『夜間飛行』

また靴を履いて出かけるのは何故だろう
未開の地なんて、もう何処にもないのに

『随想 春夏秋冬』 宮城谷昌光

2018-02-04 | Books(本):愛すべき活字

『随想 春夏秋冬』
宮城谷 昌光(日:1945- )
2015年・新潮社
2017年・新潮文庫

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見合いの相手の氏名がようやくわかった。

「本多聖枝(きよえ)」と、いう。

実家は織布業であるという。

かつてその家業は盛大であったが、いまはさほどでもないらしい。

大家であっただけに兄弟姉妹は多く、どうやら姉妹は三人で、いちばん上の姉はとうに嫁に行ったようだが、残っている姉妹のうち、その聖枝という人がどちらになるのかわからないという。

―――あいかわらず怪しい話だ。

私は小腹が立った。

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出会うべき本には、きっと出合うべきタイミングで出会う。

たぶん、放っておいても世の中はそのように出来ているので、あまり焦らなくても良いのだと思った。

ここ15年くらい宮城谷さんの小説は読めていなかった。

だから宮城谷さんの本を、しかも小説でなく、随想を読もうなどという発想が、自分のどこから出てきたものか釈然としない。


でも、読み始めるや否や、俺は今まさにこの宮城谷さんの淡々とした語り口をこそ求めていたのだと得心がいった。

本を開くや、コレや、ワイこんなん読みたかったんやッ、と思わず叫んでしまった。


冒頭のエピソードは、宮城谷さんが後に妻となる女性とのお見合いを振り返ったエピソードだが、この続きがすこぶる良い。

「私は小腹が立った」の後はこう続く。

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気が短い私は、東京へ引き返したくなったが、明日だけのことだ、と自分にいいきかせて我慢した。


翌日、青柳旅館にでかけた。

雪が落ちてきた。

細雪である。


旅館の女将はにぎやかに私と母を迎えてくれた。

ほどなく、相手の女性が到着した。

着物姿ではなかった。


室内にはいってきたその女性の脚をみて、

―――まさか。

と私はおどろいた。


その脚であれば、冷たい闇に私とともに沈んでゆき、やがて浮きあがってくることができる。

この人は私の妻になりうる、と直感した。

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脚を一目見ただけで嫁さん決めちゃったよーん(笑)


これだけだと何のこっちゃ分からないと思うけど、当時28歳であった宮城谷さんは作家を志すにあたり、ボードレールの『悪の華』のなかにある「秋の歌」の冒頭、

Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres ;
(やがて私たちは冷たい闇に沈むだろう)

を座右の銘としていた。


なんでこんな暗い一文が座右の銘になるのかと言えば、氏は小説家として立つには

「いちど地獄のようなところでのたうちまわり、そこをぬけてゆかなければならない」

と固く信じており。


しかも、ボードレールの一文の主語が

「やがて私たちは」

と複数形になっている事に着目し、

「私はまだ結婚していなかった。が、妻となる人とともに冷たい闇に沈んでこそ、私は本物の小説家になれるのではないか」

と、だいぶアレをこじらせていらっしゃったのである。


その前振りがあって、聖枝さんが、宮城谷さんのお眼鏡にかなう脚で見合い会場に現れたという訳。

結局、ほとんど言葉も交わさず、沈黙のままにお見合いは終了するんだけど、事後に氏は

「結婚してもいい」

と母に伝え、先方からは

「行きます」

の、一言で結婚ですから。


その後、現在まで40数年続く夫婦関係を決めたのは、言葉じゃなくて、まあ、脚だったという事でしょうね。

味わい深いなぁ・・・。


<熱帯雨林>

随想 春夏秋冬 (新潮文庫)
宮城谷 昌光
新潮社
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