釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『無言歌集』 (メンデルスゾーン)

2013-11-27 13:18:43 | その他の雑談
10年程前、私は図書館から音楽CDを借りて其れをコピーしていた時期があった。

図書館に置いてあるCDは古いものだからコピーは容易にできた。

私は根がケチだから買うよりもタダでコピーできることは大いに魅力があった。

実にケシカラン男であったわけで私のような人間がいるから今やCD等はコピーできないようになっているようだ。

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コピーしたCDに掲題のものがある。

実は此のCDは図書館の音楽教材棚に並べられていたCDで、たぶんピアノ演奏初心者練習用のものだろう。

私は音楽は小学生の頃、ハーモノカを吹いていたことがあるが其れ以外楽器には全く無縁な者であって今や口笛さえ吹くのに苦労するし、勿論、譜面など全く読めない。

中学生の時、音楽の理論めいたものの初歩の初歩を習った覚えがあるが其れも完璧に忘れてしまった。

しかしドイツ3大Bはバッハ、べートーベン、ブラームスと習った気がするが、そんなロクデモナイ知識は現在音楽を聴くうえで何の役にも立たない。

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というわけで私は音楽については押しも押されもせぬ完全な素人であるが、聴くぶんには人並みに聴く。

そんな完璧な素人の判断であるが掲題のCDの演奏は、いかにも音楽の先生が譜面どおりに几帳面にピアノを弾いているように私には聞える。

およそ『けれん』とは、ほど遠い弾き方に聞こえる。音楽の教材なんだから、無用な虚飾は排しているように聞こえる。

私は掲題の曲は此のCDしか聴いたことはないのだが、たまにプロの他の演奏家が弾く此の曲をラジオで聞くことがある。

そういうとき、私は、違和感を感ずることが多い。
その演奏家の此の曲の解釈なんだろうが、なんとも『いやらしく』私には聞こえてしまうのだ。その演奏家の『思い入れ』に鬱陶しくなるのだ。

たぶん此の私の感じ方は、音楽教材のCDに耳慣れているせいだろう。

私は掲題の曲は、音楽の先生による『真面目に、几帳面に』弾かれたものでないと、どうも虚飾を感じてしまうように刷り込まれたらしい。音楽を聴くにも『刷り込み現象』に似たものがあるようだ。

ともかく慣れというものは恐ろしい、というより何事も初体験が肝心らしい。

雑談:狂言 『釣狐』

2013-11-05 10:05:06 | 釋超空の短歌
先日、NHK・TVで狂言『釣狐』が放送された。

私は古典芸能についても全くの無知であるが、関心だけはあって、TVで放送される此の種の番組は時折視聴している。

もう何十年も前になるが、当時のNHK・教育テレビで、日曜日の午後7時頃からだったか『日本の芸能と伝承』という実に地味な番組が放送された。

それは日本各地に伝わる伝統芸能を其の土地の人々が継承している様子を記録するという、誠に「教育テレビ」ならではの番組だった。

この番組をみているのは私の近辺の家では私だけだろうと思いながら見ていたものだ。しかし私は毎週此の番組を楽しみにしていた。

今でも覚えているが、山形県の黒川能が紹介されたとき、その演者の一人が・・・勿論、その土地のお百姓さんか何かだろうが・・・神酒に酔っぱらったのかフラフラしながら舞っていた。

実に、土着ならではの舞ではあった。
其れは決して洗練されてはいないが、しかし本来の芸能の持っていたはずの土臭さは多分に残されていて、そういうところが此の番組の面白さであった。

そのような土着性を記録しておくというのが此の番組のコンセプトだったのだろう。 民俗学的にも貴重な映像記録として現在も残っているだろう。

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先般、『百年インタビュー』というNHKの番組で野村万作が出ていた。

狂言演者には『猿で始まり狐で終わる』という言葉があるようで、狐で終わるとは『釣狐』という演目を演ずることが、狂言演者として一応認められるという、狂言演者としての一つの区切りのようだ。

この番組で野村万作は、演者として『釣狐』の苦労さと其の魅力を熱っぽく語っていた。 この人は私は昔から知っているが、もう80歳を過ぎたという。私も歳とったわけだ。
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先日、私がみたNHK・TVの『釣狐』は野村万作ではなかったが、名前は忘れたが若手の兄弟によるもので、狂言特有のアノの突き刺すような鋭い発声も、若手らしく朗々としていて、それに耳傾けるだけでも快かった。

こちらの歳のせいか、この演目の前半の老狐の、或る種の「侘しさ」も何となく身に染みるものがあった。

狂言は快活な笑いを生命とする芸能だが、この『釣狐』には、もっと別な何かがある。

また能とはまた違う「何か」がある。

能の世界は或る意味で高尚と言えるかと私は思うが、この『釣狐』には我々庶民レベルの凡庸さと其れへの侘しさが表現されている。

快活な笑いというより、侘しい苦笑いである。

恐らく此の苦笑いは或る歳を越えた人には誰にでも内心感じているものだろう。

雑談:奇妙な人体解剖図

2013-11-02 16:09:50 | その他の雑談
私はPCで絵作り遊びをしている。

その遊びの要点は、複素関数を用いたもので、
その関数を、或る条件の元で繰り返し計算させる。

このような『自己普及』計算はコンピューターの最も得意とすることであるが・・・人間の手計算では恐らく此の宇宙の終焉になっても計算は終了しないだろう・・・、この絵作り遊びをしていると、時々、奇妙な画像に出くわす。

上図が其の一例である。

パソコンの画面に此の画像が出てきたとき、私は中学校の理科教室にあった人体解剖模型を連想してしまった。

まことに奇妙で生々しい画像に私には見える。
江戸川乱歩あたりの猟奇小説にででも出てきそうではないか!!!

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ちなみに、此の画像の複素関数を書いてみようか。

K(Z,λ)=(sinλ)F(Z)-1/((sinλ)F(Z)) , F(Z)=tanZ

Z,λは複素数で、この画像はλ複素平面に描いた画像である。

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予想だに出来ない、こういう画像に出くわすから此の遊びは止められない。

( ^o^)