業務委託については責任の所在が曖昧になる。事故が起きたとき責任のなすり合いが起き被害者の救済が遅れる。
また、スイミングゴーグルの使用についても、毎日数千メートル泳ぐ選手とは異なり、一般人がそれを使う必要性は低い。
また、不規則に人が泳ぐ公開中のプールでは事故が起きる危険性も高い。
さらに、スイミングゴーグルは水中内の視界が裸眼に比べ格段に高いのでいかがわしい目的で使用する者も少なくない。
業務委託の件と併せ、ライフガードはこれらの反対の理由を文書にして提出した。だが、然るべき回答は無かった。
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業務委託の件はプール利用者の協力もあり区議会まで行き請願に及んだ。しかし、阻止することはできなかった。また、スイミングゴーグルの使用についてもあっ気なく解禁となった。使用をゴリ押しした入場者は「お偉いさん」だった。「我々の時代は終わった。」と感じた。
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その後もしばらく千駄ヶ谷のプールで水泳教室のお手伝いをしていたが、頃合いをみて退いた。
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間もなく4年生になる。専門ゼミの履修年次だ。私は刑法のゼミに入った。おつきあいを始めていたOさんは商法のゼミに入った。
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しかし、私のゼミの活動は活発ではなかった。今思えば担当教員がお若かったのだろう。司法試験に合格している気鋭の研究者だったが、自分が勉強することと他人に勉強をさせることとの違いが分からなかったのかもしれない。推測である。
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4年生の半ば頃、私は大学院を目指すことにした。その年の試験では門前払いを食った。だが、5年生の時に受けたときは一次試験を突破した。
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このときはずいぶん勉強した。
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高校生だけでなく大学生でも、定期試験が近づく頃、「勉強してるか。」と訊かれると、「していない。」と答えるのが当時も当たり前であった。
だが、大学院を目指して以降、「勉強してるか。」と他人に訊かれると「している。」と答えられるほど勉強していた。
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大学院は前期と後期に分かれている。古くは修士課程と博士課程と呼んでいたが当時は博士課程前期課程、博士課程後期課程と呼んでいた。同じような漢字が並ぶので履歴書に書くときは何度も読み返し確認した。
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試験科目は専門科目が2科目。それに語学。
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さて、語学だ。何語で受験するか。悩んだ。しかし、悩む時間はなかった。
私はドイツ語で受験することにした。理由は簡単だ。英語で受験する人は中学3年間、高校3年間、そして大学の2年間と、合計8年間も勉強して来ている。
これに対して、私がまともに英語を勉強したのは大学の2年間だけだ。しかも、仲間に助けられて何とか単位を取っただけで実力なぞ全く付いてはいない。
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その点ドイツ語はほぼ全員が大学に入ってから学び始めた外国語だ。スタートラインは同じだ。これなら何とかなる、と思った。しかし、結局、何とかならなかった。
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それでも若干の迷いはあった。そこで、1年生の時、英語を担当してくださったT先生に相談に言った。T先生は英米法のOs先生を紹介してくれた。何と、あの時、ヘルメットが攻めてきたとき、「やろう!」と勢いよく言った先生であった。
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教員室からOs先生の後ろについて歩いた。行き先はOs先生の研究室だった。大学の先生というものがこれほど気さくに学生の相談にのってくれる人だとはそれまで考えもしなかった。
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「進路か。」
Os先生は口を開いた。
私はあがっていて何も言えなかった。
Os先生にはオーラがあった。並みのオーラではなかった。
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「はい。」
かろうじて言葉が出た。
「大学院へ進もうか司法試験を狙おうか迷っています。」
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本当は、「迷っています」などと言える状態ではなかった。まったく勉強をしていなかったのだから。高校3年生の時、担任のS.F.先生が「日本中のどの大学を受けても今は入れない。」と言った言葉を思い出していた。
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大きめな椅子にどっかりと座り煙草をふかしながら、Os先生は大きな目で私を真正面にしっかり見据えて言った。
「二股はやめろ。司法試験を受けたいなら、そいつを先に片付けて来い。学者の道を選ぶなら司法試験はやるな。司法試験は片手間にやるものではない。二股をかけるなら縁を切る。」
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会ったばかりの学生にこれだけのことを言うのだ。この人は凄い人だと思った。自分の頭では測れないとんでもなく大きい人だと感じた。そして、このとき「司法試験は受けない。大学院を目指す。」と決めた。
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すでに受験科目に含まれる語学はドイツ語と決めていた。Os先生は英語の大家だ。それが少し気になっていた。
だが、それがいかに小さなことかを知るには、小さな自分には少し時間がかかった。
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受験科目を刑法、刑事訴訟法、ドイツ語と決めた。狙うのは刑事法専攻である。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。