『夜間飛行』

また靴を履いて出かけるのは何故だろう
未開の地なんて、もう何処にもないのに

L.A.滞在記

2015-02-02 | Life(日常):書いとかないと、忘れちゃう

ロス・アンジェルスにいてます。


普段、旅のことは一切書いておらず。

また、今回の旅は仕事的には朝から晩まで打ち合せだらけのハードな旅程なんですが・・・。

でも、その隙間隙間で、早起きして街をちょっと歩いたりしていたところ、途中で立ち寄ったサン・ディエゴを相当気に入ってしまいまして。

ちょっとその辺りを。


1、<出発前>まず、恵比寿のウェスティンで腹を満たしてから旅立つコト

手前から書きすぎてアメリカ関係ないやんけ、という話もありますが。

恵比寿でレストランに入ると、何がイイって、ビールの銘柄で迷う必要がないのがヨロC。

料理が何でアレ、まずヱビスビールを飲むべきだから。

普段、新橋で1杯180円の生ビールを飲んでるので・・・。

1杯1,200円のYEBISUにおて手が震えながらも、結局はグビグビ飲むという。

まあ、そんな日があってもよかろう。


2、<出発前>成田で”Octopus's Garden” ザ・ビートルズ

成田空港の第1ターミナル、3FにあるFa-So La DRUGSTOREが、とってもビートルズLoveな薬局であるコトをご存知だろうか。

店内のBGMもビートルズ(音量大きめ)なら、コンドームの宣伝ポップまでビートルズのイラストだ。

歯ブラシを買いにブラッと立ち寄ったら、その時にちょうど店内で流れていたのが”Octopus's Garden” !


この曲は『アビイ・ロード』(1969年)収録の、世にも珍しいリンゴ・スターの作品なのだが。

(リンゴの作曲はビートルズのキャリアを通して2曲しかない)

俺は学生時代から、この曲のとぼけた味わいが大好きなのだ。

成田空港で”Octopus's Garden”が聴けるとは、幸先が良い感じで。


3、 『大統領の陰謀』


そして、機上の人になると、今度は機内での上映作がなんと『大統領の陰謀』"All the President's Men"(1976年・米)である。

『コールガール』"Klute"などを撮ったアラン・J・パクラ監督が、ウォーターゲート事件を題材にして撮った映画。

俺も小さい頃(短パンの脇からハミ〇ンしてた頃)、本作を見て

「よし、将来はひとつジャーナリストで行ってみよう」

なんて思ったとか思わなかったとか。


若き日のロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン演ずる2人の記者が瑞々しい。

時間が有り余っているので、2回観たった。


ちなみに原作はワシントンポストの実在の記者、ウッドワードとバーンスタインの手記。

日本では常盤新平さんが翻訳していて、当時ご本人も自信作だと言っていた。



ところで、窓際の席の巨体のアメリカ人がビール(完全にスーパードライ縛り)を毎回3缶単位で4回も頼むので、異様にオシッコに行く。

トイレに行く度に俺が体をどけるのを気の毒に思ったのか、スッチーからスナック菓子をくすねてきては渡してくれる。

しまいには自分の鞄からスニッカーズを取り出してわけてくれる。

いつ寝ようか迷っていたが、こうなったら仕方ないのでオジサンと酒盛りである。

オジサンはスマホで奥さんと子どもの写真も見せてくれた。

奥さんはシンガポールの方。

息子さんかわいかった。


4、 L.A.のダウンタウンで、自分が米国人でもここには住んでなかっただろうなと妄想するコト

L.A.のダウンタウンを歩きながら、もし米国人に生まれていたらやはり俺は東海岸に住んでたんじゃないかと思う。


たまに西海岸に思いを馳せてウットリなんかしながら、東海岸に住んでいたと思う。

どーでもいい妄想だけど、この点についてはかなり確信がある。

小さい頃からそう思ってきた。

L.A.がキライとかそういう事ではなくてね。


5、定宿に帰り、NYの寒波のニュースを見ること

仕事相手とのディナーに、米国人はアメリカン・レストランは飽きてるだろうと思ってイタリアンを選んだものの、値段の割には味がいまいちでさぁ。

暖炉に火がくべられちゃって、雰囲気は相当良いんだけど。

こういう時、やはり東京のイタリアンのレベルは高いなぁと感じる。

バーで飲みなおす。

旅行中、ここはほとんど俺の第二の部屋となった。

地ビール美味い。

初日だけチップを弾んだので、サモハンな店員の接客がものすごくよくなった(笑)

