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みいのしっぽ

毎日の暮らしの中でうふふって笑っちゃうことを書いていきたいです。

なつかしいがっこう

2014年09月16日 | 直江津



   14日はレインボーセンターにて  実家の父の米寿のお祝い会があり 私が父の代理でいってきました


   国鉄に勤めていた父  退職後はOB会の仕事を積極的にお手伝いしていた父


   OB会の主催でのお祝い会でした  白寿 一名  米寿27名  喜寿 一名


   米寿の方々が一番多く ご自身で出席されていた人も多かったです


   55才で退職後 33年間・・・OB会員として 勤務年数とほぼおなじ時を過ごしたわけです


   北陸新幹線が通り  JRもときめき鉄道となるこの時代・・・ひとつの歴史がおわり


   あらたな時代がくるんですね。  4人に一人が高齢者のこの日本。。


   父の姿をみつつ  自分自身のこれからの人生までかんがえてしまいまいた



    式典のあと  ぶらぶらと直江津小学校まで歩きました


    ずいぶんと様子が変わっていたわ。。






     やぎさんがいて  ひとなっつこく鳴いていた


    校舎の一部が ふれあい館だったかな  絵手紙展をやっていたので入ってみる。。


    そこの受付?の年配男性としばし歓談。


    意外なことがわかりました  昭和30年ころまでは 直江津の小学校はここだけだった


    私の時のクラス名は  松・竹・梅・桃だったけれど  そのころは一組・二組といっていた


    そして子供が多くなったので 南小学校と別れた  駅前には中学があった


    その中学が南小学校になり  もともとあった中学は ひばりがおかに移転したという。。



       でたわ!  ひばりがおか   すかさず聞いてみた 御幸が丘のこと。。


     やはり 私が聞いたのとおなじことをおっしゃっていた



     ひばりがおかのあたりは 砂丘だったんですよ・・・・とも言っていた



     お礼を言って別れる   天王川の横を歩きながら川を見たら


     なんと とってもきれいで 魚が泳いでいた。。   変わったなあ・・・・しみじみしちゃった



      井田花やさんのとなりで 習字を習っていたんだけれど その家は当時のまま残っていた


      とってもなつかしくて  眺めながら当時の習字の塾のことを思い出しちゃいました

なおえつ

2014年09月15日 | 直江津



   タコ公園によって~ 直江津中学にいきました   もちろん母校。。


   なのに知らなかったわ この碑のこと   りっぱな碑がたっているのは見てたけど・・・これがなんなのかは???



    昭和天皇がこの地にいらして  ここで演説をされたことを記念して建てられた碑







    裏にかいてありました   昭和22年   ここに天皇陛下がいらしたとね。。


    それまではここらへんのことを ひばりが丘とよんでいたそうです


    でも昭和天皇がいらしてからは  ここを御幸が丘と名付けたそうです



     そしてこの碑の石は 福島城の石垣のひとつを持ってきたそうです


     仙台石? というのだとか。。   すごいのね。。 中学の時おそわったのかしら?覚えてないけど・・・



    私はマハヤナ幼稚園でした  園歌をいまでも覚えているんです(こうゆうのは覚えているのよ)



    ♪ みゆきがおかにほどちかく   アカシアのみどりうつくしい


      みんなおいでとまっている  みんなおいでとまっている  たのしいマハヤナようちえん



     御幸町という町名のことを 御幸が丘と言っているのだと思っていました


     ちがったのね・・・・・知らなかった   またひとつ 直江津のことわかりました。

四十物祭り

2014年09月13日 | 直江津



   お天気がよかった今日  直江津のいちへ・・・・


   中央商店街では 四十物祭り(あいもの)があり にぎやかでした


  なつかしい まるふじのフラワーパンがお目当てだったけれど  すでに完売でした がっくし・・・


  次回もあるそうなので  今度は書いたいいなあ・・





   こんな看板がありました  





   毎年このお祭りはライダーがいっぱい。  四十物(魚の干物)をあぶって食べて 一杯のむのかな?


   でもライダーは飲めないよね。。






   つたがからまる ライオン像の家  もうこのライオンさんを見ても 怖くないよ


    中では ひぐちさんの個展と 直江津の偉人  福永十三郎さんの展示がありました








    いにしえの物がいっぱい・・・・なんだか不思議な空間です  


    ちょうど今週の火曜日に 佐藤先生から福永十三郎のお話しを聞いたので


    パネルを読んでも わかってよかったわ  直江津と高田のこと少しずつわかってきました


    けっきょくみんな直江津の人なんじゃない。。  ってことだね・・・

     
    

おせんまい納めの夜

2014年07月30日 | 直江津



   29日はお休みをとり  朝からほとんど一日実家にいました


   ちょうちんを妹がだして・・・・やっぱりお祭り気分になるね






    昼間にちょっと八坂神社の参道へ・・・・夜店のおじさんたち 寝てたわ  夜に備えてんだね



    金魚すくいはやっぱいいね  金魚いっぱい。。






    父をお風呂に入れたり  買い物したり  夕飯つくったり  忙しかった


    どんどん  ぴーひゃら・・・・八坂神社の音が 祭り気分をもりあげて


    家にいても なんだかそわそわしちゃうわ


    夕飯後  JCVを見てたんだけど  映像はTV  でも音声は生で聞こえてくるのよね


    なんだか不思議な 実家ですわ  目の前神社だもんね



    たまらず お参りにいったとき  ちょうどおせんまいをかついだ若衆がきた


     わっしょい   わっしょい







     TVで観戦の 父も母も喜んでいたからいいんだけどさ



     鳥居ギリギリの駐車ってのはいかがなもんなのかしら?


