3.一週間が過ぎた。第2回の講義のため出校すると「不穏な内容」の放送は無くスピーカーも無くなっていた。
私のように、いてもいなくてもいいような教員には詳しい事情は何も伝わっては来ない。こういうときは、反対している人たちに直にきくしかない。駅前の居酒屋、商店街のソバ屋、漁港近くの飯屋。いろいろな店に入ってきいてみた。
「ご迷惑をおかけしているようですね。ごめんなさいね。生ビールください。」
「すんませんね、ご迷惑ですか。刺身定食、お願いします。」って感じだ。
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講義は複数の日に渡るので当然町の宿に泊まることになる。毎週同じ宿に泊まれば次第に店主とも気安くなってくる。
「いやねぇ、先生だから話すけど、ほらこの町、漁師町でしょう。浜近くは加工屋さんばっかしなのよ。そうでなくても先生んとこの大学、薬の学部があるでしょう。魚は鮮度だからねぇ~。薬とは相性が良くないのよ。それに危機何とかってのもあるでしょう。何をするのか知らないけどさぁ、実験とかあるっていうじゃないですか。町のイメージ、落ちたら困るのよねぇ~。」というわけで反対の理由のほぼ全てを聞かされた気がした。
「でも、建ったみたいじゃないですか。なぜ建っちゃったんですか。反対する人が多ければ建たなかったんじゃないですか。」と水を向けてみた。
「そこなのよ、そこ。それがねぇ。市長よ、市長。あいつが知り合いらしいのよ大学のお偉いさんと。それでね、ちょうど使いようの無かった土地があったもんだからよんじゃったわけよ、『文京の街』とかなんとか言って。こっちはいい迷惑よ、市のおカネ、ずいぶんつぎ込んだみたいだし。税金、急に上がったのよ。」
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そういうことだったわけだ。市長は元中央官庁の役人だったらしい。たまたま某県へ出向していたとき、この大学の理事長と懇意になった。この大学、否、学校法人は大学をつくることが好きらしい。調べてみると確かに某県を中心にずいぶん多くの大学を経営している。そして、関東への進出をもくろんでもいた。
一方、彼は地元市に使い勝手の悪い広大な市有地があり、その扱いが悩みの種でもあった。彼としては何か良い使いみちが無いかと考えていたらしい。この点は地元の人は百々承知だ。
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この両者の利害が一致した。市は大学ができれば町は学生であふれ店も繁盛するとふれ回り人口流出でシャッター通りが目立つ街で大学誘致をスローガンに掲げた。しかし、魚関係者は店主が言った通り大反対だった。町は二つに分かれた。
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だが、大学関係者でこの状況を知るものは少なかった。もちろん、学生は全く知らない。町を二分したまま走り出した大学だ。何かあったらどうする。自分にできることは無いのか。自問する日々が続いた。
(つづく)
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