さて、そこで、この justice の観点を「消しゴム貸して事件」に当てはめたらどうなるでしょうか。
A君は正統な、いわば権威(ここでいう「権威」とは命令や禁止の総体である規範を明示する主体という意味です。国でいえば議会や政府であり、小学校でいえば担任の先生ですね。)のある人の「消しゴムを準備して来なさい。」という命令に従って消しゴムを準備して来ました。
それにもかかわらず、この命令に従っていないBさんが自己の利益を主張して同じ権威者に救済を求めたところ、この権威者はこの要求を入れてA君に「消しゴムを貸してあげなさい。」という不可解な命令をしたことになります。
A君は「消しゴムを準備して来なさい。」という規範に正直に従ったにもかかわらず規範違反者の犠牲になったことになります。
正直者が馬鹿を見た結果になりました。
justiceに反する事態が生じました。
では、なぜこのような事態が生じたのでしょうか。
すぐに想起できることは権威者(先生)に規範の階層に関する認識が欠如していたということです。
後でご案内しますが規範には上下の階層があります。
この順序を間違うと命令や禁止の規範を示される側、ここでは児童が混乱します。
~~~
先生が規範の順序を間違えたことでA君は、いわゆる「二重の基準(double standard)」に翻弄されることになります。
つまり、一つは「消しゴムを準備しなければならない。」という命令規範です。
そしてもう一つは「意地悪をしてはいけない。」という禁止規範です。
この二つの規範は階層が違うばかりでなく質も違います(この点も後にご案内します。)。
「意地悪をしてはいけない。」という禁止規範には「他人には親切にしなければならない。」という命令規範がその裏側に付着しています。
この後者に位置する、いわば「背後の規範」は、多くの場合入学式などで校長先生や然るべき人が「皆さん、仲良くしてください。」とか「みんな仲良く楽しい学校生活を送ってください。」という挨拶や指導で植え付けられている規範意識です。
A君の場合、double standard に翻弄されるばかりでなく、入学式で宣言された「みんな仲良く」の命題に自分が反していると先生にレッテルを張られたことに大変大きな心的衝撃(ダメージ)を受けたことになります。
「自分は先生の指示に従っていた。先生の指示に従っていなかったのはBさんだ。それなのになぜ自分は先生から『意地悪をしてはいけない。』と、自分が意地悪者であるかのような評価をされなければならないのだろうか。」これがA君を追い詰める疑問です。
同時に、先生の指示に従っていなかったBさんを先生が擁護したことで「消しゴムを準備しなければならない。」という命令規範より「意地悪をしてはいけない。」という禁止規範の方が重要であるということになりました。
規範の逆転が生じました(ただし、そう考えない人もいます。)。
A君にとってこの感覚は他人から不当な要求を受けても「意地悪をしてはいけない。」という意識の方が強く作用するので不当な要求を拒否できなくなります。
イジメ被害の始まりです。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます