釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:一つの映像詩

2013-09-29 09:06:05 | その他の雑談
映像詩という語彙が一般に有るかどうか私は知らない。

もし有ったとしても此処で私の言う映像詩とは意味が異なるかも知れない。

映像詩とは・・・映像(例えば映画のような。)を、吾人をして鮮明に連想せしめる詩である。

従って他の人は異なる意見があるかも知れない。
ともかく以下の詩は、まさしく映像詩である。
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 いにしへや、
かゝる山路に 行きかねて、
 寝にけむ人は
ころされにけり

 雨霧のふか山なかに
息づきて
寝るすべなさを
 言ひにけらしも

山がはの澱みの 水(み)の面(おもて)
 さ青(を)なるに
死にの いまはの
  唇(くち) 触りにけん
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此の詩の作者は釋超空である。

それを聞いただけで、人は或る種の色彩を・・・映像を既に連想するに違いない。
それは其の人の自由である。

私は此の詩に、例えば黒澤明の『羅生門』の映像を見る。
あるいは溝口健二の『雨月物語』の映像を見る。

いずれにせよ、その映像は妖しい。

此の詩は、上に挙げた二つの映画の或る本質を完璧に表現している。

否、逆のほうが適切に思われる。

上に挙げた二つの映画の映像は、上の詩の或る面の映像化に過ぎない。

雑談:『神の数式』など

2013-09-26 12:21:01 | その他の雑談
先日、NHK・BSで『神の数式』というタイトルの番組が2夜にわたって放送された。

此の世の物理現象を一つの方程式で表そうとする理論物理学者たちの苦闘を記録した科学ドキュメンタリーであった。
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私は此のテの番組の愛好者である。
以前放送された『リーマン予想』とか『ポアンカレ予想』という数学の超難問の内容が一般視聴者向けに放送されたことがある。これらも大変興味深くみた。

恐らくプロの数学者でも其のような数学の難問を解くのは勿論のこと、其の命題そのものを理解するのは必ずしも容易ではあるまい。いわんや、一般視聴者においてをや、である。(但し、ポアンカレ予想は最近、ロシアの数学者によって解かれた)

此のテの番組の意義は、言うまでもなく其の解を視聴者に求めているのではなく、そのような問題が『象牙の塔』のみに隠避されている弊害を少しでも無くすことであろうし、また此のような問題の存在を知った少年・少女達が科学に眼を開く動機となるような啓蒙にあるのだろう。

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足立恒夫という数学者は『無限の果てに何があるか』という一般読者向けの数学の本で、此の本を書いた動機を以下のように書いている。

『数学という学問は一つの巨大な文化の体系である。(中略) ぼんやりとでも現代数学の思想をわきまえていなければ、世界観に欠陥があるのではないか、という挑発的な問いかけのもとに書いた。』と。

恐らく、現代物理学においても同様なことが言えるだろう。

ぼんやりとでも現代物理学が其の先端において何を問題にしているのかということを知らないとしたら、其の人の世界観に欠陥があると言えるかも知れない。

現代は好むと好まざるとに関らず科学技術を無視しては生きていけないからだ。

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同様なことは金融等の経済学にも言えるのだろうし、私たちは憲法の基に生きているのだから、ぼんやりとでも其れらの知識がなければ世界観に欠陥があると言われても仕方がないのでだろう。

しかし、そう考えていくと生身の人間において、今日ただいまの世界を生きていく上での、ぼんやりとでも常識的な欠陥なき世界観を持つことは容易ではない。

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では今日において『ぼんやりとでも常識的な欠陥なき世界観を持つ』にはどうしたら良いか。

その解答は私は残念ながら分からない。

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さて『神の数式』について。

たしかデカルトだったか『神の存在を証明した』そうである。

他の人はイザ知らず、私は此の意味が理解できない。
神は証明できるのか? 

