2017年4月21日、つまり昨日。
(この文章を書いている現在、欧州はまだ4月22日なのです)
Rebeccaが、28年ぶりのLIVEツアーを発表した。
俺は驚いて持っていた箸を落とし、モチを喉につまらせた。
なぜなら、今年の初めくらいから4ヶ月くらい、ほとんどNOKKOのことを考えて暮らしていたからだ。
■『TIME』を聴いた小学生の時のこと
こんな女の人は手に負えない。
そう思った。
1986年発表のレベッカ5枚目のアルバム『TIME』を聴きながら、そう思った。
当時、俺はまだピチピチの短パンを履いた小学生(長くなるので例の描写は省略します)だった。
当時も海外に住んでいたのだが、その国では、街のCD屋に行くと、わりと日本の音楽のコーナーがあって、それなりに邦楽も買えたりした。
(でも、Jポップなんつー言葉はまだ無かった)
あろうことか、その店ではお目当ての『TIME』はカセットテープ版しか売っていなかった。
そのころ、お店のLPとCDとカセットテープの販売比率は4:3:3くらい。
まだ、カセットテープも幅を利かせていたのだ。
「まあ、テープで聞くのも良かろう」
俺はCD屋で、口に出してそう言った。
小学生当時から、大事な決断は実際に口に出して確かめるタイプだったのだ。
家に帰ってカセットデッキで聴いたそのアルバムは、パンキッシュな”Cheap Hippies”のような曲と、ドリーミーな”(It's just a)Smile”のような曲が同居する、NOKKOのヴォーカルの魅力に満ちたアルバムだった。
”Cheap Hippies”(歌詞)
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友達のスーが最近、失業保険でヤってるわ
私もあいかわらず地下鉄で通ってるの
長すぎる夢を見て♪
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頭がクラクラした。
小学生のまだ熟していない脳みそでは、意味が良くわからなかった。
まず、スーが「失業保険でヤってる」の意味が全然分からなかった。
一体、スーは保険で何をヤっているというのか。
釈然としないにも関わらず、何か、スーは少しズルい事をしているのではないかという気がした。
(ちなみに”スー”はNOKKOの歌詞にしょっちゅう出てくるお友達。実際の苗字は鈴木さんとか杉山さんなのかも知れない)
続く描写がまた分からない。
私も相変わらず地下鉄で通ってるの?
普通、「私も」と言って話を続ける場合は、
「自分はどのように失業保険と接しているのか」、
あるいは「自分は他のどんな保険でヤっているのか」
スーとの比較で語るべきではないのか。
しかし、NOKKOは関係のない通勤経路の話を持ち出している。
これは手に負えない、と思った。
しかし、黙っておいたほうがいい。
こんな歌詞の些細な矛盾を伝えたら、きっとNOKKOに叩かれる。
本能的にそう思った。
小学生男子から見て、一回りも年上のNOKKOはそんな危険な存在だったのだ。
SMILE/レベッカ
かと思うと、同アルバム収録の甘酸っぱいポップチューンでは、天使のような歌声で内気な友達を支える。
”(It's just a) smaile”(歌詞)
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一番好きなあの子の前でも、俯くままで何も言えなかったの
笑ってごらん
もう一度だけ、不器用でもいいから
あなたの顔はきっと綺麗な心と同じだから
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どうする?