     中継してみなさんに見せるのはいいよ   でも神社を荒らされるのは心がちょっと痛いわ

祇園花火の夜

2014年07月26日 | 直江津



   きょうは暑かった   いろんなところでお祭りなんだろうね


   団地も今日はお祭り   三時に子供みこしがでました  暑い中ごくろうさま


   見送った後 直江津へ    夕方になってから 花火を見にでかけました



   すごくきれいだった  大きな花火  スターマイン   ナイヤガラ・・・・今年はバッチリみたわ





   FM-Jのやぐら    仕事中の森田さんに手を振る 迷惑な花火客になってしまった







    こんなおもちゃも買ってしまった   キラキラ  ピカピカ






    お神輿さんが川を下ってお帰りになった   ご無事でなによりです


    もっち近くでみればよかったなあ。。。

いよいよですね

2014年07月25日 | 直江津



   23日  お休みだったので午前中は義母のところへ   元気そうでよかった


  お昼からは実家へ・・・・私をまっていたように 風呂に入りたいという母


  お風呂をわかして  買い物をして   お昼を食べて・・・


  お風呂に入ったら さっぱりしたと喜んでいた母(私は完全にお女中さん扱いだ)



  父はあいかわらず  ベッドでねたまんま   ご飯のときはおきてくるけど



   二時くらいに八坂神社からたいこの音  あわてて行ってみたら


   お神輿さんがいらした   これから高田へ旅に出られる


   神社の中では神事の最中   マスコミが来ていた


   ことしは開府400年だからね  取材も多いみたいだわ









     イトーヨーカドー 一階で23日から始まった  ひぐちキミヨさんの個展


     祇園の気分満載   これを見てからお祭りにいくのが最近のブーム



     今日25日は高田の民謡流し・・・・・にぎやかなんだろうな。。

庭だった場所

2014年07月14日 | 直江津



   八坂神社は生まれた時から見ている神社   毎日遊んでいた場所 じぶんちの庭みたいだった


   ここもそうさ・・・・この石碑がなんなのか  まったく知らない


   あたしの台所だった  ここではっぱや砂や石でごはんつくって ままごとしてた


   のら猫といっしょに遊んでた  右側の石のところにこしかけて ちょんべさって呼んでた


   お店でアイス買って ここで食べた  けんかしたり かくれんぼしたり


   自転車の練習したり  ぜんぶここだった。





   となりのお稲荷さん   夕方になると 時々 油揚げやお酒があがっていた


   それをもって 岩片さんのところに届けたりしていた





   そのとなりのお社   これは神明宮   このあたりは笹薮だったんだよね

  

   笹船をつくったりして  あそんだんだよね   旅人のおじさんとお話ししたり・・・


   今の時代とは違う  子どものころの思い出  今は 知らない人としゃべっちゃだめでしょ





  これは松尾神社   とっくりがあるでしょ   お酒の神様です





    以前はここにあった  もう少し左側で木造の社だったんだよね


    ここは人目につかないからさ  笹薮もあるし よく野良猫がいてさ  エサやったもんよ


    懐かしいのに 遠い場所・・・よく知らなかった八坂神社のこと  勉強できてよかった






     芸術的な彫刻もいっぱい  これも毎日みてたんだよね





   ここもそう  この上にのぼって  こそこそ話するのがすきだったのよね  南側





   こっちだとじいちゃんにみつかっておこられるから  いつも反対側にかくれてたんだよね






    八坂神社のお神輿さんが高田へ行くのは  決して高田と直江津が合併して上越市になったからではありません


    もっと昔からの 奥深い理由があるんです。  でも・・・詳しくわからないから書かないけれど


    合併したからではない・・・・ここを強く言っておきます  



     地域のことを学びながらら少しづつ 書けたらいいなと思います


 

謎の言葉  八坂神社編

2014年07月13日 | 直江津



   直江津を語るには祇園祭は絶対。。  26日の花火・ 28日のお神輿帰還 29日のおせんまい納め


   どうしてもじっとなんかしていられません   血が・・・血がね  DNAがね うずうずするのよね




    そんでもって  八坂神社 なんですが 私は生まれたときから見ているので とくにどうってこと思わなかった


    でもすごい歴史のある 神社なんですよね  写真は駅前ではない方の 北側の鳥居。


    28日のお神輿さんはこの鳥居から お帰りになるんです。 それも子供のときから当たり前と思っていた


    勝手な理由   駅前は民謡流しで混んでいるから   参道は露店がいっぱいで通れないから・・・



    とか思っていたのですが  佐藤和夫先生が言うには  安政2年の 東講商人鏡(あずまこうあきんどかがみ)


