『曇る日の
まひる と思ふ空の色
もの憂き時に、
山を見にけり』
***
幼い私と従兄は、私の母方の祖母に連れられて、近くの里山へ山菜とりに行ったものだった。そこは里山と言うより森と形容したほうがよい森閑とした深い緑の木立が密集した場所だった。 私たちは祖母の後について、その木立の中を分け入り山の奥へと進んだ。決して大きな山ではなかつたが、奥に進むにつれ或る霊気のようなものが私たちを包んでいた。それは木々が発散する冷気であり匂いであった。ともかく私たちは或る幽(かすか)な静寂さの中へと入って行った。そのとき、幼い私は或る自覚があった。山には精霊がいる、と。
***
私は、あのときの、あの体験が現在も、ふと、よぎる時がある。
例えば、私の部屋の窓から見える木が微かな風に揺れているとき。
あるいは晩冬の薄雲に陽の翳りが見えたりするとき。
まひる と思ふ空の色
もの憂き時に、
山を見にけり』
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幼い私と従兄は、私の母方の祖母に連れられて、近くの里山へ山菜とりに行ったものだった。そこは里山と言うより森と形容したほうがよい森閑とした深い緑の木立が密集した場所だった。 私たちは祖母の後について、その木立の中を分け入り山の奥へと進んだ。決して大きな山ではなかつたが、奥に進むにつれ或る霊気のようなものが私たちを包んでいた。それは木々が発散する冷気であり匂いであった。ともかく私たちは或る幽(かすか)な静寂さの中へと入って行った。そのとき、幼い私は或る自覚があった。山には精霊がいる、と。
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私は、あのときの、あの体験が現在も、ふと、よぎる時がある。
例えば、私の部屋の窓から見える木が微かな風に揺れているとき。
あるいは晩冬の薄雲に陽の翳りが見えたりするとき。