すぐに想起できる権威者(先生)の規範階層に関する認識の欠如についてご案内しましょう。
これはこの事件の最も重要な要素となります。
法学の歴史の中に、いわゆる法階層説というものがあります。
法は階層を為していて上位法を具体化するために下位法があるというのが一般的な理解です。
当たり前といえば当たり前のことです。
難しいことではありません。
わが国の国内現行法も日本国憲法を頂点に刑法や民法、商法その他種々の法律が整備されています。
他方、広い意味の法規範という観点から眺めると議会制定法とは別に人の行動を規制し促す基準として種々の規範を認識することができます。
先ほどご案内した道徳規範は分かりやすくて分かり難い身近な規範の一つです。
そして、法規範が求める行為は最も小さい規範、つまり「せめてこれだけは守ってほしい。」という規範だということができます。
したがって、「せめてこれだけは守ってほしい」という最低限の規範要求であるにもかかわらず守ってくれないという場合には、やむを得ず例外なく制裁を科し規範違反は許されないことを人々に周知する必要があります。
これが法規範の役割だということになります。
このように規範には緩やかなものから厳しいものまで段階があることが分かります。
行動規範として最も厳しいものは宗教規範でしょうか。
制裁という観点から見れば刑法を含む法規範が、やはり最も厳しいものだといえるでしょう。
これらの規範は適用領域と妥当領域を慎重に考慮して適用しなければなりません。
家族内に厳しい規範を置いたら息苦しくていたたまれないでしょう。
他方、国家という価値観や、生活様式の異なる多数の人々が一緒に空間を共有して生活をする場では強制力を伴う規範が不可欠です。
難しいのは家族と国家の中間に属する組織や集団でいかなる規範を用いるかということです。
すでにお気付きかとは思いますが、小学校の学習上の約束はクラス、またはその学年、ときには全校生徒に適用がある組織的行動規範と考えてよいでしょう。
「組織的」という文字列は「組織を規律する」という趣旨です。
「行動」とは単純な行為だけでなくその行為を動機づける意思決定をも含む趣旨です。
したがって、この種の規範は客観的で目的に応じて厳格でなければなりません(次回ご紹介する「レポートの締切日時厳守事件」もご参照ください。)。
他方、自発的に生じる他者への友愛や思いやりの心は道徳規範に属するものです。
したがって、行動規範の問題が生じているときに道徳規範を参照してはいけないのです。
逆もまた同じです(「優先席はそれを必要としている人に譲るものだ。」と他人に命令することは不合理です。)。
この考え方を「消しゴム貸して事件」に適用してみましょう。
A君は「消しゴムは各自準備しなければならない。」という行動規範に従っていました。
この行動規範に客観的な順守義務があることはすでにお分かりでしょう。
したがって、Bさんも消しゴムを用意しなければならなかったはずです。
Bさんに「消しゴムを貸して」と言われたA君は客観的な順守義務が生じている行動規範に従ってこれを拒否しました。
本来ならばBさんのアピールを受けた先生はBさんに対してこの行動規範の次元で「消しゴムは各自で準備しなければならないことになっていますね。不便かもしれないけれど、今日は我慢しなさい。」と指導すべきであったはずです。
ところが、先生は行動規範とは異次元の道徳規範を持ち出して「A君、意地悪をしないで貸してあげなさい。Bさんが困っているのだから。」と言ってしまったのです。
A君にとっては不意打ちを受けたような「規範攻撃」であったわけです。
(つづく)
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