深夜に部屋に戻ると、N.Y.の寒波のニュースで持ちきりである。

CNNが「こいつは歴史的だよーん」と繰り返している。

しかし、ここはカリフォルニアで俺はシャツ1枚。

部屋にはデフォルトで冷房が入っている。

米国は広い国だ。


6、サン・ディエゴへ旅立つこと

ふーー、翌日のミーティングってば非常に厳しかった。

ここにきて、日本でシミュレーションしきれなかった問題も色々と露見してきた。

しかし、チームワークでなんとか乗り切り・・・、夜、サン・ディエゴ入り。


定時を回ったので、フライト時刻を待ちながらLAXでビールを飲み始める。

飲みながら、同行のOさんと色々と喋る。

彼は若い研究者だが、むちゃくちゃ優秀である。

米国の技術者とも対等に渡り合っている。

こんな優秀な人間と仕事ができて嬉しいなっと。


サン・ディエゴに着くと、結構な時間だ。

レストランは閉店間際なので、バーに飛び込んでメキシカンを食べながら飲む。

ここで偶然別件でホテルに居合わせたウチの会社の社員と知り合って飲んだのだが、この人も超優秀で驚いた。

オッサンだと思って敬語で話していたのに、よく聞いたら後輩でもっと驚いた。

部屋に着いたらバタンキュー。

この半開きになったカーテン(おそらく酔った俺が外を見ようとした)の外の景色に、翌朝驚くことになる・・・。

7、ディエゴのこと

朝起きたら、窓の外に穏やかな海が広がっていた。

前夜はお酒を飲んで倒れこんだので、窓の外がすぐ海であることを把握してなかった。


さて、ここからはディエゴ(愛情をこめてこう呼ぶことにした)のコトを書きたい。

今回珍しく、FUJI ROCKでもないのに旅行記的なものを書く気になったのも、この街のおかげである。

一言でいうと、最高に気に入った。


しかし、10時から某社と打ち合わせである。

街を1秒でも長くうろつくため、スーパー早起きして朝食をかきこむ。


ディエゴはカリフォルニア州内、第2の都市で、1850年にメキシコから割譲された。


一言でいえば軍港(海軍と海兵隊の基地がある)なのだが、現地を実際に歩いてみると、町の表情はとっても穏やかだ。


なんとなくコロニアルな雰囲気も好み。

もともとスペイン領で、次いでメキシコ領だったコトを考えれば、この感じも頷ける。

ディエゴに関しては、意識的に写真多めでお送りしております。


街の人の感じも良くてね。

歩いてても、何度か車に道を譲ってもらったり。


このトロリーにちなんだ地ビールもありまして、勿論飲みました。

Karl Strauss Brewing Company の Red Trolley Ale。

フルーティーじゃない甘み。

相当美味かった。


サン・ディエゴと言えばパドレス。

これまでの人生を野球、野球、で来た俺なので、どうしてもぺトコ・パークに足が向いてしまうね。(USO)


子ども(チビチビ)に土産。

マグネットカー。

軽く後ろにひきつけると、チョロQ的に疾走する。


サーフボードにSan Diegoと書いてある。

まあ、日本で言えば「飛騨高山」と書いてあるペナントのようなもので、この街を訪れる前の俺なら

「あははのはー」

などと笑っていただろう。


しかし、ディエゴに恋をした今、俺はこれを買うことに何のためらいも感じなかった。

店の壁に50車種くらい貼り付けてあったので、運命の1台をすげー真剣に選んだのだった。


それどころか、カリフォルニア州内全域の土産モノ屋で広く見かけるクマのマグカップで、自らコーヒーを飲みたいとまで強く願うようになっていた。

これは別にディエゴに特化してない単なるカリフォルニア土産なんですが。

それくらい好きだ。

これって恋かしら? 



8、ディエゴを離れ、L.A.に戻る

もう1件打ち合せがあるので、ユナイテッドの国内便でロス・アンジェルスへ戻る。

機体は30人乗りのEMB120、見ての通りのプロペラ機だ。

座席は3席シートが10列の可愛らしさ。

カリフォルニア湾の上空、銀色のシャーシに機体が映りこむ。


俺は生涯で400フライトくらい経験していると思うが、生まれて初めて緊急マニュアルを目に通す。

どこを見渡しても機内に救命胴衣が無いからだ。

どこにあるんだ、救命胴衣?

チッ・・・

それ(クッション)、ちゃんと浮くかテストしたんだろうな?

9、再びL.A.

無事に帰着し、夜、仕事を終えて定宿へ。

ここで、だめもとで取引先某社に電話してディナーに誘う。

米国人たちが快諾してくれたので、急遽、評判のステーキ&シーフードのレストランを押さえる。


いい夜になった。

まず、仕事の話を中心に日米メンバーで盛り上がったのだが。


昨年、この会社が10人くらいのチームで来日した際、なかに1人日本人の青年(Kさん)がおり。

俺は彼とも是非じっくり話をしてみたいと思っていたのだ。

この晩はKさんとも色々と話すことができた。

Kさんは米国のパブリック・アイビーに進み、専攻した学科を活かせる企業が日本より米国に多かったので、そのままこちらで就職したそうだ。

29歳の好青年ながら3人の子持ちである。

米国ではさほど珍しくないとのこと。


この旅では格好いい若者に沢山出会って、刺激を受けるなぁ。

ひきかえ、俺はいつまでこのいい加減トークだけで世の中を渡っていくつもりなのかなぁ。


10、国境の南、太陽の西

さて、定宿にも別れをつげて、帰国の途。


暇つぶしにWIRED。

映画を2本。(なかなかB級で俺好みでした)


そして、村上春樹の『国境の南、太陽の西』。

この旅にちなんで家の本棚から持ってきた。


一体、この小説のどこが旅にちなんでいるのかと言いますと・・・、

国境の南はナットキング・コールの歌のことで、これはアメリカ側から国境の南、すなわちメキシコに思い馳せる歌。

我がディエゴことサン・ディエゴは西を太平洋、南をメキシコに面しており、大都市で最もメキシコ国境に近い街なので。

要するに、この旅のお供にこれほど相応しい本もないのでアール。


いやー、実は俺、1992年にこの本が出たとき、

「これは村上作品の頂点だ・・・」

なんて感動したクチでして。


今振りかえると、いくらなんでもこの内容で1番は無いだろうと(笑)

長篇のなかで、中の上くらいには入るほど好きではあるんですが。

なんか当時の自分にとって、ピンと来る部分があったのかしら・・・。

若いワぁ。


ちなみに、飛行機で読んでいるとき、機内食のチキン・ローストのグレイビー・ソースがこの本の裏表紙にこぼれた。

一応拭いたけど、ちょっとだけ染みになったのでぇ・・・、

この染み、旅の良い記念になるなぁ。


おしまい。

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