Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

お燗

2008年06月28日 | Weblog
今週、残念だったことのひとつに
火曜日のドラマ「おせん」が
最終回だったことがある。

このドラマは、「食」について、
考えさせられることが多く、
また、懐かしいものも
たくさん、でてきたのである。

単純に、蒼井 優の
魅力を初めて存分に味わったことも
あるが・・。

最終回を子ども達とみていたのだが、
主人公のおせんが、なくなっては
困るものの中で、
「お燗」といったとき、
娘が、いきなり、
「『オカン』って、なに?」と唐突に聞いた。
私は、
「えっ!
『オカン』がわからないの!?」と
めちゃくちゃ、ショックだった。


私の実家では、父が、毎晩、晩酌をしていた。
冬は、お燗の日本酒だった。
娘の祖父ふたり、父親と呑ん兵衛だ。
娘は
まだ、お酒をのまないけれども、
お酒が好きかもしれない、
といっていたのだから、
内心、血は、逆らえない、と思っていた私だった。

しかし、今のうちの生活の中に
お燗は、ないものなので、
仕方ないのだ。
・・・と思っても、すごくショックなのと、
説明したが、一言で、
「日本酒を湯煎にして
温める」といっても、
ちっとも、美味しそうでないことに、
またまた、残念になってしまった。

映画「泥の河」のなかで、
田村 高広さん演じる父親が、主人公の少年に
「のぶちゃんがつける、お燗が美味しい」という。
性格が、のんびりしている、のぶちゃんは、
ちょっと、間抜けな、温度で、お燗をつけるのだ。

八代亜紀の歌の
「お酒はぬるめの燗がいい~♪」
というのも、
美味しそうだ。
私は、お燗は、優しい、ちょっとぬけた温度が、
絶対的に美味しそう!とおもっている。

個食で、手をかけた料理も、
ファーストフード店のように
消費される我が家にあって、
お燗は、滅亡したものだ!
とオカンは、嘆いてしまった・・・。
(おばさんギャグで、失礼しました)m(__)m



週末

2008年06月28日 | Weblog
今週、書きたいことがあったのに、
はや、一週間たってしまった!

今日は、草いじりをして、
やっと、雑草を抜き、
朝顔の種をまいた。
例年より、遅すぎる。

・・・というのも、
そろそろ、暑くなろうか?という頃に、寒い日があった。
大雨がずれてふったような気もする。
やっと暑くなってきた。
とおもったら、また、寒くなった。
そんな、天候不順で、なんだか、
私の暦がずれてしまっている。

今日は、いただき物の筍を煮しめた。
もう、破竹になってきたが、
例年は、ふっくらとしたものを
たくさん食べるのに、少なかったから、
「これで、春がおわりだよ」と思えなかった。

さっきは、5月の末につけた梅シロップを
初めて飲んだのが、いつもは6月の中旬に
つけるのである。

こういう季節のものも、私はいただき物だったり、
買い物にいって目についたから、買ったりするから
いわば、「お任せ」のものだと思う。
しかし、日記やはっているシールをみたら、
毎年、だいたい同じ日なのだ。
お天道様のお任せが、暦。
日本は、稲作行事が暦なのに、
最近、いろんなカレンダーが、ずれずれだ。
季節感を大事にしたい、と思い、
大事にできることは、そのうち、とても、贅沢なことになるかな?
昔は、冷房の部屋にいることが贅沢だった。
夏に汗だくになることが「贅沢」になったりして!?

7月の初旬から、中旬は、
いつも、憂鬱になる。
これも、2週間ばかり、早く、憂鬱になってきている。
梅シロップと同じペース。
不思議だなあ~。

大きな紫陽花

2008年06月25日 | Weblog
道の片側は、今、
たくさんの紫陽花が咲いている。

紫陽花は、土の性質によって
色が違う。
でも、一つの花の群れに、
青と赤と白が混じっていたりする。

少し位置がちがうだけで、
薄い水色や濃い紫だったりする。

ここの紫 陽花の特徴は
とにかく、大きい!
野生に近いというか、
のびのびと大きい。
多分、うちの子供がいっている学校の敷地だと思うので、
人の手がはいっているのだろうが・・・。

写真の私の手は、
すごく小さいわけでない。
紫陽花の大きさが、
わかるだろうか?

