Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

小田原城

2010年03月29日 | Weblog
そこから、私とリーダーとで小田原城へ。

リーダーは、あさって、ご自分がガイドを担当する予定なので
あせっていた。
私とふた回りちがうが、日ごろ鎌倉のガイドできたえた健脚である。
雨もふって、おなかもいっぱいで私はぐずぐすしか歩けない。
先にいってもらって
私は、ひとりで、散策することにした。

お城は、久しぶりである。

小田原城の中は、博物館になっていて
いろんな展示物があった。
刀、よろい、着物、杉板の絵。

それらの本物をみていると、いろんなことに気がつく。
昔の日本人は、小柄だったんだなあ・・。
こんな小さな籠に、私は乗れない。
ふすまの取っ手だって、位置が低い。

着物の身幅が狭い。
それなのに、重い鎧をきていたんだ!

そういうライブ感を味わった。

桜は、少し咲き始め。
寒い雨だった。
帰宅してテレビをみたら、箱根の道は雪のため
閉鎖になったとか・・・。

そこまで、寒くはなかったが。
温泉に入れないで、残念だったが
日帰りが十分できるとわかったので
今度は、電車で気軽にきたい、と思った。

小田原・天金

2010年03月29日 | Weblog
今日は、小田原にいった。

小田原でおりて、箱根湯本までいく。
早雲寺の襖絵を住職さんの説明で
見学。

そのあと、予定では、公園でお弁当だったのだが
雨が降ってきたので、私のお仲間は
ガイドさんのツアーを抜けてお昼を食べにいった。
駅弁をかっていたのだが、それは夜、食べた。

駅前の「天金」というお店。
お仲間が以前いって、美味しかったというので
そこに決まった。

近海魚の丼を注文。

これほど、分厚くて美味しい海鮮丼は、初めてだった。
お刺身とてんぷらがのっているので
天丼としても味わえる。
小田原は梅の名所でもある。
梅干のてんぷらがはいっていた。

小田原漆器と寄木の箸で、箱根らしい食膳を堪能した。
もちろん、完食である。

お嫁ちゃん候補

2010年03月28日 | Weblog
目があいたばかりの、女の子である。

ペルシャとのハーフなので
毛がふさふさして
ペルシャほどでなくても中長毛になるかな?

それはそれで、毛並みのお手入れが大変かなあ?
とネガティブなことを考えてしまう。
スリッカーという、長毛用のコームを
長毛用としらず、かってしまい短毛のたい吉に
コーミングしたら、「ニャオ!(いたい!)」と
怒れられてしまった。
あれが、役にたつかな?

短毛でも、毛がすごいので、この子がきたら
どうなるんだろう?
って、そらおそろしくもある。

それらの不安を吹き飛ばすのが
「可愛い」という感情とご縁。

ただいま、考え中。
心を見つめている。

夫婦っていいものよ。

2010年03月28日 | Weblog
これが、先方のご両親である。

パパが、ペルシャの万作さんで
ママが、ミックスの万里さんでだ。

万作さん、ペルシャだけあって、顔がでかい!

パパは、高齢で、弱っていた。
そこで、万理ちゃんが、迷い猫で飼われることになった。
まだ、2.3ヶ月の子猫だったという。
万作さんは、血統書もある猫なので
飼い主さんは、「万作の子供ができたらいいな」と思っていたらしい。
少女だった万里ちゃんは気立てのいいこで、万作さんの顔をぺろぺろと
なめまわし、毛並みで流れができるくらいだったそうだ。
だんだん、万作さんの毛艶がよくなり、元気になっていたという。
穏やかな二人(二匹)をみて、これまた闘病中の老犬テリーさんも
やっかんでいたが、万里ちゃんがテリーさんも
ぺろぺろなめてくれるので、だんだん、ご機嫌になった。

先日、私がお邪魔したとき、テリーさんは、どこにいるのかわからないくらい
おとなしくなっていた。
その前は、わめいていたのに。
万里ちゃんの女力、すごい!

そして、万作さんと結婚し、めでたく赤ちゃんが6匹生まれた。

私が、夫をけなすメールをおくったら「夫婦っていいものよ」と
いう件名でこの写真メールがきた。

えらいわ~!
こういう夫婦のお子さんなら、ほしいな、とおもってしまった。

たい吉、お見合いをする

2010年03月28日 | Weblog
昨夜、猫のたい吉はお見合いをした。

可愛い女の子が2匹きた。
たいちゃんは、「なんだ!なんだ!?」という
怪訝な顔をしてケージの後ろやら、隙間から
覗き込んだ。
ストーカーのようである。

子猫たちは、高い声で、ミィーミィーと鳴く。
私の手のひらにのるくらい、小さい。
その回りをうろうろするものだから、
私は、たい吉が、子猫をねずみとまちがえて
がぶり!と噛み付かないか、ひやひやした。

たい吉は二年前にも、子猫をつれてきたら
クンクンした。しかし、かみつきはしない。

ご近所のわんちゃんにあったときは
知らん顔である。
だから、猫のにおいに興味がわくのだろうか?

