『 きはまりて ものさびしき時すぎて、
麦うらしひとつ 鳴き出でにけり 』
***
この夏もだいぶ涼しい日が続くようになった。
季節は確実に移ろうとしている。 既に秋も近い。
この頃になると当地では『つくつくほうし』が鳴き始める。
つくつくほうし、と文字どおり鳴くのだから面白い。
数度、「つくつくほうし」と鳴き続けていると、今度は、ちょっと鳴きかたを省略し、つくほー、つくほーと鳴き、最後は、じぃーと一声して鳴きやむ。
どこで鳴いているのだろうかと窓から近くの木々を覗いてみるのだが分からない。
この晩夏の午後、この蝉が鳴きだし聞くともなく聞いていると、『ものさびしき時すぎて』という、かすかな感慨がわいてこないでもない。
その感慨は、移ろう日々よ、といった、この秋津の国の人々の、おそらく独特の感慨である。
その感慨は単なる侘びしさとは違う。
流れゆく川の流れを見ているときのような透明な諦観とでも言おうか。
ところで「麦うらし」は、どのように鳴くのだろうか。
麦うらしひとつ 鳴き出でにけり 』
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この夏もだいぶ涼しい日が続くようになった。
季節は確実に移ろうとしている。 既に秋も近い。
この頃になると当地では『つくつくほうし』が鳴き始める。
つくつくほうし、と文字どおり鳴くのだから面白い。
数度、「つくつくほうし」と鳴き続けていると、今度は、ちょっと鳴きかたを省略し、つくほー、つくほーと鳴き、最後は、じぃーと一声して鳴きやむ。
どこで鳴いているのだろうかと窓から近くの木々を覗いてみるのだが分からない。
この晩夏の午後、この蝉が鳴きだし聞くともなく聞いていると、『ものさびしき時すぎて』という、かすかな感慨がわいてこないでもない。
その感慨は、移ろう日々よ、といった、この秋津の国の人々の、おそらく独特の感慨である。
その感慨は単なる侘びしさとは違う。
流れゆく川の流れを見ているときのような透明な諦観とでも言おうか。
ところで「麦うらし」は、どのように鳴くのだろうか。