    に社殿の絵図が載っていて この絵図の北側に鳥居があり そこが正面だったとのこと。


    だからお神輿さんはこの写真の北側鳥居から お帰りになるのか・・・・・と思ったわけ





    ここにお神輿がしまわれています。






    本殿の外 北側からみたところ   ここ 今はコンクリートで固まっているけど


     私が子供のころは 石垣だったのよね  そしてカミナリに打たれた松の 大木が無残な姿でここにあったのよね


   じいちゃんの謎の言葉   私はずっと八坂神社って呼んでいたんだけれど


   じいちゃんは ときどき はっちょうじさんって呼んでいたんだよね  


   そしてお神輿さんのことだと思うんだけど  おてんのさん・・・と言っていた


   これも 佐藤先生の講座でわかった  祇園の神様 牛頭天皇は神仏習合の神だった・・・これは納得


   そして明治まで八坂神社は 今町祇園社と呼ばれていた 祇園社は 牛頭天皇・八人の王子・天皇の妃が祀られている


   それて 八王子社ともいわれた ・・・それがなまって はっちょうじになった


    お神輿を お天王さんというのも 牛頭天皇をご神体として乗せているから・・・・なっとく 爺ちゃんの謎 解明。。

続き・・・2

2014年07月12日 | 直江津
  地元の事って近すぎてあまり知らない事が多いんです


  ちょっと勉強しようと思い 佐藤和夫さんの講座に参加したんですよ


  それがまた嬉しいことに  泉蔵院と八坂神社  祇園祭りのお話しだったわけ。。


  そのとき聞いたのが曼荼羅寺のこと。。  うんん!! って思ったわけ  謎だった言葉がまさかここできけるとは。。


  直江津は今 祇園太鼓と笛の練習まっさかり  夕闇せまるとあちことで 祇園ばやしの音がきこえてきます


  祇園祭の祭神である午頭天皇は神仏習合の神様   昔の八坂神社の呼び名・・・今町祇園社には


  その神仏習合のお寺があった・・・その寺を曼荼羅寺と呼んでいたそうな。  大正13ねん・・・


  直江津駅前の床屋さん Fの前の道路を工事していたら 五輪塔やら石仏がたくさん出てきたんだそうだ


  ここらへんの昔からの字名が曼荼羅寺だったことから これらの出土品が曼荼羅寺の遺物と思ったんだって。


  そして地域の人たちで 泉蔵院の本堂前に祠を建てて出土品を祀ったんだそうだ・・・・これでじいちゃんの謎が解けたのよ





   これがその祠です。。    知らんかったわあ   むかしっからあったわこれ。。


    幼稚園のころ この柵につかまって中をのぞいたわ。  そんでもって石ばっかあるからなんだろうと思ってたら


    だれかが  新潟地震の時に壊れた五重塔のかけらをしまってあるんだって 言ってたのを覚えてるんですけど・・






    これが中の様子・・・・祠もぼろぼろなんだよね  しかし そんなに貴重なものだとしらんかったわ


     600年も前のものだなんて・・・・すごいわ  当時の直江津の人すごいわ  曼荼羅寺跡


     つまり・・・・泉蔵院と八坂神社はつながっているってことなんだわあ。。  知らんかった。。←しつこい







     祠の向かいに建っている石碑  よく見るとね 曼荼羅寺・って文字が読めるのよ


     昭和三年三月の文字・・・・私の父親生まれてたわぁ。。  すごいね。。


     佐藤和夫先生のおかげで  少し直江津の歴史! わかってきたわ


     実家の近くなのに しらんかったわ・・・・・来月の講座も超楽しみです


     でも まだ続くの  八坂神社編があるんですわん

曼荼羅寺1

2014年07月12日 | 直江津



   私は直江津育ち  泉蔵院も八坂神社もすぐ近くにある


   子どものころはどっちも遊び場   特に思い入れとか歴史を知ろうとか なんもおもわんかった


     泉蔵院のこと  ちょっと書いてみたいとおもいます   ちょっとだけね


   写真の空き地にあった マハヤナ幼稚園   私と妹と私の子どもがここに通った(今は移転しました)



   仁王さま   小さいころはこわかったのよね





  横にあるゲタ   でかいね





   これ お百度まいりの数をかぞえるやつでしょ?


   子どもの時は小判だと思っていた   数えたことあるんだよね  100枚なかったようなきがするんだけど






   本堂・・・・よく見たことなかったけど   直江山ってかいてあるのね





   鐘つき堂  子どものころは位置がちがったけど  当時から鐘はなかったと思う  どうだっけ?



    このお寺について興味深いお話しを聞いたので 実家に行ったときに改めて見学したんです


    子どもの頃  じいちゃんが このお寺を曼荼羅寺って言っていた   謎の言葉・・・少しだけどわかったんです