子猫を触った手をたい吉にかがせる。
少しでも、慣れさせたい。
オス猫だから、育児とするとか可愛がるとかは
ないだろうが、新しい猫がきて、彼がストレスを抱えることは
避けたい。
だから、ちょっと様子をみるため、子猫とお見合いしてみた。

****

たい吉は、室内飼いで、外で遊んでいる猫たちをうらやましいそうにみている。
たまにでていってしまい、その輪の中にはいって、威嚇されたりした。
猫は、単独で行動する生き物らしいが、猫のお友達がほしいのだろうか?
といつもおもっていた。
先住猫がいるばあい、オスだと、次はメスのほうが相性がいい、
と本で読んだので、女の子にしようと思う。

2匹も猫がいると、いろんなことがまた厄介になる。
たい吉が、Happyになってくれたらいいな、
とおもっている。

ここで、私に不安がよぎった。
長女が一人っ子が寂しいだろうと、
二人目を生んだのだが、彼女にとっては
一人っ子でいたほうが、Happyだったかもしれない、
と思うことが多々あった。
彼女のストレスのはきだしように、困った。
わがままな長女のあとで、赤ちゃんをみると
赤ちゃんのほうが、可愛くて、上の子を
可愛いと思えなくなった。

そういう過去があるので
次の猫をかっていいのかな?とおもっている。
しかし、我が家では、すでに、みんな
「いつくるの」って、たい吉のお嫁ちゃんがくるのは
もう、当たり前になっているのだ。

子供がひとり、卒業したら、一人増える。
我が家は、そういう仕組みになっているのかな?


Nora plays piano on Outrageous & Talente...

2010年03月27日 | Weblog
Nora plays piano on Outrageous & Talented Pets


この猫ちゃんの動画をたくさん
見てしまった。

うちの猫、たい吉もピアノは大好き。
誰かがひくと、ピアノの上で、目を細めて
尻尾をゆったりふって、うっとりしている。
確かに、ピアノが好きなのだとおもう。
ピアノに触らせてみたこともあった。
しかし、NORAちゃんみたいなことには
絶対にならないもの・・。

NORAちゃんは、とても賢そうな目をしている。
集中力もある。
手足もたい吉より、短いので、座っていられるのだろう。
このお宅には、6匹の猫がいて(同じ種類のようだ)
同じ環境なのに、ピアノを弾くのは、NORAちゃんだけらしいので
やはり、才能なんだろうね。

たい吉と同じアメリカンショートヘアのようだ。
目の色も同じ。

でも、えら~い違いではありませんか!
この動画をみていると NORAちゃんの才能もさることながら
飼っている人の愛情が、豊かで、みているほうが幸せになる。
本当に幸せな家族だ。
見ている人に愛を与えられる一家だと思う。


横横を走って・・・。

2010年03月22日 | Weblog
高速道路を走っていたら、
渋滞だった。

いつもはすいている道路だが、
今日は、お彼岸で、この道路沿いには
霊園があるので、それでだろう・・。
とおもっていた。

しかし、先頭を走るのは、パトカーである。
そこで、葉山に皇室がこられたのかな?
どこかにいらっしゃるのだろうか?
という憶測になった。


帰宅して、ニュースをみていたら、
今日は防衛大学校の卒業式で
鳩山総理が来校していた。

それだったのかな?

よくわからないが、時間的にいうと、
そのような気がする。

私たちは、息子のクラブの先輩のお別れ会だった。
私は、厨房で100人分の豚汁をつくるお手伝いをした。
目の前の野菜をきりまくり。研いでいった包丁もきれなくなった。
大きなお鍋をいくつもつかって、たくさんの豚汁をつくった。
この学校で、私はお友達ができるかなあ?とおもっていた。
秋の運動会まで、ひとりで過ごして、ちょっと寂しくなったので
年明けあたりから、集まりに積極的に参加。

今日は、同じ釜の飯を食ったお仲間がたくさんできた。
これから、2年間、がっちりスクラムを組んでがんばろう~!
と、いう絆もできたような気がする。
「友達百人できるかな?♪」という歌がある。
不安と期待に胸を膨らませる歌。

新しい環境は、不安に思うこともあるが、いいお友達ができると
人生が豊かになる。
きっかけは、子供だが、子供が幼児の昔とちがって、
子供はあまり関係ないのだ。
お母さんの魅力に惹かれてお友達になる。
百人分をぎゅっと凝縮して15人くらいの
いいお仲間ができたら、それで、この学校の生活は
楽しい。子供も親も学校にいくのが楽しければ
幸せだと思う。


