米国には法社会学という独立した学問領域が無いという批判に対しある英米法の研究者は次のように答えた。
「確かに米国には法社会学という独立した学問領域は無い。米国の法学はそれ自体が社会学的考察を含んでいるからだ。」
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さて、日本ではどうだろうか。
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これまでに弁護士に仕事を依頼したことが何度かある。
どの弁護士も二言目には「〇〇法では・・・となっているから~~~だ。」という表現をする。
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「それが当然だろう。」と考える人がほとんどだと思う。もちろん当然である。
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だが、法学者は事件を法律から眺めるのではなく事件それ自体から眺める。
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「法律を見ないでどうする。」との批判的な声が聞こえそうだが、逆に「事実を見ないでどうする。」との批判も他方から出てくる。
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法学者は実務法曹とは異なり、法律つまり議会制定法を金科玉条のごとく捉えることはしない。
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では事件を解決するとき何を指針にするのだろうか。
それは「妥当性」、「合理性」、「論理性」という種々の法概念である。
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実際、英米法では法律(statutes)を法(law)と区別して扱う。
ときにstatutesはman-made-lawと表記されlawより下位に位置付けられる。
日本の英米法系の学者の中にはstatutesをわざわざ「制定法」とか「議会制定法」と訳す人もいる。もちろん、私もそう訳すよう指導を受けた。
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しかし、何でもかんでも国会で法律を通せばそれが正しいと考える人には到底理解できないかもしれない。また、理解しようともしないだろう。
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日本国憲法は英米法系の憲法である。それなのにドイツ流に解釈運用されている。これをAt先生は「ウルトラポジティヴィズム」と皮肉って呼んでいた。つまり、ここで言う「ポジティヴィズム」とはlegal positivismだが、元来これは検証可能性が無いか極めて低い形而上学的法学を排す趣旨で提唱された「法実証主義」を指し、主に英米法で主流となる考え方だが、我が国では、就中、政府による法運用では、極端な実証性が進み、文字化された法文のみに拘泥する傾向が定着してしまった。いわば英米型法のドイツ流解釈及び運用である。そこでAt先生は「超」や「極端な」を表すラテン語系のultraを冠してultra legal positivism(超法律実証主義)と呼ばれた。実によく分かった。
これを象徴する刑事事件が水道法の領域で発生しAt先生は意見書を書かれていたが、詳細は別の機会に眺めたい。
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日本政府は、とにかく法律をつくるのが好きなようだ。その法律がまともか否かはほとんど検証もされない。野党も多くの場合、政争の具として法案を扱う傾向が強いので本質論の攻防が無いまま法案が通過してしまうことが多い。
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時には、法律事項なのに閣議決定で済ましてしまうことまである。明らかに違憲なのだがその違憲をただす仕組みが無い。
日本国憲法には第98条に「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定されてはいるが、違憲な閣議決定について「その効力を有しない。」ことを宣言する仕組みが無い。その為、政府が違憲な活動をしてもこれを是正したり、違憲だと宣言することができないのである。
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ちなみに、「違憲法令審査の制度があるだろう。」という意見が聞こえてきそうだが、これを定めた日本国憲法第81条には「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定されており、違憲法令審査の主体は裁判所だとされている。主体が裁判所だということは争訟が存在しなければならないということを意味する。
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日本国憲法の母法である米合衆国憲法には違憲法令審査権を明確に規定した条文は無い。しかし、米合衆国最高裁判所は米合衆国憲法第3章(ARTICLE III)が絡む事件で違憲法令審査権を確立した。
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ただし、それには、いわゆる「事件性の要件」がある。「事件性の要件」とは馴れ合い訴訟の禁止だ。
違憲法令審査権は強大な権限である。議会が時間をかけ議論を尽くして可決し成立させた法律を無効だと宣言することができる。
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そこで、僅差で可決した法案について、これに反対する側が「馴れ合い訴訟」を起こしできたばかりの法律を無効にしようと企てるのである。いわば議会で負けた側が裁判所で復活を目指すという構図である。
しかし、これを許せば議会制民主主義政治は事実上崩壊する。
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また、米合衆国内における全ての争訟について最終判断を下す米合衆国最高裁判所の判事には定年が無い。選挙で選ばれるわけでもない。したがって、民主的統制が及んでいないのである。
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不完全ながらも国民の代表によって構成される議会が制定した法律を民主的コントロールが及んでいない裁判所が自由に無効を宣言できることになれば統治の基本が崩れる。
そこで、米合衆国最高裁判所は自ら宣言した違憲法令審査権についてみずから制限を課し濫用に歯止めをかけた。
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さて、わが国の閣議決定についてはどうだろうか。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。
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