サンダー杉山blog

まあいろいろと。音楽主体かな。あと本とかアニメとか。

悪の美学1

2007-07-02 23:17:29 | Weblog
 何事も二元論で割り切れるものではない。

 あまり大学で何かを学んだ、ということはない。とカッコつけたいところだが工学部でエンジニアリングの勉強をしたことが僕の思考パターンを大きく決定づけている事は認めざるを得ない。本当は理学部でサイエンスを勉強したかったのだが「受験」というシステムを突きつけられた若き日の僕にとって偏差値というのは絶望的なくらい大きな価値観であった。

 二浪して後が無い、ということより受験勉強がいい加減しんどい、と思った。

 忘れもしない1月の事だった。12月に行われた全国模試の結果は自己最高の結果だった。それまで行く事がためらわれていた予備校の進路相談室なるところへ行った。模試の結果と行きたい大学のリスト、試験日程……。進路相談室の相談員の顔は今となっては思い出せないが話した内容ははっきりと覚えている。

 僕の作った行きたい大学リストの偏差値と試験日程、模試の結果を並べて相談員は言った。

 「レベル的にこの中間を受けてみたら。偏差値が5くらい開いてると間が受かっちゃったりしてもったいないよ」

 結果的にそうなってしまった。受かったのは滑り止めと試験の日程でちょうど開いている日に受けた第一志望マイナス偏差値5の大学だった。しかも第二志望の大学の理学部でなく工学部。かなり複雑な気分だった。

 思ってもいないことを勉強しなくてはならなかった僕は思ってもいない価値観にぶつかった。

 「許容応力度法」

 本来はサイエンスな分野で絶対的な自然の法則を勉強したいと思っていたところに「許容応力度法」である。想定以上の応力がかかれば壊れてもしょうがない、と言われたわけだ。絶対ではない。ものづくりは「経済的」に行う。さらに「耐用年数」があり「サイクル・コスト」という概念を押し付けられ、そこでデザイン(設計)を行うのである。橋梁の設計の課題はパラメータの一つが学籍番号の下3ケタというめちゃくちゃなものだった(いまはめちゃくちゃだと思っていない)……。

 そういったことを経て二元論で絶対的な思考パターンの10代は現実的に可能なことを考える20代になって行った。