伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

「三金会雑記」秋号 園芸・パソコン・散歩

2008年08月25日 | 三金会雑記

8月末日が原稿締め切り日

雨が降り続くいまのうちに書いておこう。晴れれば戸外に出掛けねばならないから・・・
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「園芸・パソコン・散歩」

 晴れの日は農事に励み、雨の日はパソコンに親しむ。「晴耕雨コン」を標榜して伊豆高原での生活を始めてから一八年が経過した。

 しかし、さすがに八〇歳が次第に近づいてくると「農事」に最低限必要とされる肉体力の衰えは避けがたく、ほぼ限界に近付いていることを切実に感じる。土を弄る「楽しみ」よりも労働に「辛さ」を感じるようになれば畑をやる意味はない。
それに雑草にまみれた畑を見ても立ち向かおうとする元気も出ず、いたずらに己の無力さに苛立ちを感じるようになってしまっては精神衛生にもよくない。

 これは、はじめた時から分かっていたことではあった。畑となる宅地を購入したとき「農事」は七五歳までで、その後は土地を売払って老後の資金にしようと考えていたのである。そして気が付いてみればその年齢はとうに超えていた。

 今年の夏は異常に暑かった。テレビは盛んに熱中症を警告しており、特に高齢者の外出を戒めていたこともあって、長い間畑に出掛けることなく日を過ごしていた。その間、畑の野菜は夏草の茂みの中に埋まっていたのである。

 しかし、先日、暑さがすこし和らいだので、久し振りに畑へ出て雑草むしりを行った。座ってもできる単純な軽作業だったのに全身汗まみれになって息も絶え絶え、帰りの僅か二、三〇メートルの坂道さえを上がるのが容易ではなかった。

しかもその夕方には手の指が妙に硬直し自由にものが掴めなくなったし、深夜にはふくらはぎに激痛が走り耐え難い痙攣にも見舞われた。
 それにもめげず数日後に、再度、雑草に挑戦してみたが、同じような症状に悩まされただけでなく、疲労は翌日まで持ち越す結果となった。

 作業の後にこのような後遺症が出るということは、もはや私の身体全体が農作業には堪えられないということを訴えているのだと理解するほかなかった。

 ここに至って、現在まで「趣味」としてやってきた「畑」と「パソコン」の路線になんらかの変更を加えねばならない段階にあることを認識せざるを得ず、これまで掲げてきた旗印「晴耕雨コン」を降ろすのも致し方ない成り行きだと悟った次第である。

 これまで「農事」=「園芸」は私の趣味的生活の半ばを占めていたのだから、これをやめるにはかなりの決断がいる。

否応なくやめる簡単な方法は、畑として使用していた一三〇坪の土地を売ってしまうことである。だが、買値から大幅に下落した地価で売るのはなんとも癪にさわる。これからの生活に困るのでなければ土地はできるだけ残したい。

となると、ラディカルに全廃とするのではなく、大幅な畑の規模の縮小が現実的な選択であろう。
つまり敷地の大部分は、雑草にもめげない果樹はその儘にして雑草の茂るのに任せ、中央の一番いいところ二、三〇坪ぐらいを老の身体でも気軽にできる程度の小さな家庭菜園として残し、気が向いたときだけ弄って満足するという方向でいくことである。

戦中戦後の食糧不足の時代を少年期で過ごした我々世代は心のどこかに飢餓への不安が残っているのか、食べ物に対する執着は強い。
「園芸」とは趣味であって野菜を育てる「楽しみ」である筈なのに、ついつい多量な収穫の方に眼が向く。夫婦二人の食卓に必要な野菜の量などしれており、収穫の大半は人に差し上げるか腐らせてしまうのがオチだが、目的として収穫量の増大というのを捨てきれない。趣味の「園芸」ではなく生産のための「農作業」に意識が傾いてしまうのである。

この際、趣味としての「園芸」の原点に戻り、花卉の栽培のように鑑賞に値するような野菜をいつくしみ育てる過程だけを大事にしていこう。収穫はどうでもいい。野菜を美しく立派に育てることにだけ気持ちを持ち替え、収穫は派生する結果に過ぎないものと考えることにする。

 九月に入り少し涼しくなったら、早速、これを具体化するための畑の縮小作業に取り掛かることにしたい。

 さて、これで畑の問題は片付くとして、これによって生じる相当の生活時間をなにに振り向けるかということの方がより重大な問題である。

高齢者にとってもっとも避けるべきことは、無為の時間、やることのない空虚な時間を作らないことである。農事=園芸時間の縮小が生活活動の縮小に繋がってしまっては大変だ。

もっとも手っ取り早いのは、畑で費やしていた時間帯をパソコンの時間に振り向け、趣味を「パソコン」一本に絞るというのがある。
「パソコン」といっても、書斎にあるパソコンにはテレビを視聴する機能が付いているし、パソコンで静かな音楽を流しながらの読書というのもこれに含まれる。勿論のこと三金会雑記などを書くのもパソコンの分野である。

いずれにせよ、パソコンの世界には私の興味をそそるようなものはまだまだ沢山あるし、これからも新しいものは次々に現れるから、やることには事欠かない。
だが、晴の日も雨の日もパソコンから離れぬ「オタク」となってしまってはどうもなるまい。残る人生を家の中に閉じこもって生きることになる。

パソコンがいかに知的刺激に満ちているとしても、家の中の閉じこもりでは老いに伴う呆けの進行は早かろう。また肉体の衰えも加速するだろう。
ともかく、心身ともに良くないことはいわずとしれている。

