私の持論は「医療はあればあっただけ。」、裏返せば「ないならないなりに。」である。
どの地域でも
「あったらいいななら、脳外科センターでも欲しい。」
「しかし今、われわれの地域に必要なのは・・・」
とは北海道の厚岸町の議員の室崎正之氏のおっしゃっていた至言である。
しかし冷静に考えても高度医療センターの門前に住む人が幸せで長生きできるとは限らない。
難病や障害とともに暮らすのにはそこそこの医療でも、福祉の充実した町のほうがいい場合だってあろう。
ドクターコトーのように離島にESWT(超音波で尿路結石を破砕する機械)の機械を入れたり、大動脈瘤の待機手術をするなんてあり得ない。
漁船の上で盲腸の手術くらいはありえるかもしれないが・・・。
もっともブラックジャックのような医者は確かに存在した。
コトーのモデルとなった瀬戸上健二郎先生はあらゆる手術を島でやり「命のことは神様に,病気のことは瀬戸上先生に」 と島の人からは言われているそうだ。
そして、かの若月俊一氏もニーズがあれば一般外科はもちろん、帝王切開から、耳鼻科や整形外科の手術もなんでもやっていた。
手術がうまくいかずに患者が亡くなってしまい手術室で土下座をしてあやまったこともあるそうだ。
でも今はとてもムリだろう。
たとえ善意であっても、うまくいかなかった場合に許してもらえないだろうから。
大野病院事件のように逮捕される場合すらある。
悲しいことにそういうスーパーヒーローは存在しえない世の中になってしまった。
しかし、高度なことができなくても地域ですべきことはたくさんある。
地域診療所では福祉をささえることや在宅医療、健康増進や医学知識の普及も大事な仕事。
「医療はあればあっただけ。」ではあるが、全体のリソースが限られている以上、プライマリヘルスケアや福祉の充実が当然、高度先進医療の充足よりも先んじられるべきである。
お金のある人には高度医療もあるが、それ以外の大多数には最低限の福祉や保健も乏しいアメリカ型の医療より福祉や保健をベースにピラミッド型になっているキューバの医療のほうがバランスはとれている。
医療よりは保健や福祉、食料や水、治安などのベーシックヒューマンニーズの充足が当然先である。
「医療はないならないなりに。」である。
ディビットワーナーという人の書いた「Where there is no doctor」という世界各地で読まれている本がある。
基本的なケアや保健や公衆衛生の知識がイラストをたくさん使ってコンパクトにまとめてある。
そもそも今の我が国の若い人はこの程度の保健の知識はあるのだろうか?
学生時代に実習に行かせていただいた北海道霧多布の浜中町の診療所。
霧多布の診療所に47年務め神様になってしまった医師道下俊一氏と、その後を引きついた小川克也医師のスタンスの違いが象徴的だ。
「霧多布人になった医者」道下俊一氏は自虐的とも言える「僻地医五戒」を残した。
・僻地医は人間らしい願いを持ってはならない。
・僻地医は超能力者でならなければならない。
・僻地医は病気にかかってはならない。
・僻地医はマスコミを意識しなければならない
・僻地医は聖人でならなければならない。
その後を引き継いだ小川克也医師は最初の2年間は24時間365日やったが、夜間休日に診るのを徐々に減らしていった。
「夜間や休日の診療は心肺蘇生の必要な患者に限る。」という診療体制は町でも物議を醸し出したが・・。
最終的に「できることしかしない。」「住民が気に入った医療機関に行けばいい。」というスタンスにたどり着いた小川医師。
医者の仕事は診療以外にも色々ある。学校医、船員の検診、乳幼児検診、予防接種、介護保険の仕事・・・・。
できるだけ長く、そこで医者でありつづけるため。
(日経メディカルスペシャル 2009年夏 500号記念臨時増刊号より。)
これはこれで立派なスタンスだとおもう。
精神科診療をしていると無限の受容、関わりをもとめてくる病理を抱えた一群の患者さん(境界性パーソナリティ障害など)とおつきあいをすることになる。
基本的な信頼感に欠け周囲の人間と安定した対等な人間関係を築くことに困難を抱えている人たちである。
彼らは自分でも「何をしたいのか」がわかっておらず、寂しさの病理を抱え、見捨てられ不安が強い。
治療者が相手の要求に応えようとすると、いい治療者に出会えたと喜び神様のように持ち上げる。
しかし要求はエスカレートして、そのうち治療者は応えきれなくなる。
「見捨てられた。」「ひどい治療者だ。」と一変してこき下ろし、治療者を攻撃したり大量服薬やリストカットなどの自傷行為をしたりする。
