大学の文学部では芥川論を今まで何万という学生諸君が彼を卒論のテーマに挙げてきたに相違ない。また、これまで、これまた何万( はオーバーかな )と芥川論が書かれてきただろう。
私は、偉人凡人含めて、いわゆる人物論には興味がないので、芥川人物論も全く読んだことがない。つまりは、私は彼の作品が好きなのであって人物自身にはあまり興味がないのだ。
しかし、『或阿呆の一生』に添えられた前書きを読み、また『あの頃の自分のこと』を読むとき、私は彼の人柄にある種の懐かしみを常に感じている。
『或阿呆の一生』の前書きは彼の友人宛への遺書とも言えるものだが、いずれは世間の目に晒されることの承知の上の文章だろうが、ここには彼の無念さが痛々しく滲み出ている。その前書きを、少し引用してみよう。
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僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に一任したいと思つてゐる。 (中略) 僕は今最も不幸な幸福な中に暮らしている。唯僕の如き悪夫、悪子、悪親をもったものたちを如何にも気の毒に感じてゐる。ではさやうなら。 (中略)
最後に僕のこの原稿を特に君に委託するのは君の恐らくは誰よりも僕を知ってゐると思うからだ。(中略) どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑ってくれ給え。
昭和二年六月二十日 芥川龍之介
久米正雄君
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私はこの前書きを読むにつけ、『あの頃の自分のこと』を思い出す。これは彼の学生時代の若き日の交友が書かれている。この作品の最後の章に彼が友人・松岡譲の下宿を訪れれたときのことが書かれている。久米雅夫も松岡譲も同人誌『新思潮』の仲間同士である。芥川が松岡の下宿を訪れたとき、松岡は創作で徹夜しているらしいことを下宿のお婆さんから知らされる。芥川は、二階の彼の部屋にそっと上がり彼の部屋を見ると、原稿用紙が乱雑に散らばっている中に松岡は『髭ののびた顔を括(くく)り枕の上にのせて、死んだやうに寝入っていた。』
この後の文章を引用してみよう。
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その時ふと松岡の顔を見ると、彼は眠りながら睫毛(まつげ)の間へ、涙を一ぱいためてゐた。(中略) 「莫迦(ばか)な奴だな。寝ながら泣く程苦しい仕事なんぞをするなよ。体でも毀(こわ)したら、どうするんだ。」ーーー自分は、その心細さの中で、かう松岡を叱りたかつた。が、叱りたいその裏では、やっぱり「よくそれ程苦しんだな」と、内緒で褒めてやりたかつた。さう思つたら、自分まで、何時(いつ)の間にか涙ぐんでいた。
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こう中略して書いてしまうと、芥川の文章のデリカシーが損なわれてしまって、ただの感傷文になってしまうが、全文を読んでもらえば分かるが、ここには芥川龍之介という人の人柄がよく表れている。芥川龍之介の作品全てに言えることだが、彼の作品の最後の文章の上手さ( というか余韻の深さ )は格別なものがある。この『あの頃の自分のこと』もそうであって、松岡の下宿を出た後、この作品は以下のように終わっている。
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往来は不相変(あいかわらず)、凄(すさ)まじく、砂煙が空へ舞い上がってゐた。気になったから上を見ると、唯、小さな太陽が、白く天心に動いてゐた。自分はアスファルトの往来に立った儘(まま)、どつちへ行かうかなと考えた。
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理由を説明するのは難しいが、と言うより私自身がよく分からないのだが、この、『あの頃の自分のこと』のこの最後の文章が私は芥川作品の中で最も好きな文章の一つである。そして、始めにも書いたが、この作品を読むたびに私は久米正雄宛の遺書とも言える『或阿呆の一生』の前書きを思い出す。芥川龍之介が若き日に見た松岡譲は実は芥川自身だったのではないか。
『莫迦(ばか)な奴だな。寝ながら泣く程苦しい仕事んぞするなよ。』と松岡譲に語った芥川の言葉は実は芥川自身への言葉だったのではないか。私はそういう芥川が好きである。