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東宝で絶頂期を迎えていた成瀬巳喜男にしては?な作品だ。わざわざ大映に招かれて撮ったこの映画、なんとあの田中絹代が監督見習いとして参加しており、むしろその絹代指導が主目的だったのではと思われるこの映画に、成瀬本人がかける情熱もイマイチだったのではないか。
かつては多摩川の川師親方(堤防工事の人夫)としてならした赤座も今ではコンクリートの護岸工事におされ、河原で女房のりき(浦辺粂子)が営む売店の留守番をする毎日。近くで石工をしている長男の伊之介(森雅之)は遊んでばかりで仕事に身が入らない。東京で働いているさん(久我美子)がりきの様子を見に売店を訪れると、身ごもった姉のもん(京マチ子)が家に戻ってきているという…
原作になっている兄(伊之介)と妹(もん)の兄妹愛を描いた室生犀星の短編は、本作以外にも実は映画やTVドラマ等で何回も映像化されている。それらとの差別化をはかったのだろうか、成瀬版の本作ではサブキャラのさんを主人公に、彼女の目線で物語が動いていく。よって、もんの転落ぶりを目の当たりにしたさんが駆け落ちを思いとどまる経緯がメインのような印象を与え、伊之介ともんの関係性がぼやけてまっているのだ。
目に入れても痛くないほど妹を可愛がっていた伊之介だが、男に孕まされあげく捨てられ流産、お水の女へと転落していくもんが不憫でならない。しかしどう慰めていいかわからない伊之介はもんについ辛くあたってしまうのだ。まるで羅生門の京と三船のような激しい喧嘩がクライマックスに用意されているのだが、その後のもんに対する伊之介のフォローがすっぽり抜け落ちているため、単なるドメバイ映画のようにしか見えないのである。
あの赤座とりきの夫婦から華族出身の久我美子のような娘が間違っても生まれるはずはなく、大柄な京マチ子と小柄な久我の2ショットはまさに月とすっぽん。このミスキャストについてはどこか意図的ではあるが、成瀬的な演出をほとんど感じることができない凡作に終わってしまっている。戦争がなければけっして女優のような水商売につくことはなかった久我美子。戦争(上2人の喧嘩)があったからこそ自由(女優)になれた久我の実人生に重なる、明確な演出をもっと見たかった気がする1本だ。
あにいもうと
監督 成瀬巳喜男(1953年)
[オススメ度
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