義では修正規定の説明をする前に米国の建国の歴史を紹介し、米国型連邦制について説明しなければならなかった。修正規定に関する説明は結局できなかった。
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そんなことがあったので、その後は修正条項について話すときは、あらかじめ時間配分を考え米国型連邦制から話すようにしている。
ちなみに、定年で退職した大学では「日本国憲法」という科目も担当したがこの科目では米国型連邦制と米合衆国憲法、及び修正規定についてずいぶん時間をかけてじっくり説明した。
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米合衆国は、ご存じの通り連邦制国家である。日本語の文字は同じ『連邦』だが旧ソ連のそれとは全く違う。
また連邦を構成するStateは文字通り国であり「州」という漢字には違和感がある。もちろん、日本の地方自治体とは全く異なる。かつての同僚教員が「県みたいなもんでしょ。」と発言したときは返す言葉に苦慮した。
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米国を旅した人ならば誰でも気付くはずだが各州は今でもまさに国家である。United States of Americaという文字の意味もなるほどと感じるところである。アメリカという結合された国家なのだ。
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しかし、建国当時、その「結合の仕方」で大激論があった。
英国から大陸に渡った人々はそれぞれ大西洋側の土地に『自分たちの国家』を創設した。ある種、勝手に。したがって、実態は単なる『侵略』なのだが。
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いわゆる東部13州(thirteen colonies)である。
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イギリス本国から加えられる種々の圧力をはね返すには13州は結束する必要があった。
だが、単一国家となることは「絶対イヤ!」という点では13の州の意見は一致していた。
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しかし、条約結合では緩やか過ぎてイギリス本国と対抗できない。そこで連邦制という画期的な国家形態を発明した。
今でこそ普通に米国の連邦制を、日本を含め世界各国が認識しているが当時はさぞ奇異であっただろう。なんせ主権がたくさんあるのだから。対外的には単一国家だが対内的には13の独立国家が存在するというのである。
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米国型連邦制は、連邦構成国が自国の主権の一部を連邦に割譲して連邦政府を作り、各州に共通、共有すべき事項に関してだけ連邦に権限を与えるという仕組みである。
共有すべき事項とは、大掴みに言えば、第一に、もちろん軍事。以下、度量衡、通貨、郵便、鉄道他(順不同)である。
たしかに、日本などとは全く異なる国家形態だ。
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米国を旅した経験のある人は気付いていると思うが、DC以外の各州では今でも統治に関する建物は連邦のものより州のものの方が概して大きく立派である。
この傾向は西へ行くにつれ大きいと言われている。それだけ州権主義が連邦権主義を凌駕している証だと言った人がいる。
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そんなわけで米合衆国憲法も、13の国から割譲された主権の位置付けを明記することが優先されかつそれに留まった。
ご承知の通り、米合衆国憲法の本文、いわゆるArticleで示される部分には、議会すなわち立法府、政府すなわち行政府、裁判所すなわち司法部、その他連邦予算や連邦と州及び州と州との関係他を規定する条文が並び、いわゆる日本国憲法にある「国民の権利及び義務」に相当する規定は無い。建国の過程を考えれば至極当然のことであろう。したがって、これまた至極当然のことながら、各州に住む個人の利益に関する権利事項は連邦憲法が関知することでは全くなかった。
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その為、米連邦憲法(米合衆国憲法)が制定された後も当然に奴隷州と非奴隷州が存在し、今でも、死刑廃止州と死刑存置州があるのである。
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米合衆国憲法が発効したのは1789年だがその翌々年の1791年には日本国憲法の31条から39条に相当する基本権規定(権利章典)が修正(Amendments)として成立している。ところが、そこに規定された多くの基本権が全米で等しく保障されるまでにはさらに半世紀以上の年月を要すのである。
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南北戦争で南部が敗れ、ようやく1868年、米国憲法史上最大の修正となる第14修正が成立する。
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このあたりの経緯をOs先生は熱く語った。
演出ではない。
米合衆国憲法を研究するものが米国の建国史を眺め、The Federalist Papers(1788)を読み、米合衆国憲法の制定及び発効に至る過程をつぶさに研究すれば熱く語るのもわかる。
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だが、「修正第14」(Os先生はこう呼んだ。)の文言は驚くほど単純にして簡潔だ。
「All persons born or naturalized in the United States, and subject to the jurisdiction thereof, are citizens of the United States and of the State wherein they reside.」(「合衆国内で生まれ、または合衆国に帰化し、かつ合衆国の管轄に服するすべての者は、合衆国の市民であり、かつその居住する州の市民である。」)という文字列で始まっている。
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今でもこの一文を読むとシビレルというかゾクゾクするというか感動する。
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教壇に立っていた頃、この一文を紹介した直後、受講者のほぼ全員がポカンとした顔をするのが愉快だった。
それもそうだろう。
「南北戦争が生んだ偉大な遺産」、「法による支配を不動の統治原理にした規定」、「法の適正手続を全米に広げた英知」とまで評される第14修正の冒頭がこれだからである。
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「当たり前のことが書いてある。」というのがほぼ全員の印象なのである。そうなのである。この当たり前のことを憲法に書き、当たり前のことを憲法に書かなければならなかった米国の混沌とした当時の状況が興味を引く。また、同時に、法の世界の巧みさを感じるのではないだろうか。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。