釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:象の描いた絵

2013-10-29 13:36:23 | その他の雑談
随分昔の話だが、動物園の或る象が「描いた」絵がテレビで紹介された。

そのとき、画像作成中の象の「仕事」ぶりも映された。
その象の傍には、いろいろな色のペンキが入ったバケツが置いてあって、象は大きな筆を鼻に巻き付けて、その筆をバケツに突っ込んで、キャンパスに塗りたくるのであった。

出来上がった「作品」には、その象の飼育係の人が題名をつけていた。

その或る作品には『夕影げ』と題され、周りの見物人に披露された。
なるほど、『夕影げ』に見えなくもなかった。

***

下図は或る厳密な数学的規則によってパソコンで描かせた画像である。

「或る厳密な数学的規則」と云っても、どんな画像がパソコン上に出てくるかは全く予想がつかない。

この出来上がった画像を見て私は上記した象の「作品」を思い出して笑ってしまった。かの象君の「作品」は、確かに、パソコンに優るとも劣らなかったからである。

***

世の芸術家諸君の作品なる「しろもの」も、その大半は、かの象君の「作品」と本質的には、たいして変わらないに違いない。

ゲイジュツと威張ったところで、その多くは、所詮、そんな程度のものであろう。

超空忌に。9句

2013-10-28 10:01:29 | その他の雑談
旅死にの墓あり草の包みたり

ひそけさや野分けの後の石塔婆

水の面暗きうねりの上明かり

をとめあり穴井の底のくらき影

旅死や今はの言葉なかりけり

闇夜かな雲の動きの静かなる

馬塚に何を供えん涙雨

歳深き山にて響く風の音

ひたぶるに霄(は)れゆく峰を見たりけり

雑談:水涕(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る

2013-10-24 16:50:43 | その他の雑談
水涕(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る
        我鬼(芥川龍之介)
***
私は芥川龍之介フリークである。

私が初めて小説らしきものを読んだのは彼の『鼻』だったと記憶している。
私が持っている唯一の文学全集と云えば筑摩書房の其れだけだ。この全集だけは今まで捨てずにきた。
既に半世紀以上の「つきあい」である。

私は彼の美意識・・・其れは或る種の精神的症例を感じさせるが・・・に惹かれるし又共鳴できる。
その美意識とは? 思いつくままに例を挙げよう。勿論、彼の文章である。
----------
不眠症
真夜中の廊下の隅に
笠の青い電燈のスタンドが一本
ひつそりと硝子戸に映ってゐる。­ーーー
いつも頭の中を見つめる度に。
----------
風に靡いたマッチの炎ほど不気味にも美しい青いろはない。
-----------
火事はどこか祭礼に似てゐる。
-----------
最も美しい石竹色は確かに蟇(ひきがえる)の舌の色である。
-----------
わたしは或雪霽の薄暮、隣の屋根に止まってゐた、まっ青な鴉を見たことがある。
-----------
若楓は幹に手をやつただけでも、もう梢に簇(むらが)つた芽を神経のやうに震はせてゐる。植物と言ふものの気味の悪さ!
-----------
このテの神経症な感覚の文章は、彼の残した文章の至るところで見いだせるが、其れが彼の文学の最大の魅力と言える。少なくとも私には。

掲題に挙げた俳句は・・・これが俳句と言えるかどうかは別にして・・・彼の自殺の前に友人に残したもので「自嘲」と前書きがある。この「俳句」からして彼の精神的な病を感じさせるが、私には惹かれるものが確かにある。
彼は以下のような俳句も残している。

「怪しさや夕まぐれ来る菊人形」

***
あるいは、

「凩(こがらし)や目刺に残る海の色」

「青蛙おのれもペンキ塗りたてか」

等、印象に残る俳句も残している。
しかし、私にとって芥川文学の他者には換え難い最大の魅力は、彼の文学の持つ或る種の怪異性であり、その金字塔は小説『地獄変』だと私は思っている。