同様に『神の数式』の意味が私には理解できない。

私の頭の悪さを棚に置くとして、これは或る種のメタファーとしか私は理解できない。

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この番組で或る物理学者が言っていたことが印象的だった。

彼は『神の数式』の発見に其の研究生涯を捧げている人だが、以下のような意味のことを言った。

『神の数式を発見できないのは淋しい。しかし其れが発見されたとしても、淋しいだろう。』

この言葉あたりに案外『神の数式』の真の意味が在るように私には思われる。

雑談:モナリザの絵の秘密

2013-09-23 10:57:30 | その他の雑談
レオナルド・ダ・ヴィンチの、あの有名な『モナリザ』の絵画が・・・確か中学生だったと思うが・・・私の通っていた学校の教室の黒板の上に掲げてあった。勿論、複製画だが、私は其れを見るにつけ或る気味悪さを感じていた。

気味悪いという表現は適切ではない。
もっと正確に言うと、天才という者の対する言いようのない畏怖を其の絵の奥に私は感じていた。

通常の人間達と、天才と呼ばれる人間との間にある埋めようのない深淵を私は感じていた。

罔(くら)いとでも表現できそうな其の深淵の向うから、此の絵画は微かな冷笑をもって私を見ているような気がした。 『微かな冷笑』と書いたが、其れは天才への近寄りがたい私の畏怖の主観である。
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mixiの或る人が、『ダビンチの有名な自画像のデッサンを裏返しにして縮尺を調整すると、モナリザの顔とぴったりと重なる。その点に関する考察』をしたと其の人のPFに書いてあった。

私は其の考察に興味をもったので、より詳しい内容を訊いた。HNがヨセフさんという方である。興味がある人もいるかも知れないので、その回答を以下に引用しよう。
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ダビンチの有名な自画像のデッサンを裏返しにして縮尺を調整すると、モナリザの顔とぴったりと重なります。

これは他の人も認める所です。ここまで一致することは偶然でも下手な絵描きが肖像を描くと自分に似てくるのとも違います。

両性具有とかいろいろなことが考えられますが、私はネオプラトニズムにある美との一致、反対するものの一致という思想が隠れているのではないか。

ダビンチの手記には哲学を否定するようなことが書かれていますが、ここには当てはまらないと考えました。

ダビンチの老いと若い女性、男と女、変わりゆくものと変わらざるもの、生と死などが読み解けました。

背景にある二つの水は高さが違いずれています。この湖は生のガリラヤ湖と死の湖である死海にあたると思われます。

モナリザのリザはエリザベツの略称だとすると、キリスト教の洗礼者ヨハネの母親の名前です。

ダビンチが生涯モナリザと一緒に持っていた絵がそれこそ両性具有的な洗礼者ヨハネの絵でした。二つの絵を対にして持っていたのです。それは母息子の対になります。

そして、聖アンナの膝に聖母マリアが乗っている聖母子像です。聖アンナと聖母マリアの母娘の対、そしてマリアとイエスの母息子の対があります。

聖母子像の絵はモナリザと洗礼者ヨハネの絵を結びつけるように真ん中に飾っていたと思われます。

母息子の対が二つできると聖アンナが余ってしまいますが、聖アンナと対になるのはダビンチ自身です。

そうすると父はどこにいるのでしょう。聖母子像の青い衣装の形をたどると禿鷹の形になると言われていますが、私には白鳥のように思われます。

白鳥はゼウスが身を変えて、レダに子どもを産ませたと言うギリシア神話を意識しているのではないかと思われます。ダビンチの弟子がそのような絵を描いています。

ギリシア神話とキリスト教伝説という一見矛盾するようなものを絵の中で結びつけていると考えました。

思い出すままに書きましたが、だいたい以上のことを描いたのです。

 (注:読みやすいように原文に空白行を私が入れている)
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私はキリスト教も西洋絵画もギリシャ神話も全く無知である。上に引用した解説を私はネットで調べながら読んだ。

私は以下の文章を添えて、其の方の回答へのお礼を送信した。

『芸術作品というものは、それ自体が一つの完璧な鑑賞対象となり得るものですが、その鑑賞者の眼力・・・即ち真の意味での教養・・・によって、より深く理解を深めることができるのですね。』