これは、ますます手に負えない。
そう思った。
悪女と聖母、硬軟合わせ持っている。
短パンの両サイドからKINTAMAをはみ出させた小学生が太刀打ちできる女性ではない。
だいたい俺の趣味は、時代は10年ほど前後するが1994年にヤマザキの中華まんのCMに出てた頃の酒井美紀みたいな子(白線流しでブレイクする前)なのであって、NOKKOは手に負えない。
パワフルだしセクシーだしエモーショナルだし、オナラだって臭いに決まってる。
そう思っていた。
■1989年、レベッカ後期のNOKKO
”documentary of REBECCA”
レベッカの人気絶頂期、1989年のツアーを中心にしたNHKのドキュメンタリーである。
同年7月17日、東京ドームでのライブでツアーは大団円を迎える。
スタジオリハ中に、みんなスパスパ煙草を吸っているのが80年代っぽい。
(分煙とか禁煙という概念は、まだ無かった)
インタビューで、バンドの皆さんがすごく誠実に語っているのが印象的だ。
地方のライブハウスをドサ周りした時代についてNOKKOはこう語っている。
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なんかねぇ、すごい追いつめられてたの
このままどうなっちゃうんだろうって
こんな事やってて本当に仕事になるんだろうか、とかさぁ
このまま、例えばどっかの国に売り飛ばされても分かんないなぁとか思ってた
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バンドは1991年2月14日に解散する事になるので、これはその前夜とも言える時期だ。
「昔は大変だった、今はようやく乗り越えた。
状況を楽しめるようになって、継続することの重要性を感じている」
というのがこのドキュメンタリーの趣旨なのだが、今観ると、語っているメンバーの皆さんがやはりだいぶ疲れているようにも見える。
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ビデオをこういうふうに流しちゃうのはさぁ、コワい事だよね
オロオロしてるとこは、死んでも撮られたくないみたいなとこがある
(中略)
ミッキーマウスみたいにさぁ、いつも笑ってられたらいいのにって思う
ショービジネスってのはそういうモノなんだって思う
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この発言からは、NOKKOのストイックさとプロ意識が垣間見える。
天真爛漫に見えて、ツアーのリハーサルでは、ステージの形状やサイズを入念に確認するNOKKOの姿が映し出される。
そして、興奮の絶頂を迎えるライブの終盤でさえ、NOKKOは足場の悪い階段はよく確かめて登り降りし、安全を確認できている場所は全力で走り抜ける。
当たり前だが、ちゃんとしたプロなのだ。
■2010年、熱海での母親としてのNOKKO
「心から歌いたい」
2010年に10年ぶりにNOKKOが音楽活動を再開した時のドキュメンタリーがある。(←しかし、我ながらドキュメンタリーが好きですね・笑)
NOKKOはGOH HOTODAと再婚し(!)、静かな環境を求め、熱海で子育てをしながら暮らしている。
カメラは部屋で料理をしているNOKKOをとらえる。
料理についてインタビュアーに問われたNOKKOの回答。
「適齢期をすぎて、出来た方が良いだろうと思って婚活の一環としてやってましたね」
なんという気取りの無さ。
穏やかな表情でお子さんのために味噌汁を作るお母さんが、あの80年代を代表するスーパースターNOKKOなのかと、自分の目と耳を疑う。
小学生のころ、REBECCAの曲について、名曲揃いなんだけど、ちょっと似たようなテーマの曲が多いなぁと思っていた。
それも、熱海の自宅でのNOKKOのインタビューを聞いて納得がいった。
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もう一回ああいう感じで、もう一回ああいう感じで、って言うふうに求められることに対してどんどん煮詰まっていった。
自分はどんどん大人になっていく。
でも、求められるのは中学生くらいから高校卒業して22歳くらいまでに体験したことの中から求められる。
ものすごい大変になっちゃって。
割り切ってって言われたけど、それは魂を売っちゃうように感じた。
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「社運をかけて」の号令のもとに、延々続くかつての情熱の再生産。
メンバーは消耗しただろう。
■2015年、Rebecca再結成のNOKKO
NOKKOとは言え、人の子だ。
80年代のNOKKOは小さい身体で音域も声量も凄まじかったので、長いブランクがあり、年齢も重ねた2010年のNOKKOに全く同じものを求めるのは無理がある。
2015年のNOKKOは、特に高音と伸びが苦しそうだ。
でも、熱海での静かな日々を経て、
お味噌から手作りしてお子さんの味噌汁を作る日々を経て、
REBECCAの楽曲を封印した日々を経て、(←しつこい)
オーディエンスの前にNOKKOが立っているんだと思うと、そのストーリーが全てを補って余りある。
昔、それこそ高校生くらいまでは。
美しく消えていくことが肝要だと思っていた。
だから1992年に英バンド、マニック・ストリート・プリーチャーズが
「俺たちはデビューアルバムを世界中でナンバー1にして解散する」
って宣言して出てきて、1位も取らず、延々解散もしなかった時(25年経った今も活動中)、
「何やっとんねんッ」
とか突っこんだ覚えがある。
前言を翻しての延命なんて、ダサいと思ったのだ。
でも、今は違う。
やっと分かるようになった。
しがみついたっていい。
辞めたっていい。
生きていくことが何よりも一番大切だ。
10年ぶりのライブが終わり、ステージ袖に戻ったNOKKOが言う。
はぁ、お母さん、もうくたびれたよ
だろうね・・・、観てるこっちもとっくに泣いてるよ!