卒業

2010年03月21日 | Weblog
昨日、我が家の長女が大学を卒業した。

もともと、個性が強くて、なにかと一筋縄では
いかない子だった。

まず、うまれてくるまえから、結構、苦労してしまった。
私が、初めて入院をすることになったのも
彼女を妊娠して、つわりがひどかったからだ。
「悪阻」で、2ヶ月も入院してしまった。

臨月も、2ヶ月間だった。
43週めに、仕方なく、手術処置でだすことになったのだ。
予定日を約一ヶ月もすぎていた。

思春期に、いろいろとあって
親、祖父母を泣かせた。
きょうだいにも、苦労をかけた。

だから、次女はしっかりしてしまったし
末っ子は、普通の末っ子以上に
人生を達観してしまった節がある。

高校も、今だったら、とても入学できないところに
はいれたのに卒業は、とてもとても大変で、
私の中では、中退したようなものだとおもっている。

予備校までの道を私は「親不孝通り」とよんでいるが
その通りが、横浜と大阪の2箇所にある。

大学は、「ここはやめてほしい」とおもったところにいくことになってしまった。
拾ってもらったのにもかかわらず、
「やめたい」も何回、あったことだろう。
私は、うっとおしくて、「じゃあ、やめれば!」と言い放つことも
しばしばだった。
そのたび、父親が、無頓着な説得をして
なんとか、いやいやながら、通学をした。
だから、大学は5年もかかってしまった。

派手で、遊びすきで、浪費家で・・。
これから、どうなるんだろう?

就職氷河期のこの一年の就職活動は、熾烈だったとおもう。
もうすぐ、やっと社会人になる娘に
私は、一生使えるものをお祝いに贈った。
生活の中でも、お局さまか?と思われる意地悪を
いっている。
すきだらけの彼女をいびるのは、とても簡単。

自分の娘でなかったら、きっと話すこともないだろう
と思われる個性だから、お互いにしんどいことも
やまほどある。


昨日、式典に参加したのは
自分が、やっとこの子の学生生活から卒業できるんだ!という思いがあったから。

大学生の卒業式に親がいくのは、過保護ではないか?
という論議が新聞にのっていた。
うちの場合、私の卒業でもあったので
まあ、いきたいな・・。
とおもっていたら、いける距離だったので
いったまでのことである。
結果は、いってよかった。

大学の先生方にもご挨拶できた。
あんなに嫌がっていたのに
先生方にめぐまれて、いい友人もできた。
最後は、「いい卒業式」になったのでよかった。
本当に、永かった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。




横須賀軍港めぐり3

2010年03月19日 | Weblog
横須賀軍港めぐり3


映像をお借りします。
グレーの艦船は、写真にとると、まったく目立たない。
さすが・・。

クルーズのアナウンスは、こういった具合に
とても明るく、楽しい雰囲気だ。
船もいろんな種類があって、
研究するための船もある。

南極から帰った「しらせ」も横須賀港に寄港するのだそうだ。

艦船の名前が美しい。
日本の地名だったり、自然がおおいが、
美しい日本語なのだ。

いかつい外見とはうらはらに優雅な名前である。

映像や写真をみるだけでは、いろんな思想が交錯しそうだが、
戦争を知らない世代としては、とりあえず、見ること、感じることが大事だと思う。

軍艦 三笠

2010年03月19日 | Weblog
2年くらい前のこと。

息子がいきなり
「おかあさん、今日、三笠にのってきた」と唐突にいった。

なにをいっているのか?
わからなかった。

なんで、「三笠」なの?
何時代の軍艦だったっけ?

そんな軍事のにおいがするところにいってほしくなかった。

息子は、友達と自転車で走っているう横須賀にたどりつき
公園があったのでいってみたら、それが三笠公園で、
軍艦があったのだった。

そのときの私の驚きよう!

横須賀とか、軍艦三笠(日露戦争って、明治だったよね~。
すごい昔だ!)と私の生活の接点がなかった。


どういうわけか、息子が横須賀の学校に入学し
なれない横須賀通いがはじまり
横須賀について、調べたりきているうちに
この町が好きになってきた。

そして、友人から「坂の上の雲」をかり
テレビで、ドラマをみて「三笠」をみたい、
と思った。

三笠を見学して、こんなに充実して楽しいとは
われながら、びっくり。

私が知らないことを友人がわかりやすく説明してくれたり
地図をみて、理解したり・・・。

あの時代に思いをはせて、「がんばってくれたから
今の日本があるんだなあ・・。
もし、日清、日露でまけていたら、今の生活がなかったんだろうな。」と
おもったり。

横須賀の街にはいたるところに「三笠」「MIKASA」の文字があり
日露戦争を引きずった街なのが、びっくりしたのだが
みんな、誇りにおもっているんだ。
街の人たちが大事に保存しているから、立派に残っているんだなあ。
と思った。

戦争は、絶対反対だし、とても肯定できるものではない。
しかし、時代の背景を知り、これからも戦争を避ける思考は
たとえ、たかが、主婦でも少しは、してみよう、と思った。