そのような患者さんへの関わり方の基本は、治療の枠組みを堅持し、「できることしかしない。」そして「たんたんと関わる。」ということだ。
細く長く安定してつきいながら、患者は社会的スキルを身につけ、基本的信頼感を獲得し安定して自立してくというのが治療戦略となる。
地域での医療も全く同じことが言えよう。
腕もよく面倒見がよく自己を犠牲にして医療をやってきた医師がその他の事情でやめ、その後の(普通の)医師が辛い想いをするというのは地域医療を巡るよくある話だ。
住民の要求(NeedsではなくWants(わがまま))がエスカレートするため、ますます医師が居着かなくなる。
100点満点の医療が10年あってなくなるよりは、60点の医療でもずっとある方がよほどいい。
夕張医療センターの村上智彦医師の言うように、医療も打ち上げ花火で終わってはいけない。住民も変わり、システムとして持続可能なありかたを考えざるを得ない。
医療の世界でも持続可能性(Sustainability)はキーワードである。
そう考えると農村医科大学の創設を目指して、佐久総合病院を大きく育ててきたり、周囲の診療所に医師を継続的に派遣してきた若月俊一や佐久病院の目指していたことが理解できる。
若月俊一が佐久の農村に来た時代、農民は医者にかかることを「医者をあげる。」といいギリギリまで医者にかからず、手遅れになるケースが後を絶たなかった。
若月らは農村に入り、演劇を通じて健康や医療の知識を伝えた。
また現在の健診の先駆けとなる全村のヘルススクリーニングを行い、潜在疾病を拾い上げ「気づかず型」「がまん型」に分類した。
そして都会に負けないくらいの高度な医療センターを農村部に作った。
しかし、今や「健康や人生に関することまで、すべて医療にお任せする一方で結果については激しく苦情を言う。」というスタンスの人も増えている。
今の状況に関して若月俊一なら何というだろうか。
参考:患者さんの権利と責任
日本語版全訳→医者のいないところで(Where there is no docotor.日本語訳)
11月14日を「いい医師の日」に。その1
11月14日を「いい医師の日」に。その2
どの地域でも
「あったらいいななら、脳外科センターでも欲しい。」
「しかし今、われわれの地域に必要なのは・・・」
とは北海道の厚岸町の議員の室崎正之氏のおっしゃっていた至言である。
しかし冷静に考えても高度医療センターの門前に住む人が幸せで長生きできるとは限らない。
難病や障害とともに暮らすのにはそこそこの医療でも、福祉の充実した町のほうがいい場合だってあろう。
ドクターコトーのように離島にESWT(超音波で尿路結石を破砕する機械)の機械を入れたり、大動脈瘤の待機手術をするなんてあり得ない。
漁船の上で盲腸の手術くらいはありえるかもしれないが・・・。
もっともブラックジャックのような医者は確かに存在した。
コトーのモデルとなった瀬戸上健二郎先生はあらゆる手術を島でやり「命のことは神様に,病気のことは瀬戸上先生に」 と島の人からは言われているそうだ。
そして、かの若月俊一氏もニーズがあれば一般外科はもちろん、帝王切開から、耳鼻科や整形外科の手術もなんでもやっていた。
手術がうまくいかずに患者が亡くなってしまい手術室で土下座をしてあやまったこともあるそうだ。
でも今はとてもムリだろう。
たとえ善意であっても、うまくいかなかった場合に許してもらえないだろうから。
大野病院事件のように逮捕される場合すらある。
悲しいことにそういうスーパーヒーローは存在しえない世の中になってしまった。
しかし、高度なことができなくても地域ですべきことはたくさんある。
地域診療所では福祉をささえることや在宅医療、健康増進や医学知識の普及も大事な仕事。
「医療はあればあっただけ。」ではあるが、全体のリソースが限られている以上、プライマリヘルスケアや福祉の充実が当然、高度先進医療の充足よりも先んじられるべきである。
お金のある人には高度医療もあるが、それ以外の大多数には最低限の福祉や保健も乏しいアメリカ型の医療より福祉や保健をベースにピラミッド型になっているキューバの医療のほうがバランスはとれている。
医療よりは保健や福祉、食料や水、治安などのベーシックヒューマンニーズの充足が当然先である。
「医療はないならないなりに。」である。
ディビットワーナーという人の書いた「Where there is no doctor」という世界各地で読まれている本がある。
基本的なケアや保健や公衆衛生の知識がイラストをたくさん使ってコンパクトにまとめてある。
そもそも今の我が国の若い人はこの程度の保健の知識はあるのだろうか?