***
鼻水や喉にも残る秋の暮
(私)

雑談:姦しや後ろの席の鍋料理

2013-10-20 16:35:46 | その他の雑談
上句はジョークね。私の自信作サ。私の句作はこの程度。

しかし女三つで「かしましい」とは漢字はしゃれている。

ちなみに男女男は「なぶる」なんだそうだ。

ためしに「なぶる」で変換してみたら「嬲」と確かに出てきた。

では女男女は何だろうと調べてみたら、やはり「なぶる」そうだが私のPCでは此れは
出てこない。女男女は「たわむれる」という意味もあるそうだ。

暇で興味のあるかたは↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311055518
***
このところ当地は涼しいを越えて寒くなってきた。

私は、今、暖房している。

秋雨や猫もますます丸くなり

***
かけそばヤ昭和も遠くなりにけり

↑季語がないねぇ。
しかし、これは私の実感。
郷里の「三好(みよし)」のかけそばは実に旨かった!!

雑談:映画『たそがれ清兵衛』(山田洋二監督)

2013-10-14 11:45:33 | その他の雑談
先日、BS日テレで此の映画が放送されたので観た。
何か月前か、NHK BSでも放送されたが其れも観た。
同じ映画を続けて観るというのは私には稀有のことだ。
それだけ私には此の映画が面白かった。

私は藤沢周平の原作も読んでいるが、私感ながら映画のほうが面白い。勿論、映画は藤沢周平ワールドというべきものが良く表されているが、必ずしも原作に忠実ではなく、例えば映画では清兵衛の娘の回想として話が展開していく。

その回想はナレーションで展開され、(確かビリー・ワイルダー監督の『麗しのサブリナ』もそうだったと記憶しているが私の勘違いかも知れない・・・このナレーション役即ち成人した娘役は岸恵子だったが、そのユッタリとして落ち着いたナレーションは聞きとりやすく私は好感をもった。

また原作では登場人物の会話は標準語でなされているが、映画では東北・庄内弁で会話され、その飾らぬ田舎くささも此の映画の奥行きの深さを感じさせていた。

山田洋二監督は此の映画の時代考証に1年以上かけたという。確かに、昔の東映チャンバラ映画のような、いかにも安直な子供騙し作り・・・これはこれで楽しめる映画も多いが・・・とは一味も二味も異なり、黒澤明流のリアリズムが此の映画にはあった。

やはり此の映画の成功は其の演出と脚本と役者たち(真田博之や宮沢りえ等)に負うところが大だろう。というより此の映画のスタッフ全体に負うとこが大きいのだろう。ならばこそ数々の受賞、とりわけ作品賞が与えられたのは首肯できる。

***
私が此の映画で最も印象的な場面は、清兵衛(真田博之)が藩の命を受け決闘に行く直前に、朋江(宮沢りえ)に自身の身仕度を依頼する箇所だ。急を知った朋江は清兵衛宅に駆け付けるが、清兵衛の身支度をすべく、すばやく襷(たすき)がけする。

この襷を、さっと素早くする其の行為が私には実に美しく見えた。

襷がけとは、和服が着られなくなった現在においては日常生活において、ほとんど見られなくなったし、そのような機会の無い人は襷がけする方法も知らないだろう。

私は襷がけした和服姿を美しく思う。

何故というに、この襷がけという行為は和服の袖や袂が邪魔にならないように紐で袖や袂をしぼる実用のための行為であるからだ。

その行為は虚飾とは全く無縁であるのみか、その襷がけした和服姿そのものが私は美しく感ずる。

朋江は、勿論、普段着のままで、さっと素早く襷がけする。

私は此の何気ない動作に惹かれた。それを見たさに此の映画を二回も続けて観たと言っても過言ではない。

***
豪華絢爛たる和服は私は好まないが、質素な和服には惹かれる。

質素な和服を着た日本人は最も日本人らしく美しい。
襷がけした質素な和服姿は、それが利に叶った合理的な姿であるが故に更に美しい。

私は此の映画をみて其れを再認識した。