キャッチ アンド リリース という言葉を日本に紹介したのは開口健だと思ったが私の勘違いかも知れない。
私がもし不幸にも人間に生まれ変わったら究めてみたいものの一つにフライ・フィッシングがある。
食うために魚釣りするのも結構なことだが、魚と遊ぶという精神性には惹かれるものがある。
私も一時期魚釣りに凝ったことがある。もっぱら鯉や鱒釣りだったが「坊主」であることが多かった。
魚釣りは外見はノンビリしているように見えるのだが、多くの魚釣り好きな人もそうだろうが心中はイライラしているのが実態だろう。
ならばこそ、かのアイザック・ウォルトンが『釣魚大全』で「Study to be quiet」と書いたのだろうが、この言葉を開口健は「穏やかであることを学べ」と訳していた。良い言葉だと思う。
***
私の絵遊びのキッカケとなった本の著者・C.A.ピックオーバーは其の著書の中で此の遊びを評して以下のように書いている。
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『私はときどき自分を釣り師になぞらえてみる。
コンピューター・プログラムとアイデアは釣り針であり、リールである。コンピューターで描きあげた絵はトロフィーであり、うまいご馳走である。
釣り師には、何が釣れるかがいつもわかっているわけではない。しかし、どこがよく釣れるか、どの流れに魚がたまっているか、などについての知識はもっているだろう。
しばしばびっくりするほどの大物が釣れるが、これこそまさに釣りの醍醐味である。しかし、保証はない。そのかわり予期しない楽しみもある。
読者もぜひ未知の釣り場で実際に糸を垂れてほしい。できれば、釣りあげた獲物を観賞し、さらにそれを解剖し、内部の構造を調べてほしい。』
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誠に正鵠を得た譬えである。この絵遊びの精神はフライ・フィッシングの其れと全く異ならない。
何事にも長続きしない悪癖を持つ私が30年間も此の遊びを続けているのも、数学の複素平面という実にピュアな「渓谷」があるからだ。
其処には実人生の騒音もないし、或る意味での孤独が沁みとおるように楽しいからだ。
(久しぶりにブライアン・イーノの「DAY OF RADIANCE」を聴きながら)
私がもし不幸にも人間に生まれ変わったら究めてみたいものの一つにフライ・フィッシングがある。
食うために魚釣りするのも結構なことだが、魚と遊ぶという精神性には惹かれるものがある。
私も一時期魚釣りに凝ったことがある。もっぱら鯉や鱒釣りだったが「坊主」であることが多かった。
魚釣りは外見はノンビリしているように見えるのだが、多くの魚釣り好きな人もそうだろうが心中はイライラしているのが実態だろう。
ならばこそ、かのアイザック・ウォルトンが『釣魚大全』で「Study to be quiet」と書いたのだろうが、この言葉を開口健は「穏やかであることを学べ」と訳していた。良い言葉だと思う。
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私の絵遊びのキッカケとなった本の著者・C.A.ピックオーバーは其の著書の中で此の遊びを評して以下のように書いている。
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『私はときどき自分を釣り師になぞらえてみる。
コンピューター・プログラムとアイデアは釣り針であり、リールである。コンピューターで描きあげた絵はトロフィーであり、うまいご馳走である。
釣り師には、何が釣れるかがいつもわかっているわけではない。しかし、どこがよく釣れるか、どの流れに魚がたまっているか、などについての知識はもっているだろう。
しばしばびっくりするほどの大物が釣れるが、これこそまさに釣りの醍醐味である。しかし、保証はない。そのかわり予期しない楽しみもある。
読者もぜひ未知の釣り場で実際に糸を垂れてほしい。できれば、釣りあげた獲物を観賞し、さらにそれを解剖し、内部の構造を調べてほしい。』
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誠に正鵠を得た譬えである。この絵遊びの精神はフライ・フィッシングの其れと全く異ならない。
何事にも長続きしない悪癖を持つ私が30年間も此の遊びを続けているのも、数学の複素平面という実にピュアな「渓谷」があるからだ。
其処には実人生の騒音もないし、或る意味での孤独が沁みとおるように楽しいからだ。
(久しぶりにブライアン・イーノの「DAY OF RADIANCE」を聴きながら)