放ったらかしだった。
15万ヒットということで、雑感。
今回だけ、地震の話。
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あの金曜日は都心の多くの人と同じく、歩いて家に帰った。
風が強い日だった。
霞ヶ関くらいから歩道に人が溢れてきて、満員電車に乗ってるような感覚。
押しくらまんじゅう状態で何時間も歩くのだが、皆マナーを守っていて、パニックが起こる危険も感じなかった。
青山通りで、倒れてしまったお婆ちゃんを助けおこしている数人の若い人を目にして、「集団としての成熟」という言葉が脳裏に浮んだ。
かと思うと、俺の前を歩いている若い男が、ツイッターだかブログだかUPしようと、閉鎖された首都高の入口なんかを一々立ち止まって、i Phoneでパシャパシャ撮影していた。
「首都高も閉鎖なう!」 みたいな。
家族の無事を祈りながら黙々と歩く人並みの中、俺はi Phoneパシャパシャ・マンに違和感を感じた。
神様、どうかこいつが帰り道で犬のウンコを踏みますように・・・。
あー、でも後ろを歩いてる俺も近すぎて踏むね、その場合。
余談だが、
地震後しばらく経つまで、
実は非日常にハシャいでいるだけなのに、ツイッターなどで好き勝手な情報をお役立ちトピックの体裁で流す人たちと、
心から人々の役に立つことを願って、限定的ではあるものの極めて実際的で有用な情報を流す人たちの見分けが付きにくい状況が続いたように思う。
これだけの膨大な情報と付き合うには賢さが求められるんだという、至極当然のことに気づかされた日々でもあった。
当たり前だね。
話は地震直後に戻り・・・、
翌土曜日の朝からはフル稼働で働いた。
俺は仕事で過去10年以上にわたり、災害対策関係のシステムを手がけてきた。(原発関連ではない)
手がけたって言うと、なんか偉そうだけど、まあ、事実、会社の中でそういう役割を負ってきた。
だから、今回の地震でも、さっそく被災地とシステムをつなぐ仕事が待っていた。
震災というのは、起こる瞬間まで誰も気にかけない。
莫大な労力を費やしたにも関わらず、誰にも愛されてこなかったこのシステム。
徹夜ばかりの、地味で過酷な10年間。
いつまで経っても完成しない巨大システムと格闘しているうちに、人生の重要な時期が過ぎ去っていた。
全力で挑みすぎて、だいぶ精魂を吸い取られた。
それまで、何事に対しても半身に構え、いい加減な人生を送ってきた俺の、人格さえも変えてしまった10年だったように思う。
ところが、不幸な地震によって、皮肉にも我が地味なシステムは、急に日の目を見る事になった。
うちの技術者たちは、俺なんかが焚き付けなくても、震災状況をTVで確認した瞬間から使命感に燃えていた。
地震翌週、明けて月曜日には全ての準備が整っていた。
俺のオーダーで、何十人もの人が土日の突貫作業につきあってくれたが、文句一つ出なかった。
その後も今日に至るまで、何度も様々な無理をさせたが、誰も文句を言わなかった。
使っていない部屋の電気を消したり、炊出しにカンパするくらいしか出来ることがない、個人としての自分。
大勢の仲間と一緒に、リソースを駆使して現地の手伝いができる、会社人としての自分。
当たり前だが、その2つの間には、大きな隔たりがあった。
心の中でひそかにずっと蔑んできた、組織の歯車でしかない「顔のない自分」を、わずかに許せた瞬間だったかもしれない。
逆に俺がずっと愛していた、一個人としての、プライベートの自分は、あまりに無力でお話にならなかった。
企業活動である以上、儲けを追求してやってきたことだから、地震のどさくさでそれを美化するつもりはない。
でも、心血を注いで何年もやってきたことが、今回困っている人たちの一助となったことは幸せだった。
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ほんで、これから、またいつもみたいな犬の漫才師に戻るとです。
ングッ・・・。
ブログも、何か書くとしたら、宇宙一しょーもないことに絞って書き綴りたい。
まあ、予告的には、ウンコトーク中心だよね。
なんでって、地震なんかに負けたくないからだよ。
※写真のワンちゃんは、毒を盛られて死んでるんじゃなく、ぐっすりお昼寝してるだけなので、念のため。