釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

『富岡製紙工場』と女工哀史

2014-06-22 13:57:43 | その他の雑談
私は此の国の現・近代史に全く疎いものだが、何で知ったのか分からないのだが、富岡製紙工場と言えば直ちに女工哀史とい文字が私の頭の中では直ちに関連用語のようになって連想されてくる。

おそらく其れは昔そのような映画があって私は其れを観たからだろうか。

今や其の映画の存在自体も曖昧だが、私の記憶の底に沈殿している『富岡製紙工場と女工哀』というイメージは決して明朗なものではなく、或る重苦しい雰囲気がまとわりついている。
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当地の今朝の新聞の第一面に富岡製紙工場が世界遺産に登録されたことが書かれていた。その登録理由として『日本を近代工業国に導いた意義を高く評価した、云々』とあった。

世界遺産が如何にして決められるか私は其れも無知だが、私は此の記事をみたとき、イヤな気分が・・・丁度、腹がもたれたような気分が・・・した。上に書いたように富岡製紙工場という語彙は私の中では決して快い響きをもっていないからだ。

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『金の卵』という語彙も昔あった。

その語彙も私には『富岡製紙工場』同様に明朗な気分に決してさせてくれない。
私の心の片隅では、其れらの語彙は或る重苦しい雰囲気がまとわりついている。 

其れは観た(かも知れない)映画の故かどうか自分でも判然としない。



雑談:フライ・フィッシングと私の絵遊び

2014-05-24 14:38:33 | その他の雑談
キャッチ アンド リリース という言葉を日本に紹介したのは開口健だと思ったが私の勘違いかも知れない。

私がもし不幸にも人間に生まれ変わったら究めてみたいものの一つにフライ・フィッシングがある。

食うために魚釣りするのも結構なことだが、魚と遊ぶという精神性には惹かれるものがある。

私も一時期魚釣りに凝ったことがある。もっぱら鯉や鱒釣りだったが「坊主」であることが多かった。

魚釣りは外見はノンビリしているように見えるのだが、多くの魚釣り好きな人もそうだろうが心中はイライラしているのが実態だろう。

ならばこそ、かのアイザック・ウォルトンが『釣魚大全』で「Study to be quiet」と書いたのだろうが、この言葉を開口健は「穏やかであることを学べ」と訳していた。良い言葉だと思う。

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私の絵遊びのキッカケとなった本の著者・C.A.ピックオーバーは其の著書の中で此の遊びを評して以下のように書いている。
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『私はときどき自分を釣り師になぞらえてみる。
コンピューター・プログラムとアイデアは釣り針であり、リールである。コンピューターで描きあげた絵はトロフィーであり、うまいご馳走である。

釣り師には、何が釣れるかがいつもわかっているわけではない。しかし、どこがよく釣れるか、どの流れに魚がたまっているか、などについての知識はもっているだろう。

しばしばびっくりするほどの大物が釣れるが、これこそまさに釣りの醍醐味である。しかし、保証はない。そのかわり予期しない楽しみもある。

読者もぜひ未知の釣り場で実際に糸を垂れてほしい。できれば、釣りあげた獲物を観賞し、さらにそれを解剖し、内部の構造を調べてほしい。』
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誠に正鵠を得た譬えである。この絵遊びの精神はフライ・フィッシングの其れと全く異ならない。

何事にも長続きしない悪癖を持つ私が30年間も此の遊びを続けているのも、数学の複素平面という実にピュアな「渓谷」があるからだ。

其処には実人生の騒音もないし、或る意味での孤独が沁みとおるように楽しいからだ。

(久しぶりにブライアン・イーノの「DAY OF RADIANCE」を聴きながら)

雑談:「放散虫:Z^s+0.5 画像」生成と胎動の話。

2014-04-03 11:18:48 | その他の雑談
私は二十年程前よりパソコンを使った絵遊びをしてきた。
この遊びの主題は、いわゆるマンデルブロ画像の変形であるが、数学の複素平面上の
画像を取り扱う。画像作成プログラム言語はBASIC/98であるが、画像作成
プログラム自体の作成も面白い。我が人生において此の遊びを除いたら何も残らない。

そこで此処にも其の遊びの一端を記録しておこう。

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このトピックの写真の話である。

さて最も単純な複素関数:Z^s+0.5 (sは実数) において、s=1→1.2→1.4→1.6→1.8→2
と変化させたら、どのような画像になっていくだろうか?

この図は Z^s+0.5 という名の「放散虫」の画像であるが、特に興味深いのは此の「放散虫」の「内臓部」の画像の変化である。

1という数字は(0を除いて考えると)自然数の最初の値であり、その意味で『ものの始まり』に対応している。自然数のその次の数は 2 であるが、1 から 2 へと変化するとき、画像の変化から分かるように、「内臓部」が二つに「分裂」していく。

この様子は例えれば、此の画像は、1 という何もない原始の混沌の世界から何ものかへと形が形成していく様子の数学的表現と言える。即ち、例えば母親の胎内で胎児が形成
されていく様子を連想させる。

この画像は此の世の『ものの始まり』とか『ものがたりの始まり』とかの数学的表現
と言える。

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音楽で云えば『ラインの黄金』の第一場の前奏曲や、モーリス・ラベルのバレエ音楽
『ダフニスとクロエ』の第三部の『夜明け』から受ける印象の数学的表現である。
また映画で云えば、ビム・ベンダースの『ベルリン・天使の詩』のラストシーンの
『物語の始まり』というナレーションが意味することの数学的表現とも言える。

https://www.youtube.com/watch?v=I6d2tqToIec