暑い日、病院の帰り「虎ノ門ヒルズ駅」で乗る前に
「虎ノ門 岡埜栄泉(おかのえいせん)」に寄ってみます。
ここのおすすめの一番は「豆大福(270円)」
あんこがギッシリ入っていて食べ応えがあり
突きたての柔らかい餅とほんのり塩味の利いた
赤エンドウ豆とのバランスがいい逸品です。
もう一つは「どら焼き(220円)」
「高級和菓子」と印刷された小袋に入っています。
開けると「岡」の印が記されています。
割ると皮生地は密ではなく、弾力はありません。
餡は、ほどよくやや甘めです。
【岡埜栄泉総本家・岡野俊一郎氏 雑学】
若かりし頃、国立西が丘サッカー場に日本リーグを見に行くと
隣に座る紳士、お顔を拝見すると
「岡野俊一郎 氏」当時の日本サッカー協会会長。
アディダスの冬仕様の紺色上下のウェアーを着て
グランドを魅入ってた姿を忘れません。
憧れた人と同じウェアーを購入し、お話しをした思い出があります。
「岡埜栄泉総本家 五代目岡野俊一郎氏」は、東京大学出身
サッカーの元日本代表監督で
国際オリンピック委員会(IOC)委員を長年務め
日本サッカー協会会長として、2002日韓W杯を成功させた岡野俊一郎氏
肺がんのため2017年2月2日に85歳で亡くなりました。
岡野さんは創業明治6年、140年以上続く
東京・上野の和菓子の「岡埜栄泉総本家」の代表取締役でもありました。
老舗の5代目として、豆大福が有名なお店を切り盛りしながら
サッカーやスポーツ界に貢献してきました。
「岡埜栄泉」は、同じようにのれん分けされた5店のうち
現存するのは岡野さんの上野のお店だけになりました。
なくなった4店の1つには、「文豪 夏目漱石」の「三四郎」に登場するなど
漱石ゆかりの一品を大事に守り伝えてきました。
岡野さんの「岡埜栄泉」は上野と大丸東京店の2店舗(現在閉店)のみ。
しかし、都内には同じ屋号を名乗る和菓子店があり
その数は数十件ともいわれています。
それぞれに歴史があるが “乱立” の理由には
長く商標登録がされなかったことだといいます。
2015年にこのことについて問うと
いかにも岡野さんらしい答えが返ってきました。
「それぞれのお店が頑張っていて、そこには家族も従業員もいるだろうから
いまさらうちが訴えるだとか、そういうことは考えていませんよ」。
小さなことは気にしないお人柄で、全体を見渡す大人物だった人。
それはサッカー、スポーツ界を考えて行動した岡野さんらしさがあります。
もっとも、名物 豆大福の味に自信があるからこその発言だったと思います。
◆岡埜栄泉(おかのえいせん)創業1873年(明6)。
所在地は東京都台東区上野。
店は「岡埜栄泉総本家」と名乗ります。
成り立ちは、「慶応、明治初期に浅草の駒形『岡埜栄泉』から
親戚筋の5軒に暖簾(のれん)分けされたうちの1軒。
暖簾分けされた5軒は本家を含み、いずれも岡埜(岡野)姓であったのですが
岡野氏の店を除きいずれも閉店となりました。
買い求めたこちらの「虎ノ門 岡埜栄泉」は、本家の流れではなかったのですね。
でもそれぞれが歴史を作り、美味しい名だたる豆大福を作りあげています。
岡野俊一郎氏は、日本サッカー界や和菓子界の歴史に功績を残し
世界や日本に多岐にわたる貢献を残してくれました。
忘れぬよう、ここに書きしるし残します。