しだいに消耗し、疲れているのに眠れなくなり、めまいや吐き気、不整脈、ものすごい肩の張りなど症状におそわれるようになりました。
自分の不作為ために患者に不利益を与えてはいけないと、なんとか病院に行っても半日かけてやっと病棟へたどり着き、そそくさと回診し、患者の前からも逃げるように立ち去る毎日であり、発作的に何かしでかしてしまいそうな衝動に繰り返し襲われていました。院内PHSがなるたびにビクビクしていましたた。
自分にまとわりつくすべてのものがうっとうしく、世の不幸はすべて自分が原因であるのではないかと思っていました。
自分ではどうしようもない調子の波、能力の偏りにも気づきました。
病棟の都合で患者の病室が移動していたりするとパニックになったり患者の名前が覚えられなかったり、カルテやサマリーがどうしても書けず患者やリハビリ科のスタッフが入れ替わり立ち替わりくる診察室や病棟で混乱したりしていました。
夕方は頭痛がして診察室でぐったりとしていました。
すすめられて心療内科に受診しうつの薬をとっかえひっかえ出してもらいましたが、余計に変な感じでした。
上司に、「もう無理です。リハビリ科はやめます。休ませてください。」といったら「ワシだって当直もやるようになった。他の後期研修医がまわってくる9月まで無理だ。」といわれてしまい、それから自分か、患者か上司を殺してしまうと・・・思えば毎日、かなり異常な精神状態でした。
突然道路の真ん中でひっくり返ってみたり、どうかなってしまいそうでした。
危なっかしくてみてられんと患者さんを引き受けてくれた同僚や先輩、「何かする前に電話しろよ。」といってくれた先輩がいてありがたかったです。
そして同期の後期研修医がリハビリ科にローテートしてくるのを待ち、地域ケア科に移らせてもらっいました。
それから半年は重い体を引きずりながら病院に向かい、負荷を減らした状態で訪問診療や老人保健施設中心の業務に関わらせてもらうなかで、たくましく地域で生き、そして旅立っていく患者さんに癒されていきました。
それでも医師をつづけていくことにも自信がなくなり、メンタルヘルスやうつ、心理学、発達障害、経営学、哲学などの本を読みまくり、自分や自分を取り巻く状況がなんとなくわかってきました。
そして少しずつ周りのものを整理して、多少は自分のできないこと、苦手なことは他人に任せられるようになってきたかなぁ?
自分の不作為ために患者に不利益を与えてはいけないと、なんとか病院に行っても半日かけてやっと病棟へたどり着き、そそくさと回診し、患者の前からも逃げるように立ち去る毎日であり、発作的に何かしでかしてしまいそうな衝動に繰り返し襲われていました。院内PHSがなるたびにビクビクしていましたた。
自分にまとわりつくすべてのものがうっとうしく、世の不幸はすべて自分が原因であるのではないかと思っていました。
自分ではどうしようもない調子の波、能力の偏りにも気づきました。
病棟の都合で患者の病室が移動していたりするとパニックになったり患者の名前が覚えられなかったり、カルテやサマリーがどうしても書けず患者やリハビリ科のスタッフが入れ替わり立ち替わりくる診察室や病棟で混乱したりしていました。
夕方は頭痛がして診察室でぐったりとしていました。
すすめられて心療内科に受診しうつの薬をとっかえひっかえ出してもらいましたが、余計に変な感じでした。
上司に、「もう無理です。リハビリ科はやめます。休ませてください。」といったら「ワシだって当直もやるようになった。他の後期研修医がまわってくる9月まで無理だ。」といわれてしまい、それから自分か、患者か上司を殺してしまうと・・・思えば毎日、かなり異常な精神状態でした。
突然道路の真ん中でひっくり返ってみたり、どうかなってしまいそうでした。
危なっかしくてみてられんと患者さんを引き受けてくれた同僚や先輩、「何かする前に電話しろよ。」といってくれた先輩がいてありがたかったです。
そして同期の後期研修医がリハビリ科にローテートしてくるのを待ち、地域ケア科に移らせてもらっいました。
それから半年は重い体を引きずりながら病院に向かい、負荷を減らした状態で訪問診療や老人保健施設中心の業務に関わらせてもらうなかで、たくましく地域で生き、そして旅立っていく患者さんに癒されていきました。
それでも医師をつづけていくことにも自信がなくなり、メンタルヘルスやうつ、心理学、発達障害、経営学、哲学などの本を読みまくり、自分や自分を取り巻く状況がなんとなくわかってきました。
そして少しずつ周りのものを整理して、多少は自分のできないこと、苦手なことは他人に任せられるようになってきたかなぁ?