『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』
"This Sandwich Has No Mayonnaise/ Hapworth 16, 1924" by J.D.Salinger
J.D.サリンジャー(米:1919-2010)
訳:金原瑞人
新潮モダン・クラシックス
2018年・新潮社
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仲間といっしょにトラックのなかで、安全ストラップの上に座り、ジョージア州のさすまじい雨を避けながら、特殊部隊の中尉がくるのを待ち、腹をくくるときを待っている。
腹くらい、いつでもくくってやる。
トラックのなかには男が三十四人。
だが、ダンスにいけるのは三十人だ。
四人は帰さなくちゃならない。
右隣に座っている四人をナイフで刺し殺してやろうか。
大声で「空の彼方へ」でも歌えば、間抜けな悲鳴もきこえやしない。
それから、ふたり選んで、(できればカレッジ卒のやつがいい)、四人の死骸をトラックから、ジョージア州のぬかるんだ赤土の上に投げ捨てさせる。
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これはジョージア州の基地で「ライ麦畑」のホールデン・コールフィールドの兄、ヴィンセント軍曹がトラックのなかでこれから行くダンスパーティーの人選に頭を悩ましている話。
見てのとおり(読んでのとおり)、あたりはどしゃ降りで、しかもパーティーに行きたがる兵隊たちのうち4人を帰さなければならない。
雨は9日間降り続いている。
身体は濡れてどんどん冷えていき、パーティーに連れて行ってくれるはずの特殊部隊の中尉はなかなか現れない。
そんな中、ヴィンセントは弟のホールデンに思いを馳せる。
ホールデンは去年の夏、太平洋戦線に向かい、そのまま行方不明になっている。
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あいつはどこにいるんだ?
ホールデンはどこにいる?
作戦行動中行方不明って、なんだ?
そんなの、そんなの、そんなの信じるもんか。
合衆国政府は嘘つきだ。
政府は、家族に嘘をついている。
そんなばかな話があるか、嘘に決まってる。
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戦中と戦後を描いた4作品、特に『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる』を読んでいると、背筋が寒くなってくる。
怖い。
あのホールデンが、あの「キャッチャー」のホールデンが。
あの、繊細でやるせない思春期を経て、太平洋戦線で行方不明になっているんだから。
(もちろん、お相手は日本軍という事になる。だけど、ホールデンの敵は銃剣よりもコレラやPTSDであっただろう)
昔(1987年)、村上龍の『愛と幻想のファシズム』を初めて読んだとき、主人公冬二を思って彼女が牡蠣を食べながら泣くラストシーンを読んで。
当時、まだ僕は短パンを履いた少年(しかも当時の短パンは今で言うホットパンツ的な短いやつで、パンツの両脇からキン〇マが零れ落ちていた)だった訳だけど、
「へー、作家ってのは巧いもんだなぁ、牡蠣食べながら女の人が泣くのって、よく分からないけどなんかリアルだなぁ」
なんてボンヤリ思ったもんだけど。
本作『このサンドイッチ』でヴィンセントが雨の中、トラックに乗って、弟を思い出すシーンは「リアル」なんていう半端なもんじゃない。
雨で、待たされて、4人兵隊を帰さなきゃいけなくて(みんなパーティーに行きたい)、イライラして、でもなぜかずっと弟のホールデンのことを考えている。
読者はどしゃ降りのジョージア州の基地に気持ちを持っていかれてしまう。
気付けば、僕も兵隊たちと一緒にトラックの荷台に乗っている。
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あいつほど行方不明になりそうにない人間はほかにいないくらいだ。
あいつはいま、このトラックに乗っていてもおかしくない。
ニューヨークの家にいてもおかしくない。
ペンティ・プレップスクールにいるのかもしれない。
(略)
そうだ、あいつはペンティ校にいて、まだ卒業していないんだ。
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訳者の金原さんが確かな仕事をされていて、ここ、ちょっと泣いてしまう。
弟の太平洋戦線はおろか、その前に出征したヨーロッパ戦線にも出向いておらず。
まだ学生で卒業さえしていないんだ、というヴィンセントのあり得ない妄想が僕を泣かせる。
本書には8編の短編と、サリンジャーが生涯最後に発表した作品(1965年にニューヨーカー誌に掲載された)『ハプワース16、1924年』が収められている。
『ハプワース』は中編とでも呼ぶべき長さだろうか。
戦中、戦後の4作には心を揺さぶられる。
そして、とても怖くなる。
『最後の休暇の最後の日』では、第二次世界大戦中、ホールデンの兄、ヴィンセントが友人のベイブ宅を訪ねる。
ヴィンセントはスマートな都会の男子だ。
ベイブの一家はヴィンセントを温かく迎える。
ヴィンセントもベイブもヨーロッパ戦線への出征が近づいていて、
ベイブは妹のマティルダ(スーパー・キュート!)に何度も怪我をしないことを誓わされている。
『フランスにて』では、戦場に来たベイブが疲れ切って、今夜眠る塹壕さえ掘れずにいる。
ベイブは暗がりの中で無事を祈るマティからの手紙を読み返す。
そして、大事そうにその手紙をシャツのパケットにしまう。
前述の『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる』では、ヴィンセントがジョージア州の基地にいる。
しかし、弟のホールデンは既に遠く太平洋戦線で行方不明になっている。
そして、ベイブの家を訪ねた時の穏やかでスマートなヴィンセントはここにはもう居ない。
最後に『他人』では、ベイブがヴィンセントのかつての恋人を訪ねる。
ホールデンは結局帰らず、ヴィンセントもヨーロッパ戦線で死亡している。
ベイブとミセス・ポーク(ヴィンセントの元彼女だが他の男性と結婚した)の気持ちは、どうしようもなくスレ違う。
ベイブには妹のマティが居てくれて助かった、マジで。
ホールデンの、あの世界中の若者が追体験したカサついてヒリヒリした思春期(キャッチャー・イン・ザ・ライ)の後に待っていたのは、こんな結末だったと思うと正直ブルっちゃうね。
出しっぱなしだったキン〇マが震える。
みんな、消えて無くなっちゃうってのは、まあさすがにいい歳なんで。
分かっちゃいる訳だけどね。
理解するのと覚悟するのは違うってことかな。
ホールデンに置いていかれて、弟想いのヴィンセントにも置いていかれて。
行き場のない読者の気持ちが、しばし宙を漂う。
<熱帯雨林>