入試の時期が来た。さて、どうしたものか。内申書をもらいに高校へ行った。
現役のとき、S.F.先生は「どこを受けても受かるところはないから好きに受けろ。」とおっしゃっていた。だが今度はそうはおっしゃらなかった。
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思い出受験は金の無駄なので、本当に入りたい学部に絞った。とはいえ、結局「潰しが効くから」という理由で法学部を受験することにした。どうでも良いことだが、この頃、主だった大学の名前だけは知っていたが、それがどこにあるのかは知らなかった。
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母は私が受験したいというと、その数だけ受験料を準備してくれた。今思えば、貧乏な我が家の家計で、落ちるのが決まっている大学の受験料に金を出すのは合理性に欠ける。しかし、母は何も言わず出してくれた。記憶では一校3,000円だったと思う。そして、この年も全滅した。
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さてどうする。しかし、大学には行きたかった。普通の勉強がしたかった。3年間、鉄を削っていた。それとは違った空気を吸いたかった。S.F.先生の言葉も頭から離れなかった。このままではウエスのように捨てられる。そういう人生が待っている。
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昼間部の発表があった後、一部の夜間部のある大学で募集があった。大きな決意をしたわけではない。しかし、受験手続をした。昼間部で全敗した大学だ。
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「また落ちるのかな。どうせダメだろうな。」と思いながら試験を受けた。試験会場は図書館だった。「こんな図書館で勉強できたらいいな。」と思いながら答案用紙に向かった。
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受験科目は英語、国語、社会。今度も空欄が多い解答用紙となった。しかし、国語と社会では少しだけ空欄を埋めることができた。去年に比べると英語で少しだけ空欄が減っていた。
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一週間ほど経っただろうか、母が「封書が来ているわよぉ~。」と起こしてくれた。
これまで他大学から来た不合格通知はすべてハガキだった。今日は封書だ。裏には中央大学入試事務室と書いてある。胸が高鳴るとはこういう状態をいうのだろう。
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「あなたは本学法学部法律学科(夜間部)の昭和48年度の入学試験に合格したので・・・」
嬉しかった。嬉しかった。嬉しかった。
母は「良かったわね。」と軽く返事をして家事を続けていた。S.F.先生に電話をした。「エライ!エライゾ、H!」と褒めてくれた。
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夕方、改めて合格発表を見に行った。339番。これが私の受験番号だ。欠席したのかもしれないが338と340は無かった。
帰り道、周囲の景色が違って見えた。中には入れないのだが大学の建物のまわりを数回歩いた。正門の前にも立ってみた。来年はこの大学で勉強ができる。あの有名な、名前しか知らなかった中央大学で勉強ができる。昼間だろうが夜だろうが私には全く関係なかった。嬉しかった。そして、この合格が私の人生を劇的に変えることとなった。(つづく)
「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。
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