これは私にとって実に思い出深い短編小説だ。
タイトルを英語で書いたが、だからといって私は英語が得意というわけでは全くない。我が生涯を振り返ってみて、英語は結局あらゆる意味でモノにならなかったものの一つだ。では何故、英語で書くか。それは以下の理由があるからだ。
***
話は昭和37年にさかのぼる。当時私は高校3年生であった。その高校はいわゆる受験校で現在はどうか知らないが当時は規定の授業なるものは1月始め頃には全て終了し2月以降は受験準備のため休校になつていた。
1月は各学科で言ってみれば暇つぶしの授業が行われていた。
私の教室の英語担当の先生は、其の『暇つぶし』の英語の授業で、先生手製の『ガリ版刷り』の教材を使用したのだった。
当時はワープロは勿論存在しないし、現在在るような重宝なコピー機も存在しなかった。在るのは油紙のようなものに金属製のペン先でカリカリと手書きして、それをガリ版機なるものに乗せ、インクの付いたローカーで擦って、一枚一枚コピーしていく・・・そんな次第の先生自身による手製教材であった。
先生は其のコピー教材を教室の全生徒に渡し、何の説明もなしに其のコピー用紙に書かれた英文を自ら読み始め自ら日本語に訳し始めた。
先生は生徒の誰かを指名して読ませたり訳させたりするような、そんな野暮なことは一切しなかった。
当時、私は生意気にも学校での英語授業なるものを軽蔑しきっていた。
英語は所詮は受験のための『お道具』だと割り切っていた。
この授業は毎週1回、1ヶ月間続いたように記憶している。
ところが私は次第に此の先生の授業にだんだん惚れこんでいった。
この教材の話の面白さに惹かれていったのだ。
小説らしい、ということは始めから分かっていたが、ともかく先生の和訳の話術も実に素晴らしく私はこの授業が楽しくてしようがなくなった。
今我が人生を振り返ってみても、こんなに魅惑的な授業というより、魅惑的な時間はその後ほとんど無かったと思う。
この授業の最終回に此の教材の話も終了したのだが、先生が教室から去ろうとするとき同級生の誰かが先生に問いかけた。
この教材の話の作者は誰なのか、と。
すると先生は、黒板に、E.A.Poeと黙って書いてスーと教室から出て行った。
そうかポーだったのか ! と、私は妙に大感激した。
私のこの感激は、文学というものの香りへの感激だったに相違ない。
今でも私は素直にそう思う。
索漠たる受験英語に荒んでいた私は、真の文学の泉が如何なる味であるか、それを知ることができたのは私の心が未だ若かった故でもあるのだろうが、なによりも此の授業のおかげだと言える。
そして、当時、この授業の素晴らしさに感激した生徒が教室の片隅に居た、ということは恐らく先生はご存知あるまい。
その先生の名前は私は今でも私は憶えている。原崎という先生だった。
もう半世紀以上も前のことだ。今もご健在なのかどうか、同窓会なるものには一切出席していない私には分からない。
***
その後私は目出度く大学に入学し先ず買ったのが、
『Tales of Mystery and Imagination』(everyman's library 336)
だった。
この本のカバーには、Hop-Frogが、松明を片手に持って、シャンデリアの鎖につかまり、舞踏会を見下ろす場面の絵が描かれている。この本は今でも私の手元にある。
このHop-Flog の和訳を、その後いくつか読んだのだが、やはり先生の話術には、とうてい及ばない。
もし、先生と同じ程度に和訳できる人は誰だろうと思うときがある。
恐らくそれは芥川龍之介だと思う。
あの江戸小細工のような凝りに凝った緻密な文章で芥川龍之介が、このHop-Flogを日本語化してくれていたら・・・と思う。私の感覚では『Hop-Flog』と『地獄変』とは、とてもマッチするのだから。
タイトルを英語で書いたが、だからといって私は英語が得意というわけでは全くない。我が生涯を振り返ってみて、英語は結局あらゆる意味でモノにならなかったものの一つだ。では何故、英語で書くか。それは以下の理由があるからだ。
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話は昭和37年にさかのぼる。当時私は高校3年生であった。その高校はいわゆる受験校で現在はどうか知らないが当時は規定の授業なるものは1月始め頃には全て終了し2月以降は受験準備のため休校になつていた。
1月は各学科で言ってみれば暇つぶしの授業が行われていた。
私の教室の英語担当の先生は、其の『暇つぶし』の英語の授業で、先生手製の『ガリ版刷り』の教材を使用したのだった。
当時はワープロは勿論存在しないし、現在在るような重宝なコピー機も存在しなかった。在るのは油紙のようなものに金属製のペン先でカリカリと手書きして、それをガリ版機なるものに乗せ、インクの付いたローカーで擦って、一枚一枚コピーしていく・・・そんな次第の先生自身による手製教材であった。
先生は其のコピー教材を教室の全生徒に渡し、何の説明もなしに其のコピー用紙に書かれた英文を自ら読み始め自ら日本語に訳し始めた。
先生は生徒の誰かを指名して読ませたり訳させたりするような、そんな野暮なことは一切しなかった。
当時、私は生意気にも学校での英語授業なるものを軽蔑しきっていた。
英語は所詮は受験のための『お道具』だと割り切っていた。
この授業は毎週1回、1ヶ月間続いたように記憶している。
ところが私は次第に此の先生の授業にだんだん惚れこんでいった。
この教材の話の面白さに惹かれていったのだ。
小説らしい、ということは始めから分かっていたが、ともかく先生の和訳の話術も実に素晴らしく私はこの授業が楽しくてしようがなくなった。
今我が人生を振り返ってみても、こんなに魅惑的な授業というより、魅惑的な時間はその後ほとんど無かったと思う。
この授業の最終回に此の教材の話も終了したのだが、先生が教室から去ろうとするとき同級生の誰かが先生に問いかけた。
この教材の話の作者は誰なのか、と。
すると先生は、黒板に、E.A.Poeと黙って書いてスーと教室から出て行った。
そうかポーだったのか ! と、私は妙に大感激した。
私のこの感激は、文学というものの香りへの感激だったに相違ない。
今でも私は素直にそう思う。
索漠たる受験英語に荒んでいた私は、真の文学の泉が如何なる味であるか、それを知ることができたのは私の心が未だ若かった故でもあるのだろうが、なによりも此の授業のおかげだと言える。
そして、当時、この授業の素晴らしさに感激した生徒が教室の片隅に居た、ということは恐らく先生はご存知あるまい。
その先生の名前は私は今でも私は憶えている。原崎という先生だった。
もう半世紀以上も前のことだ。今もご健在なのかどうか、同窓会なるものには一切出席していない私には分からない。
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その後私は目出度く大学に入学し先ず買ったのが、
『Tales of Mystery and Imagination』(everyman's library 336)
だった。
この本のカバーには、Hop-Frogが、松明を片手に持って、シャンデリアの鎖につかまり、舞踏会を見下ろす場面の絵が描かれている。この本は今でも私の手元にある。
このHop-Flog の和訳を、その後いくつか読んだのだが、やはり先生の話術には、とうてい及ばない。
もし、先生と同じ程度に和訳できる人は誰だろうと思うときがある。
恐らくそれは芥川龍之介だと思う。
あの江戸小細工のような凝りに凝った緻密な文章で芥川龍之介が、このHop-Flogを日本語化してくれていたら・・・と思う。私の感覚では『Hop-Flog』と『地獄変』とは、とてもマッチするのだから。