釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『日本的情念の暗部』 (馬場あき子)

2013-08-01 10:55:18 | その他の雑談
私が以前より再読したいと思っていた本に『鬼の研究』(馬場あき子著)がある。

私は日本の古典文学には全く疎い者で、此の本で縦横に駆使されている其の古典を知らない私が此の本を理解しようとすること自体が無謀であることは本人が最もよく分かっている。

では何故此の本に惹かれるのか。その理由は簡単。
私は『鬼』や『幽霊』が大好き人間であって、ひとえに此れらの超常者が如何なるものか知りたいからだ。

私は数学や物理が好きだが、その理由は・・・説明するのは大変難しいが・・・『鬼』や『幽霊』が好きであることと共通の基盤が実は有る。

***
そこで昨日、図書館から三一書房の『馬場あき子全集・第四巻・古典評論』なる分厚い本を借りてきた。

この本には『鬼の研究』ほか幾つかの評論が掲載されている。

『鬼の研究』は、先に書いたとおり、私には手に負えない評論であるが、それでも私なりに理解できる箇所もあり、それなりに面白い。

私が此の本を読んで別に試験を受ける訳でもなく、何の制約もないのだから、自分に興味ある箇所からツマミ食い式に読んでいる。

とりわけ私は『六条の御息所』と『黒塚』の女たちに興味があって、その箇所は少し背伸びしてでも理解しようと思っている。 彼女たちの鬼になる有様に興味があるのだ。
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前段の話が長くなったが、此の本には掲題の評論も記載されている。

此のタイトルからして興味津々で私は『鬼の研究』を一休みして此の掲題の評論を読んだ。

勿論、『日本的情念の暗部』は『鬼の研究』を前提とした文脈での『暗部』について書かれている。

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この私の日記では此の評論に書かれていることの二つのことについて私の感想を簡単に書く。

一つは日本語の『もの』という言葉の特徴について。

これほど曖昧で便利な言葉はない。
何か分からない「ものごと」があったら其れを、とりあえず『もの』と表現しておけば分かった気になる。

著者が面白い指摘をしている。
この曖昧にして重宝な言葉が接頭語として使われるとき、『ものさびしい』『ものすごい』とか使われるように、なぜか明るい感覚や情緒とは結びつかない。

著者の説明によると、古代において『もの』とは『もののけ』のように表現できぬ目に見えぬ或る種の力のことであった、そうである。

この力が『鬼』化していく過程の鋭い分析は『鬼の研究』の何処かで解説されているはずである。それは読んでのお楽しみ。

もう一つは『怨』という言葉。

私はこの言葉ほど『日本的情念の暗部』を感じさせる言葉はないと感じている。

もう、だいぶ前になるが、日本版ホラー映画が世界的にヒットされたと聞く。 まさに日本版ホラーの真髄は『怨』であって、『怒』でも『悲』でもない。

かのドラキュラ氏には『恐』は感じても『怨』は、少なくとも私は微塵も感じない。 私の好きな『幽霊』の本質は『怨』であるからだ。  

この『怨』について著者は以下のように書いている。

『ある訴えをもった闘争集団がシンボルとして旗に「怨」という字をかかげたときの衝撃は、一種名状しがたいものであった。』

この評論が書かれたのは1976年だから、「ある訴えをもった闘争集団」とは、どのような闘争集団か分かるだろう。

この闘争集団がカラ威張りの学生運動ではないところに、此の国の庶民たちに暗く低流している『日本的情念の暗部』を私は著者と共に感ずるのだ。

そして『怨』の字に象徴される『もの』こそ、此の国の『鬼』の系譜に他ならないようだ。

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