先日、屋根裏収納を片付けていたら
子供の中学の体操服や、夏ズボンが
でてきた。
大方、2年前に寄付したとおもっていたが
まだあったのだ。
シャツもある。
中学では、文化祭などの行事のときのバザーで
ただで、制服や体操服がもらえる。
娘たちは、買ってやったもので
十分だったが、サッカーをしていた息子は
よくいたむので、自分で用意したほかに
体操服も友人のお子さんのお下がりや
バザーでもらっていた。
さて、どうしよう・・。
卒業して、2年近くたつ。
お下がりのものもあるし
うちの子のものも、大して綺麗じゃない・・。
捨てたほうがいいかな?
でも・・。
やはり、まだ中学生がいるご近所さんに
もっていってもらうことにした。
それは、面倒くさいことだが、
できるだけ、使えるものを捨てたくない、
という私のポリシーだし、バザーで
もらえると気持ちが楽だったもの。
今日、ズボンをあらってアイロンをかけた。
こういうのが、面倒くさい。
屋根裏の娘の服は、袋2つ、
リサイクルショップにもちこんだ。
おしゃれな長女の服は
お金がかかっていそうだ。
残念ながら、私ははいらない。
また、私の服も、処分した。
何年間かの思い出が、
些少な金額になっていった・・。
「ありがとう」の気持ちで、さよなら。
昨日、テレビでみた、邦楽集団
「AUN J-クラシック・オーケストラ」
世界遺産、フランスのモン・サンミッシェルでの
演奏、すばらしかった。
和の音は、室内できくのが
本来だとおもっている。
あの天井の高い聖堂の中での演奏は
きっと、フランス人の心を揺さぶったとおもう。
できたら、私もライブをきいてみたいとおもった。
とにかく、かっこいい!
本当は、音階がちがう洋楽を
演奏するのは、とても大変だと思う。
お琴や和太鼓をもって、300段以上の階段を
上って会場入りなんて、この若者たちでないと
できないかも?
2年前に、増上寺できいた和の音がとてもよかった。
祈りの場所で、聴くのは、絶対にいいと思う。
母校には、たくさんの植物があった。
庭もあった。
中庭は、全員知っている。
しかし、一年生のときの教室の
裏にあった庭。
なんだったのだろう?
私にとっては、秘密の花園だった。
人にみられたくないことがあると
こっそりいった。
あれは、「教材園」だったと、今、知った。
私が在校していたのは、この動画のずいぶんあとで、
教材園は、もっと鬱蒼としていたようなイメージがある。
今は、存在しない庭。
感慨深くて、じっとみいってしまった。
私は、あるとき、バンブースカーフというものを
見つけた。
正確には、竹の繊維でできたストールだ。
それを見つけた。
私は、元来、スカーフが好きである。
ストールは、日々の生活に欠かせない。
絹ほど、頼りないわけではなく
宴の後
金曜日の夜、高校の同期会があった。
大阪の高校をでて、はや幾歳。
進学、就職、結婚、転勤で
地元を離れて、ときに孤独を味わい
ときに文化の違いに戸惑いながら、
がんばってきた仲間が集った。
楽しかった。
温かかった。
私は、代表幹事のお手伝いを
しながら、準備段階から、だんだん
楽しんでいたのである。
この高校は、旧制中学が男子校だったので
私の学年も男子が多い。
質実剛健をうたいながらも
我々の時代は、女子と男子が仲がよく
同期同士の結婚が多い学校である。
結婚までいかなくても
今だに、友人として
友達以上恋人未満みたいな
仲のよさの間柄の人は結構いて
きょうだいというか、とにかく身内という感じがする
人も多い。
近年、大阪の同窓会に携わっていた関係で
普段から、高校時代の友達と交流があって
むかし、大阪をでたときのような孤独から
抜け出していたような気がしている。
それでいて、
同期会がおわったあと、寂しい。
昨日は、疲れが残っていたからさほどではなかったが
今日、実生活の中の人間関係。
家族と接すると、現実に戻されて
唖然とする。
私がつくってきた家族は、
私の理想に反して
いたわりがなく、気がきかなく
情けないことがたくさん・・・。
「つまんない!」とおもってしまう。
私は、そこでは、「おかあさん」であり
人格なんて認めてもらえない。
ああ、このギャップ。
情けなくて涙がでてきた。
私は、子供を産んで育ててきたので
しっかりしなくてはいけなかった。
最近、そんなかわいげのない自分がいやだった。
先日、妹が「お姉ちゃんをいじめる人なんて
いないでしょう?」といった。
「うん、いない」と即座に答えた。
正確には、「最近」はいない。
よそもので世間しらずで、体がよわい私は
心無い言葉にきずつき、
悔しいおもいをしたことがある。
そんなときも、夫は家庭から逃げ出し盾になるとかしない人間だから
自分や子供やいじめられないようにするには
自分が力をつけなければ・・・。
と思ってきた数十年だった。
社宅時代は、なんで、こんな目にあうのだろう?
ということ、神経を煩わせること、多々あった。
モラルのない人、口がたつ人、要領がいい人、
居住年数で、序列や決まる生活。
そうやって、私は、鍛えられ、自分で、やりやすいように
アレンジする能力を培ってきたのである。
最近、そんな自分が「かわいくないなあ・・。」とおもっていた。
同期会にいくと、少数の「女子」であり
ジェントルマンになった何人かは、丁寧に接してくれた。
ああ、よい気持ちである。
甘えくせがついてはいけない、いけない、
とおもいながら、つい、むかしから気心をしっている友達に
好き勝手いい、好き勝手いわれ、和気藹々としているうちの
気持ちは、乙女心とまでいわないが、結構、女子モードになっていた。
優しい人が多いから
とても快適である。
顰蹙もののサラリーマンがいるんじゃないか?
