12月12日 (日) →
ここ毎日、機嫌よく「一人散歩」を愉しんでいる。歩く歩数はおおむね5000歩から4000歩、時間にして1時間から2時間くらい。
歩数に比べて時間がかかっているのは、散歩の途中で現れるポケモンをゲットするため暫時立ち止まったらり、たまたま出会ったきれいな景色をiPhoneで撮影したりするからである。
この辺ではポケモンは50mから100mくらい歩くと出現する。これはちょうど飼い犬と散歩していると犬がところどころで嗅ぎ回ったり、オシッコしたりで立ち止まるのと同じようなものだ。
当地に居住したとき、犬を飼いたかったが、家内から犬を飼ったら旅行ができなくなると反対されて諦めたこを思い出す。
あの頃犬を飼ったとしたら、介護を必要とする老老犬になった後に死んでしまったことは疑いなく、自分の世話さえおぼつかなくなりつつある自分の行く末からすれば飼わなくてよかったとつくずく思う。
なんと有り難いことに、飼いたかった犬に代わって現在は文明の利器「iPhone」のポケモンアプリができて散歩犬の役割を果たしてくれている。
とにかく、ほとんど人に出会わない秋枯れの林道をiPhone片手に適当に立ち止まりながらぶらぶら歩くのが今はとても気に入っている。
ポケモンが私にとってかくも役立つものだとは思いもしなかった。
今夏、孫たちが大挙我が家に押しかけてきたとき、一番下の高校生の孫が私のiPhoneにポケモンGOをインストールしてくれてた。その頃世界的な社会現象とまでいわれたポケモンGOとは一体どんなものなのか一応は知っておきたいと思ったからである。Phoneに残された記録によると8月8日とある。
孫から「今教えられるのはここまで」といわれ、に三匹のポケモンをゲットしその片鱗を知った思いでそのあとは関心を失っていた。
私はパソコン時代から「ゲーム」の類はどうも性に合わず、ほとんどやったことがない。ポケモンも子供たちが室内に閉じこもり熱中しているあの種のゲームに毛が生えた程度もものだと思ったのである。
その後になって、あれほど評判となったポケモンがこれまでの室内ゲームと決定的に違うのは、室内ではなく戸外で、専ら「歩くこと」のみを前提としたゲームだということだった。
「歩くこと」なら私の生活目標の一つ。「老い」を養う最良の手段、ギリシャの医聖ヒポクラテスがいう「歩くことが最良の薬である」を信奉している私にとって見逃せない。
ということで、改めてポケモンを弄ってみようと思い至ったのは10月に入った頃、よくわからないままに動かしていたら次第にポケモン・ゲットが面白くなり、インターネットを使った関連情報を探すのにも興味が湧いてきた。
これまでは、天気がいいならできるだけ毎日散歩しようと心掛けてきた。しかし、冬に入れば天気は続いても寒くてつい億劫になる。それに「独り歩き」は楽しみが薄い。
しかし、ポケモンGOのお蔭で「一人散歩」も楽しくなってきたので、雨でも降らない限り毎日「歩き」に精出すようになったのが昨今である。
そんなことで、現在のトレーラー・レベルは「21」(これから先に40くらいまであるらしい)、歩いた距離は92㎞、捕えたポケモン数は856匹、孵化させた卵は30個などなど。(こんな過去のデーターが自動的に細かく記録される!)
ポケモンがこれほどの効果をもたらすとは!
思うに、ポケモンを愉しむには、「歩く」時間がたっぷりあり、「歩くこと」が好きで、そしてiPhoneが扱えるという条件が必要のようだ、そしてこの条件をすべて持ち合わせていたのが私であった。
スーパーシニアの私にはありあまるほどの自由な時間があり、歩くことが大好き、そしてiPhoneを使い慣れており、扱うことも好きだということ。
iPhoneが使えるという条件さえあればポケモンと散歩、これほど年寄りにいいものはない。ただし、夢中になって周囲への注意を怠らないことはいうまでもない。
歩きながら気に入った景色に出会えば、時に写真を写す。これもいい。
昨日、私はようやく21になりました。
今度「記録」の見方を教えてください。
それと、なんだかいっぱいになっていて、ポケモンを見つけてもボールが投げられません。
ポケモン講義をしてください