Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

たい吉 暖をとる

2008年12月17日 | Weblog
今年、コタツをテレビの前においた。
 
近年、稀なことである。

リビングは、だらしなさの宝庫と
なってしまったが、
自然と子ども達と、足を突っ込み、
一緒にテレビをみたり、食事を
するのはいいことだと思う。


しかし、たい吉が猫のくせに
コタツにはいらない。
押し込んでも、すぐ、逃げ出す。
3歳にして初めての炬燵だから、
なれないのだろうか?
閉所恐怖症なのだろうか?
鼻がつまるのだろうか?
とあれこれ、娘と話していた。

たいちゃんが暖をとるのは、
トイレである。

ドアをあけると、たいちゃんが、便座の上に
のっそりと横たわっていて、びっくりする。

トイレはウォシュレットのおかげで
ほんわか、温かく、猫には暖をとるのに、
最適な温度のようだ。

私は
「おかしいではないか!」と思った。

冬のトイレといえば、寒くて、お年寄りは
脳卒中に注意しないといけないのが
相場だったはずだ。
猫のくせに、炬燵を嫌い、ぬくぬくとしている。

私は、ウォシュレットの電源をきり、
昨日はリビングの暖房をきった。
そうして、やっと、たい吉は炬燵に
少しずつ、入り始めた。

たい吉は室内飼いなので、冬の寒さ、夏の暑さしらずで
結構なことである。
布団の中にも、はいらない。

しかしながら、猫は炬燵でまるくなってほしいものである。
「ねこは炬燵で、まるくなる~♪」
いい歌だ。


ある土曜日

2008年12月15日 | Weblog
土曜日の午前中、
土曜講座の英会話にいくと、
その日が、最終だった。

私は、唖然とした。

この一年、たいした英語の勉強を
していない。
そして、2年間、お世話になった先生に
「最後」という覚悟をしてこなかったことが
なにより、いやだった。


しかし、土曜日は、行く前から、のどがいたくて、
レッスン中も悪寒がしてきた。
いけない。
今夜は、集まりがあるのだ。
夜までに、体力を回復したい。
子供の昼食を用意してこなかった。

というわけで、先生に丁寧なご挨拶をせずに
そそくさと必死でかえっった。
それは、後ろ髪を引かれる思いだった。
私らしくない行動なので。


そのまま、夕食をつくり、
夕方から、忘年会にいった。

昨日は、その疲れで、一日中、家でいた。

英語の先生にも、忘年会であつまった仲間にも
いつもは、そのあとに、お礼メールを出すのが、
私なのだが、ちょっと、無理で、今日に
いたっている。

楽しい、有意義な時間をくれた方に
お礼をいう。
少し、時間がおくれても、そういうメッセージを
直接だす人間でいたい。

ちょっと、律儀すぎて、自分で首を
しめているかも?と思うが、
そういう風に、育ったのだ。
自分でも育てたのだ。

こんな調子だから、用事をこなせず、
情けないことも多々ある。
今日も目の前には、
たくさんの用事があるのだが、
いくつ、こなせるだろう?



補正

2008年12月13日 | Weblog
昔、着物をきるとき、
痩せていたので、
補正だらけだった・・・。

着物が、綺麗におちつくのは
寸胴型である。

腰のくびれなど、ないほうが
綺麗なのだ。
着崩れもしやすい。

若いときの私は
着物のしたに、たくさんの補正を
足していた・・。


最近、外出するのに
着物をきたことがないので、
いい加減に着付けをする。

若いときにつくってもらった襦袢も
着物も帯も、サイズが合わない。
着物は、サイズ調節が、可能な衣服だが
やはり、自分の身の丈にあったものが
一番いいのに、違いない。

若いときと洋服のサイズが、変わり
体型も変わった私には
今、「足す」補正はいらない。
しかし、補正がほしい。

うう・・。
こんなに、太った、と実感してしまう。
いまや「削る」補正がほしい・・・。
お肉を削りたい。

思えば、「足す」補正は簡単だったのだ。


着物モード

2008年12月13日 | Weblog
友達が、着物をきて
京都散策をした、
という話と写真で
もりあがった。

最近、「着物着たい!」モードに
なっていた私は、やっとこさ、
ちょっと、着物をきてみた。
きるのは、早いのに、
そこまでが、なかなかだ。


挨拶と口上のことば

2008年12月12日 | Weblog
「いってきます」
「いってらしゃい。」

「ただいま」
「おかえり」

これらは、対応する挨拶の
言葉がある。

うちの家族は、
「おかえり」というと
「うん」とエラソウにいう・・・。
「『ただいま』でしょ。
幼稚園で、ならったでしょ!?」と
私はあきれる。

うちの子ども達は、幼児教育は
割りとはやかったはずだが・・・。


私の母は、
「ごちそうさん」というと
「よろしゅう、おあがり」といったものだった。

京都では
「いってきます」というと
「はよう、おかえり」
というのと同じ理屈だったとおもう。


手土産を渡すときは
「これ、ほんのつまらないものですが・・。」と
謙遜するのが、本来の口上であった。

しかし、最近、私は、贈り物をするとき
たいてい、メッセージカードに
「これは、○○によさそうなので、
お送りしたくなりましたので」という
ニュアンスを書くことが多い。

もちろん、お年寄りで気を使う人には
そんな口上は述べない。
しかし、そういうご挨拶を述べる機会、
そのものがないのである。

ご挨拶と口上をちゃんと述べられることは
日本人の美徳であり、文化であった。
今や、お歳暮をもってきてくれるのは
宅急便の人だ。
その中に、ちゃんとした、ご挨拶状が
はいっていると、なんだか、ほっとする。
その中には、美しい日本語がいきている。





Sarah Brightman & Andrea Bocelli - Time ...

