私はカントールの超限集合論が其の名前からして惚れ込んでいて、
ここで今更言うまでもなく、私は超度級の素人で、とは言うものの一般読者向けの其の方面の本を乱読してきた。
だから此の仮説の私なりの思いというか、独断、錯覚、珍想があって、私は此の初夏の空を眺めながら、このトンデモナイ仮説に我が想いを馳せるのである。
連続体仮説つぅのはね、と此処で説明して恥さらしするのも癪(シャクと読んでネ)だから省略する。とは言いながら下で珍解説したりするところが凡人の卑しいところ。
偉い人の本によると此の仮説は現代の数学(集合論)では是とも非ともつかず、つまるところ今日只今の人間の理性を超越している凄いシロモノ。
無限には無限の階段があって、丁度、0,1,2,3,・・・と続くように、無限も、無限0,無限1,無限2,無限3・・・と続いていて、無限nは、無限n-1の全ての部分集合の集合の数だけあって、式で書くと、無限nの数(かず)=2^(無限n-1の数)というのが一般連続体仮説なんだそうで・・・・・
ここらは単なる文学的装飾文章なんぞではなく、キチンとした理屈があって(と言うことは好き嫌いの問題ではなく世界の誰も異論できない話であって・・・私が文学に時として嫌気がさすのは、つまり文学って結局は自己満足なんだな。ところが数学は、およそ自己満足など無縁のサバサバとした世界なんだな。そこが魅力さ。
まぁ、それはどうでもよいが、ここで私の妄想が始まるのだが、無限が無限の領域で、0,1,2,3・・・と離散的に続くのは何か不自然な気がする。
一応、有限の世界には数直線のような『連続なモノ』があるんだから、無限にも数直線のように『連続なモノ』があってもよいような気がする。
と此処まで妄想してきたら、何が何だかわからなくなってきた。
そもそも、数直線の点の数(かず)・・・と文章の綾として書いておくが・・・が、カントールは無限1と主張したかったんだから・・・しかし証明は出来なかったし、前にも書いたように此の命題は現代数学の範疇外で未来人はともかく今は誰にも分らないことになっている。
もしかしたら、無限も0,1,2,3・・・のように離散的続くのではなく、一様に「連続的に」続いているのでは?
そんな妄想がするが、結局は此れは私の嫌う文学的思考だな。
ここで今更言うまでもなく、私は超度級の素人で、とは言うものの一般読者向けの其の方面の本を乱読してきた。
だから此の仮説の私なりの思いというか、独断、錯覚、珍想があって、私は此の初夏の空を眺めながら、このトンデモナイ仮説に我が想いを馳せるのである。
連続体仮説つぅのはね、と此処で説明して恥さらしするのも癪(シャクと読んでネ)だから省略する。とは言いながら下で珍解説したりするところが凡人の卑しいところ。
偉い人の本によると此の仮説は現代の数学(集合論)では是とも非ともつかず、つまるところ今日只今の人間の理性を超越している凄いシロモノ。
無限には無限の階段があって、丁度、0,1,2,3,・・・と続くように、無限も、無限0,無限1,無限2,無限3・・・と続いていて、無限nは、無限n-1の全ての部分集合の集合の数だけあって、式で書くと、無限nの数(かず)=2^(無限n-1の数)というのが一般連続体仮説なんだそうで・・・・・
ここらは単なる文学的装飾文章なんぞではなく、キチンとした理屈があって(と言うことは好き嫌いの問題ではなく世界の誰も異論できない話であって・・・私が文学に時として嫌気がさすのは、つまり文学って結局は自己満足なんだな。ところが数学は、およそ自己満足など無縁のサバサバとした世界なんだな。そこが魅力さ。
まぁ、それはどうでもよいが、ここで私の妄想が始まるのだが、無限が無限の領域で、0,1,2,3・・・と離散的に続くのは何か不自然な気がする。
一応、有限の世界には数直線のような『連続なモノ』があるんだから、無限にも数直線のように『連続なモノ』があってもよいような気がする。
と此処まで妄想してきたら、何が何だかわからなくなってきた。
そもそも、数直線の点の数(かず)・・・と文章の綾として書いておくが・・・が、カントールは無限1と主張したかったんだから・・・しかし証明は出来なかったし、前にも書いたように此の命題は現代数学の範疇外で未来人はともかく今は誰にも分らないことになっている。
もしかしたら、無限も0,1,2,3・・・のように離散的続くのではなく、一様に「連続的に」続いているのでは?
そんな妄想がするが、結局は此れは私の嫌う文学的思考だな。