『夜間飛行』

また靴を履いて出かけるのは何故だろう
未開の地なんて、もう何処にもないのに

『三四郎』 夏目漱石

2012-09-19 | Books(本):愛すべき活字

『三四郎』
夏目漱石(日:1867-1916)
1909年・春陽堂書店
1938年・岩波文庫


うーむ・・・、エロいぜ美禰子(みねこ)。

何回も耳元で「stray sheep(迷える子)」とか言いやがって。

今度・・・、今度また至近距離でstray sheepと言ったら、どうしてくれようか。

おまけに、stray sheepを描いた葉書まで送りつけやがって。

全く、この葉書を穴が開くほど見つめながら何をしてやろうか。


ここで突然、話は変わるんだけど、2008年7月に「ほぼ日」の企画で、吉本隆明の講演があった。

会場はウチから歩いて10分くらいの昭和女子大だった。

吉本さんの講演のなかで、ふとした拍子に漱石の『三四郎』が出てきて、話の本筋とは関係ないところだったんだ
けど、俺はハッとした。



「是非、読みたい!」と思って日々大量の本を買い込むものの。

毎日死ぬ気で働いて、その後はキレイに酔っ払っちゃうもんだから、結局なんにも読めないの。


でも、買い込んだ本たちは決して忘却の彼方には行かず、『読めてない本リスト』が常に頭の中に正確に記憶されていて、だぶん数百冊あると思うんだけど、そのリストのトップが『三四郎』だったのだ。

だから、この日、吉本さんの口から突然『三四郎』が出てきて、一人でハッ!となったという。


たしか、吉本さんは講演のなかで

「『三四郎』はとても愉快な青春期なんだけど、そんな中にも云々・・・」(←4年前の記憶なんで不正確)

という趣旨で一瞬だけ『三四郎』に触れていた。


愉しい本だ、確かに。

こんなに愉しい小説はあんまし無い!とまで思っちゃう。

与次郎とか野々宮とか、みんな生きてるよね。

そして、三四郎がこの先どうなっていくのか全く見当もつかないところに何とも言えぬ余韻がある。


残された漱石の手紙によると、主人公の三四郎は、平々凡々であることを意図してわざとボンヤリした名前が付けられたそうだ。

そのへんは、まあ、文豪だけにいろいろ作為的に・・・っていうか小説家なら作品の中で何らか仕掛けて当たり前だよね。

なんだけど、この小説から日露戦争後の日本社会への批判とか、そういう「裏」を無理やり読み取る必要は無い!と断言したい。


単純に楽しんで読まないと勿体ない。

三四郎と一体となって、大都会・東京に感嘆し、悪友の与次郎に振り回され、勝手に野々宮先輩に嫉妬し、そんでそんで美禰子の思わせぶりな一挙手一投足に悶々とすればいいのだ。

俺はそんな感じで身を委ねた。


しっかし、美禰子が目の前にいたら別に明治時代じゃなくて現代でも全く太刀打ちできんで。

そして三四郎。

キミってば、まるっきり俺自身だね!


■おまけ

1994年、フジTVに『文學ト云フ事』という深夜番組があった。

毎回、文学作品を1つ選んで、視聴者に作品の魅力を紹介すべく映画の予告編仕立てで中身を見せてくれるという趣向。

これは相当、面白かった。


普通、1話完結のドラマにしちゃうところを、あえて映画の【予告編】ですから。

取り上げる作品も、安部公房の『箱男』とかね。

センスを感じさせた。


その『文學ト云フ事』の記念すべき第2回で漱石の『三四郎』が取り上げられ、ヒロインは井出薫だった。

俺はこういう無駄な情報を何年もはっきり覚えている。

94年の深夜番組で『三四郎』の美禰子を井出薫が演じたっていう無価値な情報、これまで長い間、狂おしいくらい使い道がなかった。

今まで本当に苦しかった。

だから、今書いたった!


■おまけのおまけ

と思ったら、『文學ト云フ事』をyoutubeにアップしてる人がいました。
懐かしい!
http://www.youtube.com/watch?v=JI5duG1GXes



<Amazon>

三四郎 (岩波文庫)
夏目 漱石
岩波書店

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