農事かかわってきた時間帯を埋めるのはインドアではなくアウトドアに求めるべきであろう。

さらばといって、草むしりさえ満足にできない身体であるなら、以前に少しばかりやったことのあるゴルフやテニス、水泳や魚釣りなどスポーツの類に戻ることは土台無理、この年齢になっては論外である。

 となると、これまでの延長線上にあるもの、いまもなんとなくやっているアウトドア的活動に求めるほかなく、結局「歩く」ことしか見当たらない。

「歩く」ということならこれに費やす時間を増やすことは簡単にできそうだし、膝でも痛めない限り、これからも長く続けることができそうである。
「歩く」という言葉は古代ギリシャ語では「生活する」という言葉だとも聞いた。
後期高齢者の生活時間の消化にはぴったりだ。

もともと若いときから「歩く」ことは嫌いではなかった。しかし、勤め人時代は仕事にかまけて歩く機会などほとんどなかったが、当地に引っ越してからは、時間的な余裕はたっぷりあったから「散歩」だけはその頃は実によくしていたのである。

ふっと思い出したのは、当地に住み着いてから書いた「三金会雑記」の雑文である。

探してみたら一九九〇年九月の「三金会雑記一三号」にあった。
題して「私の散歩学序説」、伊豆高原に来て半年ほど経って書いたものである。

「ところで、散歩に関する限り、ここほど恵まれた土地はないのではないか。多種多様なあらゆる散歩路をこの土地は提供してくれている。車で片道一五分以内で行けるところを起点とした散歩道まで含めて考えれば、毎日毎日歩いたとしても一〇年やそこらは十分楽しめるし、その都度新たな小道を発見する喜びにはこと欠かないよう思われる。」

 それから一〇年どころか一八年という歳月が流れたわけだが、その間に沢山の家が建って、見違えるように開発されてしまった現在ではあるが、「散歩」については今なおこの文章は大筋で妥当する。

 だが、最近の己の生活の軌跡を顧みると、現在の私の「歩き」はいつの間にか、かなり大掛かりなものになってしまっており、手軽な「散歩」をするということをとっくに忘れてしまっていることに気付く。

 最近での「歩く」といえば「大室高原歩こう会」の行事として月一回おこなわれる「トレッキング」である。
これに加えて月に一、二回程度、少なくとも一時間以上はかかる伊豆半島内の「散策コース」を当地で知り合った友達を歩くことがあり、ほかには外食のため夫婦で往復数十分歩く(なるべく車を使わず歩くことにしている。)というのがあるものの、日常生活に組み込まれた日課としての「散歩」というのは全くやっていなかった。

 「大室高原歩こう会」には昨年三月に夫婦で入会したばかりの新参者である。入会以来特別の用務と重ならない限り毎月参加している。

入会して最初のコースは、かねて名前だけは聞いていた旧東海道の名所「さった峠」で、興津から峠に上り由比に下るコースである。

昨年三月一五日は、あいにく快晴とはいかず青空を背にした見事な富士山をみることは出来なかったが、峠から見る白い空を背景に浮かびあがった真っ白な富士山は、それなりの壮観で十分満足できるものであった。なるほどここからの景色が広重の浮世絵の中でも特に有名な絵であることが納得できた。

 これで、すっかり気に入り、毎月の「トレッキング」を楽しみにするようになったのである。
 昨年、参加したのは

五月一五日「箱根旧街道」
(芦の湯・お玉ヶ池・甘酒茶屋・白水坂・権現坂・元箱根・恩賜公園)
七月一九日「天城路・湯ヶ島」
(二階滝・旧天城トンネル・水生地・旧下田街道=踊子歩道・昭和の森→湯ヶ島湯道)
九月二一日「青木ヶ原樹海」
(野鳥の森・富岳風穴・鳴沢氷穴・野鳥の森)
一〇月三〇日「丹沢湖」
(山北駅・河村城跡・丹沢湖・夕滝)
一一月二二日「箱根浅間山」
(蓬莱園・千条の滝・浅間山・宮ノ下)

今年に入ってからは

一月一六日「三保の松原」
(静岡浅間神社・賤機古墳→三保の松原)
三月二七日「大磯・湘南平」
(高来神社・浅間山・湘南平→城山公園)
四月二三日「白鳥山」
六月一一日「西伊豆歩道」
(田子港・灯明ヶ崎・浮島→土肥金山)
七月一一日「箱根」
(姥子・大涌谷→強羅公園)
と続いている。

汗を流しながらの「歩き」も心地よいが、日頃見慣れた景色とは一味違った展望に接するだけでなく、訪れた土地の歴史や文化に接する機会にも触れることができるも楽しい。

 「大室高原歩こう会」の行事への参加はこれからも勿論続けていくつもりだが、これとは別に日常生活での「歩き」を復活させ、これまで「農事」に当てていた時間の減少をこれに補うことにしたい。

 「歩き」という以上、少なくとも毎日晴雨にかかわらず三〇分以上は、近くを散歩したい。

 かくて「園芸」「パソコン」「散歩」の三点セットがこれからの日常生活の基本に据えられる。敢えていえば「晴耕晴歩雨コン」ということになるであろうか。

三金会雑記にこうしたことを書くことは、それ自体が実行を担保するための決意の表明となる。

気分を一新、「歩き」を生活習慣として定着させるよう日々の「散歩」を励行することにしたい。

 今はその助走段階、九月に入ったら本格的に新しい生活パターンをしっかりと構築することに心掛けるつもりである。

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