という心配は、無用だった。
顰蹙もののサラリーマンは家庭にいたのだ。
顰蹙ものの高校生も家庭にいる。
あああ!
と私は、情けなくなった。
「つまんない!」と思うと
堰をきったように
現実を嘆き、やる気をなくした私になってしまった。
私が楽しい気分でいて
うれしいそうにしていることが
ストレスなんだそうだ・・・・。
自分が否定されることは
とてもこたえる。
そんなこと、かまわぬ、
というほど私は器が大きくないので
今日は、とても不幸な気分。
共感することを大事にしてきた私にして
この家族。
失望・・・・。
私は、元気になったら、また自分への
ご褒美を考えようと思う。
もう、寝込む生活はいやだし
いったん寝込んでしまったら
立ち上がれないような気がして
歯をくいしばってきたんだもの。
氷枕の冷たさに顔をうずめてワンワン
泣いた残暑の休日。
でも、また笑顔でいくよ~!
笑顔ができる私でいたい。
今、はがきを出しにポストにいった。
もう、痛いほどの紫外線と暑さ。
今年は、異常気象だという。
8月にはいってから
少しだけでも、外を歩くと
くたくたになるので
午後は、日差しをカーテンなどで
さえぎって、冷房の中ですごしている。
暑さって、やる気もでてこないなあ・・。
****
今日は、恩師の三弦と地唄をラジオで
聴いた。
番組ではお琴と三弦と胡弓と地唄。
懐かしいとともに新鮮だった。
そこには、最近聞きなれている
西洋の音楽とは別の音階やら
リズムというか、ゆったりとした時間が流れている。
日本語の言葉の美しさ。
初めて聴くのに、次の音がでてくる。
たとえば
「たきがわ~~~」とくると、次の
音は、「に」か「の」だな・・。
大和言葉を朗々と歌いあげるうちに
その情景が浮かんできたりする。
そこには、自然であったり、
筝曲部であった時代の母の姿がでてきて
不思議だった。
ゆったりとした時間の流れ。
いつもと違う、「時」をすごした。
娘が合宿にいっていないので
家は、静かである。
末っ子は、ついにひとりっこ状態になった。
昨日は、スーパーの特売日だったので
彼だけに、大きなシュークリムをかってあげた。
彼だけ、ステーキを焼いた。
彼に合わせて、献立を決める。
クラブで疲れて帰宅したら、
それに合わせて、御飯をつくってあげる。
昨年の喧騒がうそのようである。
長女がいて、夕方早くに、御飯を自分の分だけ
作る。
私が台所にはいると、調理したお鍋が流しにあって
私は、うんざりした。
そして、次女と息子のための料理するのに
洗いものから・・・ってなあ・・・・。
と不機嫌である。
猫は、「まんま、ちょうだい!ちょうだい!」と
エプロンのすそに立って、爪を立てる。
食事を作っても、次女は時間どおりにかえってこない。
やっと帰宅し、二人で食事。
二人で、テレビをだらだらとみて
やっとこさ、洗い物をしたとたん
息子が帰宅しようものなら
「なんで、今ごろ・・。」といきなり
不機嫌である。
そんな状態が、ここ数年続いていたなあ・・。
とにかく、あと数日は、息子の食事時間に合わせて
体力温存していてお給仕してやると、息子は落ち着いている。
猫も、静かである。
昨日、息子がしみじみといった。
「家の中の人数が少ないと、平和だなあ・・。」
彼が生まれたとき、社宅暮らしで
病院から車で社宅の駐車場についたとたん
遊んでいた子供たちが、かけよってきて
触ろうとした。
無菌状態の新生児がいきなり泥だらけの
手で、囲まれた。
私は、悲鳴をあげたっけ。
それ以来、彼がひとりだったことは、ほとんどない。
家には、姉たちがいて
周りには、社宅の子供たち。
どこにいっても、すぐ、友達を作る。
この地区で、息子を車に乗せて走ると
「あ!○○だ!」と、叫ぶ。
サッカーのクラブチームは、結構、広範囲だから
とにかく、知り合いを見つける。
落ち着かない人生なんだな・・。
「末っ子の男の子だから、かわいいでしょ?」と必ずいわれる。
かわいくて、たまらないというのは、ちょっと違う。
面倒くさいこと、たびたびである。
手を抜かざるを得なかったこと、たびたびである。
今は、姉二人の育児のあと、軽く、流して走っている感がある。
それで、いいのかもしれない。
やいやいいうと、反抗期の男子は、えらく暴走し
かまってやれないと、それはそれで、すねているのかな?
と思う。
私は、息子と二人で、どこかに行くのがすきである。
話をするのが好きである。
どういう感じ方をして、どんな考え方をしているのか?
それを知るのが、単純に好きである。
(彼の機嫌が悪いと地獄である)
それは、姉たちも同じ。
やっと時間ができて、子供たちのことをふりかえってみると
なかなか、面白い人間に仕立ててきたなあ~。
と思うのである。
とりあえず、孤軍奮闘、がんばってきました。