『九つの物語』
J・D・サリンジャー (米:1919-2010)
中川 敏 訳
"Nine Stories" by J.D.Salinger (1953)
1977年・集英社文庫
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腹を立てた笑い男は舌で仮面を押しのけて、デュファルジュ父娘に月光に照らされたむき出しの顔を見せた。
デュファルジュ嬢はその顔を見て気絶してしまった。
父親の方は幸いにも、ちょうどそのとき咳の発作に襲われたので、仮面を脱いだ必殺の怖い形相を見なくてすんだ。
咳の発作がおさまり、月光を浴びた地面に娘が仰向けに倒れているのを見て、彼は事情をすっかり呑みこんだ。
片方の手で目をおおい、笑い男の重くしゅうしゅう息のする方向めがけて自動拳銃の弾をのこらずぶちこんだ。
この回の話はそこで終わった。
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1965年から1作も書かずに引退・・・、っていうか隠遁していたサリンジャーだが、
柴田元幸によるNine Storiesの新訳 『ナイン・ストーリーズ』(2009年)や、
村上春樹のライ麦新訳 『キャッチャー』(2003年)もあって、
最近でも俺の生活にホールデン的な影 (何、それ?) を落としてはいた。
でも、今年初めにひっそりとサリンジャーが亡くなったとき思ったのは、
あの高校生の頃読んだ古い訳で Nine Stories を読もう、ということだった。
きっとみんな野崎孝訳(新潮社)で読んでるんだろうけど、
うちの本棚から出てきたのは、中川敏訳(集英社)だった。
俺にとって Nine Stories は、『笑い男』 と 『エズメのために-愛と惨めさをこめて-』 。
この2本と言ってもいい。
まあ、結構保守的な読者なんで。
あんまりぶっ飛んでなくていいの、俺にとって小説は。
そうか、俺はカポーティのアラバマ物に出会うより前に、『笑い男』 に出会ってたんだなぁ。
あの繊細さに・・・。
俺のなかで、この1篇は、カポーティのアラバマ物、『感謝祭の客』、『クリスマスの思い出』 に匹敵しとる。
俺のなかで完全に別格である、カポーティにですよッ。(知らんがな)
『エズメのために-愛と惨めさをこめて-』は、完全にロアルド・ダール。
軍人が少女と出会う設定が、ダールの 『カティーナ』 を思わせる。
俺のなかで完全に別格である、ダールをですよッ。(そうスか)
あーあと、今読むと 『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』 は、
これに心の闇を足したら、完全に 『ライ麦畑』 のホールデンって感じしたね。
でも、その話は長くなるので、また今度。
九つの物語 (集英社文庫) | |
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