『ヌレエフの犬 あるいは憧れの力』
エルケ・ハイデンライヒ(独:1943-) 作
ミヒャエル・ゾーヴァ(独:1945-) 絵
三浦美紀子 訳
”Nurejews Hund oder Was Sehnsucht vermag” by Elke Heidenreich(2002) , Michael Sowa(2005)
2005年・三修社
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「醜い犬だ。」
カポーティは言った。
「連れていけよ、君の犬だ。僕のそばにこれ以上置いておきたくない。犬はにおいも強いし、食事のときにはピチャピチャ音を立てる。」
これは僕の犬ではない―――
と、ルドルフ・ヌレエフがいくら断言してもだめだった。
翌日のお昼近く、豪華な朝食をとって作家のもとを去ったのだが、犬は、早足で彼のあとを追ってきた。
玄関を出て、階段へ、それからエレヴェーターでいっしょに下へ。
彼らが出たあと、階上ではカポーティが、鍵穴に突っ込んだ鍵を三回も回してしっかりとドアを閉めた。
それは、一九八四年春のことだった。
このとき、トルーマン・カポーティは、余命あと半年、ルドルフ・ヌレエフは八年半。
犬のオブローモフには、まだ、まるまる一五年あった。
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ゾーヴァのイラスト目当てであったものの、エルケ・ハイデンライヒのお話も美しい。
ルドルフ・ヌレエフ(1938-1993。キーロフ・バレエ団のソリスト。1961年、フランス公演の際、西側へ亡命。パリ・オペラ座芸術監督を務めた)が、ニューヨークで、作家トルーマン・カポーティのパーティへ行くと、カポーティは酔払って床にはいつくばり、太った醜い犬と一緒に銀の深皿からシャンパンらしきものを直接飲んでいる。
こういう状況に対しては、
触らぬ神に祟りナシ・・・、
というのが一般的対応であり、周りの客も完全に無視を決め込んでいる。
深夜の電車で、たまにこんな人いるけど、酔った人間って、いざ床にはいつくばると意外とデカい!んだよね。
翌朝、記憶をなくしたカポーティにこの犬を押し付けられたヌレエフは、ゴンチャロフの1859年の長編小説から取って、犬をオブローモフと名付け、一緒に暮らしはじめる・・・。
ってなイントロなんだけど。
憧れの力っていうサブタイトル、要るんかいな。
ヌレエフの死後、犬を引き取ったピロシュコヴァと、オブローモフの親愛の情・・・、
とくにヌレエフのお墓参りをした後、二人(って言うか、一人と一匹)が再び絆を取り戻すとこが、美しい。
俺的には、犬が起こす奇跡よりも、そっちに打たれた。
互いに信頼しあえることを超える喜びって、他になんかあるんスかね。
■トルーマン・カポーティ関連
(1)カポーティの著作
・『ローカル・カラー/観察記録』(小田島雄志訳/ 1988年・早川書房)
・『夜の樹』(川本三郎訳/ 1994年・新潮文庫)
・『誕生日の子供たち』(村上春樹訳/ 2002年・文芸春秋)
・『ティファニーで朝食を』(村上春樹訳/ 2008年・新潮社)
(2)映画 de カポーティ
・映画 『カポーティ』
(3)絵本 de カポーティ
・『ヌレエフの犬』 エルケ・ハイデンライヒ & ミヒャエル・ゾーヴァ
<Amazon>
ヌレエフの犬―あるいは憧れの力 | |
ミヒャエル ゾーヴァ,Elke Heidenreich,Michael Sowa,三浦 美紀子 | |
三修社 |
その後、激やせしましたか?笑。
昨日、部屋の片づけをしてたら、
ゾーヴァの企画展の図録が出てきて眺めていました。
タイトルに入れたのはそのときの企画展名。
日本橋三越で開催されていて。2年くらい前だったかな。
友達がチケットをくれたんだけど、
そのときは「ゾーヴァって誰?」でしたが、
企画展に行って、
「あー、ウォレスとグルーミットのね」と、
彼の存在を認識しました。
えっらい、混んでいて、
遠目、かつ、通り過ぎる感じで見たなぁ。
観た、じゃないの、見た、だった。あれは。
でも、ブラックユーモアの効いた作風は、
とっても私の好みでしたわ~。
日本人にはあまい見ない、
外国人独特の感覚よねー。特に寒い地域の。