随分昔の話だが、動物園の或る象が「描いた」絵がテレビで紹介された。
そのとき、画像作成中の象の「仕事」ぶりも映された。
その象の傍には、いろいろな色のペンキが入ったバケツが置いてあって、象は大きな筆を鼻に巻き付けて、その筆をバケツに突っ込んで、キャンパスに塗りたくるのであった。
出来上がった「作品」には、その象の飼育係の人が題名をつけていた。
その或る作品には『夕影げ』と題され、周りの見物人に披露された。
なるほど、『夕影げ』に見えなくもなかった。
***
下図は或る厳密な数学的規則によってパソコンで描かせた画像である。
「或る厳密な数学的規則」と云っても、どんな画像がパソコン上に出てくるかは全く予想がつかない。
この出来上がった画像を見て私は上記した象の「作品」を思い出して笑ってしまった。かの象君の「作品」は、確かに、パソコンに優るとも劣らなかったからである。
***
世の芸術家諸君の作品なる「しろもの」も、その大半は、かの象君の「作品」と本質的には、たいして変わらないに違いない。
ゲイジュツと威張ったところで、その多くは、所詮、そんな程度のものであろう。
そのとき、画像作成中の象の「仕事」ぶりも映された。
その象の傍には、いろいろな色のペンキが入ったバケツが置いてあって、象は大きな筆を鼻に巻き付けて、その筆をバケツに突っ込んで、キャンパスに塗りたくるのであった。
出来上がった「作品」には、その象の飼育係の人が題名をつけていた。
その或る作品には『夕影げ』と題され、周りの見物人に披露された。
なるほど、『夕影げ』に見えなくもなかった。
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下図は或る厳密な数学的規則によってパソコンで描かせた画像である。
「或る厳密な数学的規則」と云っても、どんな画像がパソコン上に出てくるかは全く予想がつかない。
この出来上がった画像を見て私は上記した象の「作品」を思い出して笑ってしまった。かの象君の「作品」は、確かに、パソコンに優るとも劣らなかったからである。
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世の芸術家諸君の作品なる「しろもの」も、その大半は、かの象君の「作品」と本質的には、たいして変わらないに違いない。
ゲイジュツと威張ったところで、その多くは、所詮、そんな程度のものであろう。