2008年12月11日 | Weblog
Sarah Brightman & Andrea Bocelli - Time to Say Goodbye


私は、「さよなら」をいうのが、
下手だ。
「さよなら」は、大嫌いだ。

ほとんど、自分からは言わない。

「来るもの拒まず
去る者追わず。」

って、いう人がいるが、
なんて、かっこいいのだろう。

だから、結果的にいつも
去られるという形になる。

いかないでほしい。
どうして、私をおいていくのか・・。

未練たっぷりである。
時に追いかける。
その切なさといったら、
みじめで恥ずかしくて、
しまいに、おこったり、すねたり
ひとり相撲をとって、静まるまで
ずいぶん、時間がかかる。

私が、「さよなら」をいうのは、
自分が納得したときだけ。

それも、何回も心の中でいったあげくだったりする。

この間の大河ドラマ「篤姫」のなかで、
幼馴染の小松帯刀と再会し
別れるとき、さすがの篤姫さまも
心細くて、「さみしゅうございます。」と
つぶやく。
小松は、
「また、会える日を楽しみにするため
人は離れなばなれになるのです。」という。

そんなの、いやだ。
お別れはいやだ。
私なら、号泣してしまうところだ。
篤姫さまは、
「そうですね」と希望もったふりをして涙ぐむ。

会うは、別れのはじめなり、
といわれようと、いやだ。

卒業式とか、お葬式といった
式典はいい。
覚悟ができるから。

みんなも泣くし、自分も泣ける。

ひとりでなくのは、情けないものだ。

私は、誰にでも、
「こんにちは!」という人間であって、
「さよなら」をいえる人間ではない。
仕方ない・・・。

「Good by」より、
「See you」というほうが、好き。

大嫌いなのは、私もこたえないうちに
さっさと去られること。

私は、そういう人間が、大きらい。
ちゃんとご挨拶しようよ。
日本語には、
こたえる言葉が、必ずあるのだから。

ただ、ときどき、さよならをいわるのが
あまりにも嫌いなので
自分から、チャットをきってしまうことはある。
友達に「じゃあね~!」といって
いってしまうことはある。
去るほうは、なんて楽なんだろう。
って、いつも思う。



今年の出会い

2008年12月10日 | Weblog
今年も、あと残すところ、
わずかになった。

昨年の年末から今年の初めに
かけて、占いをみたら、
どれも同じことがかかれてあった。

「出会い」がある、というのだ。
それも、「運命の出会い」などと
かかれてあるのもあった。

なにか、私がこれから生きていくのに、
影響を与えるという。

若い小娘じゃあるまいし、
まるまる、信じるわけでないが、
あまりにも、どれもこれも
そうかかれてあるし、
おまけに、占い師にみてもらったら、
やはり、同じことをいわれた。

1月から、私は、気をつけはじめた。
初めて会った人には、
「この人なんだろうか?」と、静かに
五感にきいてみたりした。
こんなところで出会いたくない!
というときには、
「人と会いたくないオーラー」をだして、
そばにいる人と心の中で、壁を作った。

お陰でそんなに、悪い人とは、出会わなかったような
気がする。

憧れる人との出会いもあった。
ちょっと、困った人との出会いもあった。

私は、どんな出会いにも
心をこめた。
しかし、「情」をこめるのを
たまに間違えた。

心をこめても、情をこめなければ、
その人との関係が、不愉快な思いを
したとしても、大きな傷にはならないのだ。

でも、私は、情をこめてしまうことも
あった。

そのあと、ひどく、疲れるものだ。
まず、怒りがくる。
落胆、失望がくる。
そのあと、寂しさや悲しみがくる。

感情にも
マイナスとプラス。
動と静があると思う。

マイナスの感情はつらいものだ。
怒りが「動」なら、失望や悲しみは
「静」である。

はじめに、「動」がきて、次に「静」がくる。
それも、全部、うけとめなければならない。
その時期が、つらい。

私は、これまでにも、
たくさんの傷をおってきた。
人より、傷がつきやすい、やわな心だと
占い師も、みんないうから、そうなのだろう・・。

マイナスの「静」の感情を受け止める。

今年は、たくさんの出会いが、確かにあった。
そのたびに、
「この人と出会うということは、
なにか、意味があるのかしら?」と思うこともあった。
ふと、気になって立ち止まる人だけである。