学生時代に実習に行かせていただいた北海道霧多布の浜中町の診療所。
霧多布の診療所に47年務め神様になってしまった医師道下俊一氏と、その後を引きついた小川克也医師のスタンスの違いが象徴的だ。
「霧多布人になった医者」道下俊一氏は自虐的とも言える「僻地医五戒」を残した。
・僻地医は人間らしい願いを持ってはならない。
・僻地医は超能力者でならなければならない。
・僻地医は病気にかかってはならない。
・僻地医はマスコミを意識しなければならない
・僻地医は聖人でならなければならない。
その後を引き継いだ小川克也医師は最初の2年間は24時間365日やったが、夜間休日に診るのを徐々に減らしていった。
「夜間や休日の診療は心肺蘇生の必要な患者に限る。」という診療体制は町でも物議を醸し出したが・・。
最終的に「できることしかしない。」「住民が気に入った医療機関に行けばいい。」というスタンスにたどり着いた小川医師。
医者の仕事は診療以外にも色々ある。学校医、船員の検診、乳幼児検診、予防接種、介護保険の仕事・・・・。
できるだけ長く、そこで医者でありつづけるため。
(日経メディカルスペシャル 2009年夏 500号記念臨時増刊号より。)
これはこれで立派なスタンスだとおもう。
精神科診療をしていると無限の受容、関わりをもとめてくる病理を抱えた一群の患者さん(境界性パーソナリティ障害など)とおつきあいをすることになる。
基本的な信頼感に欠け周囲の人間と安定した対等な人間関係を築くことに困難を抱えている人たちである。
彼らは自分でも「何をしたいのか」がわかっておらず、寂しさの病理を抱え、見捨てられ不安が強い。
治療者が相手の要求に応えようとすると、いい治療者に出会えたと喜び神様のように持ち上げる。
しかし要求はエスカレートして、そのうち治療者は応えきれなくなる。
「見捨てられた。」「ひどい治療者だ。」と一変してこき下ろし、治療者を攻撃したり大量服薬やリストカットなどの自傷行為をしたりする。
そのような患者さんへの関わり方の基本は、治療の枠組みを堅持し、「できることしかしない。」そして「たんたんと関わる。」ということだ。
細く長く安定してつきいながら、患者は社会的スキルを身につけ、基本的信頼感を獲得し安定して自立してくというのが治療戦略となる。
地域での医療も全く同じことが言えよう。
腕もよく面倒見がよく自己を犠牲にして医療をやってきた医師がその他の事情でやめ、その後の(普通の)医師が辛い想いをするというのは地域医療を巡るよくある話だ。
住民の要求(NeedsではなくWants(わがまま))がエスカレートするため、ますます医師が居着かなくなる。
100点満点の医療が10年あってなくなるよりは、60点の医療でもずっとある方がよほどいい。
夕張医療センターの村上智彦医師の言うように、医療も打ち上げ花火で終わってはいけない。住民も変わり、システムとして持続可能なありかたを考えざるを得ない。
医療の世界でも持続可能性(Sustainability)はキーワードである。
そう考えると農村医科大学の創設を目指して、佐久総合病院を大きく育ててきたり、周囲の診療所に医師を継続的に派遣してきた若月俊一や佐久病院の目指していたことが理解できる。
若月俊一が佐久の農村に来た時代、農民は医者にかかることを「医者をあげる。」といいギリギリまで医者にかからず、手遅れになるケースが後を絶たなかった。
若月らは農村に入り、演劇を通じて健康や医療の知識を伝えた。
また現在の健診の先駆けとなる全村のヘルススクリーニングを行い、潜在疾病を拾い上げ「気づかず型」「がまん型」に分類した。
そして都会に負けないくらいの高度な医療センターを農村部に作った。
しかし、今や「健康や人生に関することまで、すべて医療にお任せする一方で結果については激しく苦情を言う。」というスタンスの人も増えている。
今の状況に関して若月俊一なら何というだろうか。
参考:患者さんの権利と責任
Where There Is No Doctor: A Village Health Care HandbookHesperian Foundation このアイテムの詳細を見る |
日本語版全訳→医者のいないところで(Where there is no docotor.日本語訳)
霧多布人になった医者―津波の村で命守って道下 俊一北海道新聞社 このアイテムの詳細を見る |
・先生、なまらコワイべさァ―田舎医者への峠道小川 克也ごま書房 このアイテムの詳細を見る |
村上スキーム 地域医療再生の方程式村上 智彦エイチエス このアイテムの詳細を見る |
村で病気とたたかう (岩波新書 青版)若月 俊一岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
信州に上医あり―若月俊一と佐久病院 (岩波新書)南木 佳士岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
11月14日を「いい医師の日」に。その1
11月14日を「いい医師の日」に。その2