■2017年、NOKKO再びツアーへ
さて、2010年のNOKKOの音楽活動再開からさらに7年。
この夏、素敵なおじさま方とNOKKOはどんなステージを見せるだろうか。
例によって日本に居ないので観に行けませんが、素敵なライブになるといいですね。
おしまい。
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色んなレベッカに関する記事や文章を見ましたが、貴方様の文章が最も腑に落ちた感じがとてもしました。文章を書くご職業の方なのでしょうか?
ともかく感銘を受けました。
真剣に書いたわりに全く反響のない記事にコメント頂き、こちらこそ感激です。
海外にいる為レベッカ復活の動きも全く知らなかったのですが、どういう訳か今年に入って突然マイブームが湧き起こり、再評価とかそういう上から目線でなく単純にどハマりしておりました。
尚、文章を書く職業などとんでもなく、当方しがないリーマンブラザーズです。
ここ数年、年の瀬が近づくとなぜかNOKKOをヘヴィロテしてい他にも存在するであろう同士を探してネットサーフしています。
投稿されてから、ちょっと時間も経ち状況も変わっていますが、再結成ライブもその後のツアーも参戦しました。そしてBlond Saurusツアーの全国同時上映も行ってきました。詳細は省きますが、私が思うことも「生きていくことが大事」ということです。
ブログ主様と同様、小学校5年生でレベッカⅣ、6年でTimeというとびきりマセたガキでした。彼女がソロに転身してから、自分も社会人として大人になりつつ色々と社会経験を積みながら彼女の作品をBGMとして生きて来たような人生でした。昔の作品を聴きながら当時の自分の心境、来ていた服、よく連んでいた仲間、空気の匂いを思い出し懐かしく思います。そして現在、NOKKOが自分のペースながらも、常に何かしら活動を続けてくれていて嬉しい限りです。あぁ、一緒にこの時代を生き続けているんだなぁ、と。もちろんファンの皆さんも。Rebecca時代を素直に受け入れられるようになったNOKKOと、40代も半ばになった自分が彼女のソロ作品を聴きこんでいた頃、辛いことばかりだった過去を俯瞰して微笑ましく思えるようになった自分がなんだか被るのです。生きるってこういうことなのかもね、と生きるということにちょっとした感動と感謝を覚えている今日この頃です。なんだか最終的に何を言いたいのか不明になってきましたので、この辺で失礼しますが、素敵なNOKKO愛を持っていらっしゃる方に会えて嬉しかったです。では。
コメント嬉しく拝読しました。
実は私はソロシンガーNOKKOの熱心な聴き手ではなく、『人魚』のあとざっと四半世紀くらいNOKKOのコトを忘れて暮らしていた人間です。
だから、本当はこんな記事を書くのも素敵なコメントを頂くのもおこがましい限りなのですが、この記事を書いた動機は、ともかくNOKKOが過去の自分と折り合いをつけて再び世に出てきてくれて嬉しいという一点に尽きました。
隠遁時代(その間、立派に子育てされていたのをこう呼ぶのも失礼ですが)のNOKKOが実際にどういう心情で生活していたかは本人にしか分からないことですが、もしもREBECCA時代の楽曲やセルフイメージと現在の自身との兼ね合いで苦しんでいるならば、こんなに悲しい事はない、と。
思春期にNOKKOの書く歌詞、パフォーマンス、そしてイカした年上のお姉さんとしての生き様を見聞きして、こちらの人生は取り返しがつかないくらい影響を受けてしまってる訳ですから、現在のNOKKOが当時の自分や今の自分を否定したとしたら、大げさに言えば私の人生の一部まで宙に浮いた感じになってしまいます。
だから、NOKKOの再登場は文字通り他人事ではありませんでしたし、NOKKOが『フレンズ』を愛しい曲と呼んだ時、あの時代と現在がくっつき、止まっていた時計が動き出したように感じました。
コメントありがとうございました。