ときおり、テレビで絵画の解説をしている。いつだったか、フェルメールの絵画の『秘密』について解説していたが私は面白く見た。

ps 話題はことなるが昨日と一昨日、NHK BSで現代物理学の最先端の話題の番組が放送された。
この世界を、一つの方程式で表すという物理学者達の挑戦のドキュメンタリーである。面白そうなので録画した。

雑談:ブライアン・イーノの曲と科学

2013-09-21 10:17:43 | 釋超空の短歌
随分前の話だがテレビの或る科学番組で・・・その番組は確か現代物理学の一般庶民向けの解説番組だと記憶しているが・・・ブラアン・イーノの『THE DANCE』がBGMとして流れた。

実はそのとき、私はブライアン・イーノという人を知らなかったが、そのBGMの曲は印象に残った。

その頃、私はNECのPC-VANの会員であったが、その会員の中に大変音楽好きな人がいた。その人は工学部出身の人で例の番組をみたらしかった。

そこで其の番組が話題になったとき、そのBGMはブライアン・イーノという人の曲『THE DANCE』であることを其の人から教えられた。私は其の曲が強く印象に残っていたので早速其の曲のCDを買った。

この曲の私の印象は、なんと表現したら良いか、素粒子が放散しているような感じがあり、そういう意味で現代物理学風であり、そのテレビ番組の内容にマッチしていた。

しかし、同時に其の曲『THE DANCE』は、タイトルどおり、どこかインドあたりの古典舞踊をも私に連想させた。

この頃は・・・'80年代だが・・・いわゆるニュー・サイエンスが時代精神として盛んな頃だった。

フリシチョフ・カプラの『タオ自然学』が此の頃の科学の時代精神の象徴だった。科学において、いわゆる東洋思想が見直され、其れを科学において重視する時代潮流があった。 この本は今でも売られている。

そういう時代精神があったから、現代物理学の解説に使われた『THE DANCE』が、私にインド古典舞踏を連想させたのは当然だったかも知れない。

私が購入したブラアン・イーノのCDには、『THE DANCE』と共に『MEDITATION』という曲も収録されている。
これも東洋風の瞑想』むを連想させる。

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今世紀に入って科学は'80年代に全盛だったニュー・サイエンスから離れ、それ以前の『分析主義』主流の科学に戻り、ニュー・サイエンスは一時の流行に終わった観がある。

ブラアン・イーノ自身は科学とは何の関連のない人だが・・・彼は自らをノン・ミュージシャンと称しているようだ・・・私は『THE DANCE』や『MEDITATION』を聴くと'80年代の頃を思い出す。

そして、これらの曲は科学云々を離れて、今でも私の好きな音楽の一つであり、今でも繰り返し聴いている。

雑談:『眠られない夜のために』

2013-09-20 09:42:34 | その他の雑談
たしか掲題のタイトルの本があったと思って検索してみたら確かにあった。

既にお読みになった人もいるだろう。

検索先では此の本を以下のように紹介している。

『眠れない夜はつらい。しかしいたずらに嘆いていないで、我々はそれを、日頃怠りがちな自己反省のための、静かな妨げられない時間として活用しようではないか。ヒルティ(1833‐1909)は青年にむかってこう語りかける。』

私は実は不眠症に悩まされているのだが確かに辛い。

しかし悶々としているとき『日頃怠りがちな自己反』などしていたら私の如き凡人は余計眠られなくなる。
この本は私向きではないようだ。

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私の傍に猫がいる。こいつは寝てばかりいる。
果たして眠っているのかどうか分からないが、終日、眼をつぶって寝ている。

嘘か本当か知らないが「よく、ねる」からネコというそうだ。

夢は見ているらしい。
寝ているとき、時々、手足を震わせて、「にゃぁ」とか奇声を小さくあげる。ネズミでも追いかけている夢でも見ているのだろうか。

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いつだったか、どのSNSだったか忘れたが、眠るのが特技だという人がいた。数分もあれば何処でも眠ることが出来るのだそうだ。 信じられない技だ。
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いずれにしても『わたしはネコになりたい』・・・・