釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

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及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『姫神』と『デブァカント』と『奥の細道』

2013-08-21 10:07:49 | その他の雑談
私は『姫神』のCDを数枚もっている。

古いのは、もう20年程前買ったものだが、折にふれ聴いている。『姫神』と言えば私は芭蕉の『奥のほそみち』を連想せざる得ない。

これもまた古い話になるが、今は亡き森敦が、芭蕉の「奥のほそみち」をたどる、一回限りの『われも、また、奥のほそみち』という紀行番組に出た。

森敦が、山々を遠く背景にした田舎の一本道を歩いていく姿を、TVカメラが遠望する映像は、今でも記憶に残っている。 この番組のBGMが『姫神』だった。

シンセサイザーという現代機器を使いながら演奏される曲想は、東北地方の風景に溶け込み印象的だった。

それ以来、『姫神』と言えば『奥のほそみち』を連想するように私はなった。

今でも私は記憶しているのだが森敦が秋田県の蚶満(かんまん)寺を訪れた時、掛け軸に書かれた芭蕉自筆だといわれる

『象潟や 雨に西施が ねぶの花』

を見て、森敦は例の穏やかな微笑をたたえながら「これは何と書かれているのですか」と寺の住職に尋ねるのだった。

当然、森敦は其の句も、その由来も知っているはずであるが、その時の森敦の微笑が忘れられない。

私は芭蕉の此の俳句が好きで、其の、しっとりとした哀情の気品さには惹かれる。

***
NHK BSで『音巡礼・奥の細道』という紀行番組が1996年に放送された。

この番組はデヴァカント(Devakant)というアーチストが「奥のほそみち」の旧跡を訪ね歩くという番組であった。

この人は頭部を白い布に包み、衣装はインド風の白装束で長い杖を持ち、インドあたりの古楽器の入った白袋を肩にささげるという出で立ちだった。 インドで芭蕉を知ったそうだ。

「奥の細道」の縁(ゆかり)の森閑とした風景を背景に「奥のほそみち」の原文が朗読され、各地各地の旧跡で、デヴァカントは自作の曲を演奏したのだった。

古楽器らしい其の音の響きは旧跡の周りの風景に溶け込み、しみじみとした余情を漂わせたものだった。

時には土地の老婆たちの唱える御詠歌や、時には坊さんたちの唱える般若心経との彼の演奏のコラボレーションは何の違和感もなく、其の土地の森の霊たちも聴き入るかのようであった。

この番組は他の紀行番組にはない傑出した番組で私は此れは録画保存しているが、折にふれ再見している。演出は波多野紘一郎。

このデヴァカントが蚶満寺を訪れたとき出迎えたのが、森敦が訪れたときに応対した和尚と同じ人だった。
恐らく、10年以上の歳月が過ぎていただろう。

このときにも、上句が朗読された。

***
『松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし』

今、松島はどうなっているだろう。

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1 コメント

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松島や (坂 英力)
2013-12-08 21:19:13
 初めまして。多賀城市在住の病院勤務のオヤジです。
NHK「音巡礼 奥の細道」はとてもすばらしかったので、私も印象に残っております。しかし、林英哲など当時の一流の古典芸能の芸術家たちがでているのに、DVDもでていませんし、動画も状態のわるいものがわずかに1つだけです。この状態は非常に残念です。 
録画されていたとのことですがうらやましいかぎりです。

 震災時は勤務先が災害拠点病院でしたので、トリアージなどしておりました。松島は津波浸水被害が沿岸部にありましたが、現在、表面上は震災前と変わりません。 
 沿岸被災地での生活は収入減少、仮設住宅は継続、復興住宅の建設もおくれ、医療介護の窓口援助が宮城のみうちきりられ、治療中断など起こっております。防潮堤などの建設でも、岩手県が住民の意見尊重しているのに対して、宮城県当局の機械的な姿勢が問題になっております。

地盤沈下の影響、松の立ち枯れの急増、東松島の海岸部の壊滅状態・・津波があまりこない場所をあえて選び建設された瑞巌寺付近の景観はあまり変わりませんが、ひざ微差に訪れた方々には、少し変わったと思われるかも知れません。

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