いろは歌が、文献上最初に見出されるのは1079年成立の「金光明最勝王経音義」で、これが原文であろうと言われます。
以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
余多連曾津称那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須
とありました。 これは、金光明最勝王経についての字義や発音を解説するもので、音訓の読みとして使われる万葉仮名の一覧で、7字区切りで、同音の文字1つか2つが添えられています。
また、その後の1287年成立の了尊「悉曇輪略図抄」 「いろは歌」は、七五調の今様歌になっていて、手習い歌として最も知られています。
(その解釈)
色は匂えど 散りぬるを ・・ 美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
我が世誰ぞ 常ならむ ・・・この世とても自然の定めとして、いつまでも生き続けられるものではない。
有為の奥山 今日越えて ・有為転変、無常の迷いを今乗り越えて。悟りに至れば、
浅き夢見じ 酔いもせず ・・もはやはかない夢を見ることなく、仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である
この歌は 、無常観を歌った極めて仏教的な内容の歌で、涅槃経の「諸行無常偈」を訳したものではないかと言われています。
(その意味と解釈)
諸行無常、諸行は無常なり、・・・・ すべての存在は常に移り変わる。
是生滅法、これ生滅の法なり、・・・ 是がこの生滅する自然の法であり苦である。
生滅滅已、生滅を滅しおわりて・・・ 生滅への苦にとらわれる事を無くして。
寂滅為楽、寂滅して楽となる、・・・ 寂滅をもって楽と為す。
さらに、 「般若経」の「色即是空 空即是色」とも通ずるといわれます。
この「いろは歌」を詩吟で吟じたり、和歌調に朗詠したり、俳句のように明るく朗詠したり、また、越天楽や黒田節のように謡ったりもします。
いろは歌を自分への教訓として作ってみました。
【いろは歌その1 終り】
以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
余多連曾津称那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須
とありました。 これは、金光明最勝王経についての字義や発音を解説するもので、音訓の読みとして使われる万葉仮名の一覧で、7字区切りで、同音の文字1つか2つが添えられています。
また、その後の1287年成立の了尊「悉曇輪略図抄」 「いろは歌」は、七五調の今様歌になっていて、手習い歌として最も知られています。
(その解釈)
色は匂えど 散りぬるを ・・ 美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
我が世誰ぞ 常ならむ ・・・この世とても自然の定めとして、いつまでも生き続けられるものではない。
有為の奥山 今日越えて ・有為転変、無常の迷いを今乗り越えて。悟りに至れば、
浅き夢見じ 酔いもせず ・・もはやはかない夢を見ることなく、仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である
この歌は 、無常観を歌った極めて仏教的な内容の歌で、涅槃経の「諸行無常偈」を訳したものではないかと言われています。
(その意味と解釈)
諸行無常、諸行は無常なり、・・・・ すべての存在は常に移り変わる。
是生滅法、これ生滅の法なり、・・・ 是がこの生滅する自然の法であり苦である。
生滅滅已、生滅を滅しおわりて・・・ 生滅への苦にとらわれる事を無くして。
寂滅為楽、寂滅して楽となる、・・・ 寂滅をもって楽と為す。
さらに、 「般若経」の「色即是空 空即是色」とも通ずるといわれます。
この「いろは歌」を詩吟で吟じたり、和歌調に朗詠したり、俳句のように明るく朗詠したり、また、越天楽や黒田節のように謡ったりもします。
いろは歌を自分への教訓として作ってみました。
【いろは歌その1 終り】
生徒を持つ身、自分が正さないと、と、自分に言い聞かせてはいるんですが、煩悩が先に立ってなかなか出来ません。
これからも頑張ります。
ありがとうございます^^
毎日 鏡を見て声を出すと、良さそうですね^^
「いろは歌」その2も声に出して実践すると、気分爽快。
楽しませていただきました^^
正しく声を出すのは、気持ちが良いのですね。
何気なく使っている「いろは歌」が、こんなに奥が深いとは思っても見ませんでした。
神様か仏様にでもならない限り無理な事でしょう。
よぼじぃは、あまりにも煩悩が多すぎます。
除夜の鐘で一つでも減ってくれればと願います。
生滅滅已寂滅為楽・・・この様な心境になれるのでしょうか?
「色即是空 空即是色」皆がこの心境になる事ができれば世の中平和なのでしょうが。
かく言う私も煩悩だらけ、除夜の鐘で煩悩を祓わなくては。