意味がわかるまでに、時間がかかることもある。

さてさて、一年のこの時期になって、
ふりかえってみる。

「たいした意味など、なかったのだ」
と思っていいのかな?
まだ、わからないか・・・。

先にかいたように
心をこめるのは、全員だが、情をこめるのは
限られた人にである。

深情けの私は、自己嫌悪に陥ることも
多かったかもしれない一年であった。

私は思う。
「出会わなければ良かった」と思う人は
いるものだ。

そんな人に出会ってしまったら、
早く、忘れたいし、
浄化したい。



コタツ布団を買いにいって・・・。

2008年12月07日 | Weblog
結婚したとき、新婚家庭の
食卓は、コタツであった。

夫の叔母さんが、お祝いに
立派なコタツ布団セットを
くださったのだが、
柄が気にいらなくて、私は、
珍しく、ミシンで、カバーを作った。

重たい布団は、さらに重くなった。

大きな敷き布団とかさばるかけ布団を
もてあまし、狭くて、汚す幼児がいる暮らしに
あわず、夫の実家に送ってしまった。

そのあと、転居もしたが、コタツは、
しまわれたままの時期が長かった。

昨年、コタツを出そうとおもったときは、
コードがなくなっていて、
ただの座卓としてつかっていた。


コードだけかって、かろうじて、コタツを復活したのだが、
今年は、いよいよ、リビングに進出させた。

そこで、困った。
コタツ布団がない。
特に敷き布団がないので、
座布団の上にすわっても、フローロングの上に
はみでたお尻がつめたい。
ああ、しっかりとした、コタツ布団がほしい!

しかし、しかし、あのかつて、お祝いにいだたいた
コタツ布団のレベルは、経済的にとても手がでない。
今年は、我が家は、かつてないもの入りの日々なのだ。

・・・・というわけで、昨日、次女と「ニトリ」にいってきた。
普段の私なら、買わないような柄であるがこの際、仕方ない。
横のソファーとまったく、調和していないが、
それはそれでいいことにする。

目的にしていたセットものは、あまりにぺらぺらなので、
やはり、予算オーバーしても、もう少し、ましなのにした。

あと5000円だせば、それなりのものがかえたような気も
するが、もう、パワーがない!
なにしろ、ニトリの前までいっているのに
ナビちゃんのいうことをきいたら、まったくたどりつけず、
車線変更で、事故を起こしそうになりながら、
ついたときには、私は、くたくたであった・・・・・。

帰りは、あのいやな交差点をさけて、ナビちゃんに
さからって、走りやすい道をゆっくり走った。

すると、横浜の中央卸市場の前で、信号でとまった。
「ここには、やすくて美味しい食堂があるって、
ブランチ(テレビの『王様のブランチ』)でいっていたよ。」
と娘がいった。

そこで、運転手は左折し、卸売り市場の食堂で、800円なりの
ボリューム満点のランチを二人でわけて食べた。
美味しかった!
しかも、1人400円ですんだ。


隣の若い家族は、900円の刺身定食を食べていたが、
そのお刺身の分厚くて、美味しいそうなこと。

「今度は、絶対、あれにするよ。
穴子天ぷら定食、カキフライ定食も
攻略しなくっちゃ・・。」

食堂のおばちゃんたちは威勢がいい!
言葉は荒いが、元気でいかにも
活きがいいのである。そして、親切だ。

「景気がいいときは、ホテルで、食べるのもいいけれど
我が家は、今、大変なんだから、賢い消費者になること。
こういうところで食べられて、よかったわ~!!!」
と、ニコニコになった・・・。

一昨日、テレビで、銀座の限定品の
番組をみていたのだが、
「銀座もいいが、中央市場はいいね~」である。

しかし、帰宅すると、家人の一言で、火宅になってしまい、
私は、先ほどまで、意識不明になっていた・・・。

ラジオでいっていた。
「小さな幸せがつながれば、それはずっと幸せということだよね」

小さな幸せを見つける癖をつけても
小さな不幸で、ど~ん・・・と不幸になるクセも
なかなか、直らない・・・・・。

GIRL NEXT DOOR - [幸福の条件] Shiawase no Jou...

2008年12月04日 | Weblog
GIRL NEXT DOOR - [幸福の条件] Shiawase no Jouken



デビューして間もないのに
紅白を決めた!
オメデトウ!

この曲も元気になる一曲。

テレビで、彼女たちがでていたら、
高校生の子供が
「ほら~!おかあさんがすきな人たち
でてるよ。」って。

普通は、子供のほうが、ファンじゃないの!?

パンジーたち

2008年12月03日 | Weblog
外には、こんな感じで、ポットにはいった
ビオラ・パンジーたちが
ずら~とあった。

これも、独り占め~!!

工場の人たちは、店員さんではないので
「勝手にみて~」という感じだった。

それで、ゆっくりしている場合じゃないのに
つい・・。つい・・・。

広大な工場を散策してしまった。

パンジーは、いい匂いがする。
すでに、春モード・・・・。
花のエネルギーをもろにもらって
リラックス・・・。
エッセンシャルオイルにしても
生の植物にしても
最近、敏感になったようだ。