花をそのまま頭にのせれば、
昔、来日されたときの
エリザベス女王さまの帽子
そのままになる。
(あのお帽子は、記憶に残る美しい帽子だった。
この季節だったのだ、ということを
強く、印象づける)
ちょっと試してみたいくらい。
道に落ちている花(正確には、がく)の
かけらを拾って、家に持って帰り、
小ぶりの花瓶にいれても、グット!だった。

だたし、紫陽花の葉は、毒があるので、
草花をかじるのが大好きな猫のたい吉が
手(歯)の届かない場所に飾るのに、
結構、四苦八苦している。

紫陽花のこみち

2008年06月25日 | Weblog
鎌倉の紫陽花が満開らしい。

長谷寺と明月院はいったことがある。

でも、ここは、
私の一番のおススメスポット。

この季節が、一番いい。
歩いてすぐなのに、
なかなかいけないのは、
駅から歩くときの抜け道だから。

近所の子供や地元の人しか通らない
「紫陽花のこみち」と私は、密かによんでいる。
今年は、いけないかも・・・。
と思っていたが、今日、やっといくことができた。

描いた餅より・・・

2008年06月24日 | Weblog
土曜日の夜、
「アド街っく天国」を時々、視る。
少しでも知っている街や、
これから行きたいと思っている街なら、
朝、新聞でみたとき、
「よし!みるぞ!」と思う。

まったくしらない街でも、
楽しいときもある。

でも、一番、面白いのは、
地方ローカルの街情報。

東京は、憧れるときもあるし、
いけない距離でもないから、
行く候補に入るのだが、
「行ける」という可能性において
考えてしまう私には、
やはり、住んでいる県の情報番組のほうが、
力をいれてみてしまう。

知り合いは、旅番組をよくみている。
「いけないから、テレビで視ている」という。

私は、「行くつもり」で視るタイプ。
日本国内なら、
「いつか、行けるかもしれないときの
ために・・。」と視る。

絵に描いた餅は、美味しくない。
食べる餅でなければ・・・・。

変なたとえだが、いつも、そうおもって、
「この街は、とても行くことはない」と感じると
アド街から、ローカル局へチャンネルを
変えるときがある。

そうやって、少しずつ、
街を知り、街を体験し、
街を好きになるのだ。

でも、HANAKOは、
あまり、ちゃんと見ないなあ・・・。



大雨の休日

2008年06月22日 | Weblog
天気予報によると、
今日は、午後から豪雨になるという。

娘と午前10時にスーパーの駐車場にはいり、
ツタヤにいって、半額で、DVDを借り、
娘は、塾へ
私は、フィットネスへ行く、予定だった・・・・。

ところが、
駅前にいくまでに、車が混んでいる!
混んでいる・・・。

「こんな時間にどうして!?」と娘は
いぶかり、
「なにか、セールでもあるのかな?
雨が降るから、みんな同じこと、考えているんじゃない?」と私。

9時から、あいていたのだろうか?
予定の屋上駐車場に車を入れられず、
遠くの駐車場へいれた。

スーパーも混んでいた。
スーパーの前にでたら、「市」をやっていて、
安いのだ!
で、思わず、大きなバナナなどを
かったので、荷物になったが、そのまま、ツタヤへ。

重い荷物を持ったまま、クラブにいき、
出る頃に、大雨。
これを見通して、サンダルを履いてきたのだが、
食品売り場では、あまり買わないように
注意しないといけなかった。
お米も安かったのにな・・・。

雨がふった午後は、すいていた。
朝の混雑が嘘のようだった。

それにしても、すごい大雨で、
被災者の方のご苦労がしのばれる・・・。

回転すし屋にて

2008年06月21日 | Weblog
先日、初めての大型スーパーにいった。

そこに、回転寿司屋さんがあったので、
入ってみた。
貼ってある広告に
「はものお吸い物」があったからからである。

関西人の私は、夏は、はもが恋しくなる。

そこの回転すしは、大阪系らしい。

平日、昼下がりの回転すしは、
すいている。
真っ先にはものお吸い物をマイクで
オーダー。
この値段で、美味しいものが食べられるのだろうか?
という安さ。

これは、満足であった。
隣に年配の女性がきた。
なれた様子で、次々と、オーダーをする。
こういう人が、きっとここのおススメを
しっているのに違いない。
少し、チェックさせてもらい
あとで、同じものが、流れてきたら、
選んだら、やっぱり、正解!だった。

ベルトにのって、
つぎつぎと、お寿司がくる。
それをみているうちに私は
少し、うれしくなった。

普段、回転すしにいくと、
早く食べないと!と、せかされているような気になる。

その日は、ゆっくりした空気のせいか、
そこのベルトの速度が遅いのか?
「これ、食べたら?
これはどう?」と、
優しくすすめられているような気がしたのだ。

私の実家では、父親が、鍋奉行で、とりわけてくれた。
なにかにつけて、親が、やいやいと、
指図し、すすめたり、怒られたりした。

結婚してから、とりわけてくれる人もすすめてくれる人も
いなくなった。
私は、誰かに、いれてもらう習性が、抜けず、
いまだに寂しいのだ。

回転すしは、一見、自分でとらなければならないので、
寂しいといえば、寂しいものかもしれない。
しかし、その日、私は、
ひとりでカウンターに座って、
つぎつぎと、すすめてもらっているような、喜びを
感じてしまったのである。

寂しい話かな?
書いているうちに
とても、寂しい人間のような気がしてきた。

どこの奥さんもお母さんも、
そんなものだと思う。

私も、今、自分が家族に
取り分けることが多い。

昔は、お好み焼きを食べにいっても、
ひっくりかえす必要がなかった。
お店の人か、一緒にいった人が
返してくれるから・・・。

「はい、どうぞ!」という勢いで、
差し出される食事は美味しく、うれしい。

だから、カウンターに、座るのが、
割りと好きなのかな?

