ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧神岡町神宮寺を往くー3(その3)

2018年01月24日 | 旧神岡町を往く

●歩いた日:201649日(土)

●歩いた所

 ・神宮寺:館の南、館の西、館の北、館の越、館の東

 ・花館(旧大曲市):間倉洲崎、間倉、柳原

●歩いたログ(足跡)(道のり4.9km

(以上の地図:国土地理院)

 さらに進んで、「神宮寺」の街並みが始まる手前の丁字路に至る。

📷006:「館の西」の一角

 写真左手に行く道が旧「羽州街道」で、この辺りから「神宮寺」の街並みが続く。

 正面の信号は旧国道との交差点である。道の右側が「館の西」、信号を越えた奥一帯は「館の北」である。

 右端に庚申塚などの石碑が立ち並び、ここが古い道筋であることがわかる。

 左側の水路は道路よりかなり低いところを流れており、上流である旧国道の向こう側が相当の低地であることを示しており、S23年の航空写真をみても、そこが川の氾濫原であった様子が伺える。

 この後、写真の信号のところで旧国道を横断し、田んぼ中の道を下って行くと、「奥羽本線」と旧国道の間を右手(東)に延びる道がある。周りの風景を眺めながら、この道を「間倉」に向かって進む。

 ほかの地図を当たってみると、東に延びるこの道は字界になっているらしい。東に曲がって少し進んだ辺りは、道の北側は「館の北」、南側は「館の西」である。さらに進んで、ログ地図に「館の越」と記された辺りの北側は「館の東」である。「館の越」は、「地名への・・」によると、「館の周辺、館のぐるり」とある。

 これらの地名から、館はこの近くにあったと推測されるので、調べてみると、ログ地図に「奥羽本線(秋田新幹線)」と緑色で大きく記入されている「線」と「秋」の字の辺りに、鉄道を跨いで「神宮寺掃部(カモン)館」(中世の村落領主の日常居館)があったとあり、そこの字名は「館ノ内」である。昔の航空写真には、それらしい地形が写っているので最後にご覧いただきたい。

 さらに東に進むと、道は田んぼ中の細い道になる。

📷007:「間倉」を遠望する

 正面に「神宮寺バイパス(国道13号)」跨線橋が写り、その下を「奥羽本線」が通っている。 右手の家々は「間倉」の集落である。

 写真の右端、集落の手前に、木が生えたこんもりした小丘の後方に墓石が立ち並んでいるのが見える。「間倉」の墓地と思われる。

 ところで、この辺の道の南側(右)は「中川原」である。「地名への・・」には、「川原は、川の中の石原、砂礫地と思えるが、厳密にいえば本来は川そのものである。」という説が紹介されている。

 写真の田んぼは一見平坦に見えるが、よく見ると、跨線橋の手前下に、道をはさんで二本の河岸段丘が走っており、奥の方の段丘は木の生えた小丘に続いている。「間倉」の家々は小高い場所にあり、立っている位置はかなりの低地である。後で見ていただく航空写真からも想像されるように、ここが川筋であったとして不思議ではない。

(その4に続く)


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