家では、お茶ひとつもいれてもらえないなあ~。



楽器

2008年06月20日 | Weblog
友人は、最近、アコーディオンの練習を
しているらしい。
「なかなか、難しい・・。」ということである。

さもありなん・・・。
ということで思い出したこと。

前に甥っこが、幼稚園でハーモニカが
必修なので、必死に練習していた。

ハーモニカは、私が、小学校1年で、であった楽器である。
懐かしくなって、
「ちょっと、かして!」といって、
おばさんとして、威厳を保とうと
チューリップくらい、吹こうとしたら、
すらすらと音楽にならない!

吐く音と吸う音。
そして、音階は、横に動く・・。

この二つの動作を6歳の私は、できたのに、
今は、できないのである。

「意外と難しいものをしていたんだなあ・・。」と
6歳の私に敬意を表した。
楽器は、小さいときに、体で覚えるのが
一番かもしれない。

合奏が好きだった私は、多少、いろんな楽器を経験した。
アコーディオンも、右と左の動きが違う。

それは、ピアノを両手で弾くとか、そういうことではないのだ。

さて、現在の私は、音楽を聴くのは好きだし、
毎日、たくさん聴いているが、
まともに演奏できる楽器は?
というと、一つもない!

我が家には、子供たちのリコーダーも
鍵盤ハーモニカも、ピアノも、ギターも
カスタネットも、お琴もあるのに、
一曲もまともに、曲を奏でられない。

最近、練習しているのは、口笛で、
「ホーホケキョ!」である。

先生は、外で啼いている鶯。

口笛も奥が深い楽器である。
どこまで、続くかな?




Really !?

2008年06月19日 | Weblog
時々、チャンネルを変えて、たまたまやっていると、
NHKの英語番組を
視ることがある。

誰もいないとき、視ると、
集中して、程度に頭の刺激に
なって気持ちいいのだ。
それと、外人の先生が、質問しても
正解を必死で答えなくてもいいので
気が楽だ。
ちなみに「初級英会話」である。

昨日のある番組での内容。

「Really~!?」
「That’s  great !」
というのは、
「特別な情報、
びっくりする情報をきいたとき」に
返す言い方。
(たとえば、「彼女は、おとなしくて、恥ずかしいがりやだと
思っていたけれども、バスケットボールが
大好きで、上手なのよ。」とか)

「Uha ha・・・・。」とは、
そんなに、特別でないことを
きいたときの、相槌。

・・・というようなことを
アメリカ人の先生が、英語で、説明してくれて、
ロールプレイングで、生徒たち(世界からきた若者)
が、使ってみる。

私は、そこで、気がついた。

前に書いたが、
最近「実は・・・。」という言い方が
多すぎないか?ということ。


「Really?」という言葉を使いたくなるような話だったら、
「実は・・・。」と切り出してほしいのだ。

で、「Uha ha・・・・」という感じの内容なのに、
「実は・・。」ということが多い、と私は、気になって仕方ないのである。

(「どうでもよい・・・・。」という声が聞こえてきそう)

英語の会話の感覚が、日本語会話の中でも
席捲し始めているような気がする。

それを昨夜、英会話の番組を視ていて、
「そうそう、この感覚なのよ!」と悦にいっていたら、
友人から直メールで、
「実は・・。」という文がきた。

これは、「Really!?」といいたくなることだったので、
すっごく、正しい「実は・・・。」なのだった。

私も知らず知らずに
「実は・・。」といっているかも知れない。

我が家の場合、オチがないと、
子供たちから、
「それで?・・・。」という手厳しい言い方が
かえってくるので、注意している。

相手の反応の言葉を
期待しつつ、話をして、
思った反応がかえってきくる、ということが
会話上手、ということなのかな?











ゆりちゃん

2008年06月18日 | Weblog
こちらも、大輪になった
ゆりちゃんである。

まっすぐ伸びれば、結構たかいと思うのだが、
あじさいくんたちにおされて、
地面を這うようにして、花だけは、しっかり、上をみている。


このゆりも、娘がほったらかしにしていた
球根を地植えに変えて、ここ数年、
世話をしてきた。

イチゴちゃんと同じ身の上である。

もっというなら、猫も、そうなのだ・・・。

私の手を煩わせ、そして、喜びをくれるもの。

いちごちゃんは、まだ、「ひとりいちご狩り」をしている。
密かな楽しみだ。