長野新幹線の開業により平成9年にJR信越線の横川と軽井沢の間、通称「横軽」とよばれる11.2キロの区間は廃止された。急勾配を上るアプト式鉄道による碓氷峠越え、峠の釜飯などで有名な名物区間だった。しかし廃止により普通列車による運行はぶった切られてしまった。東京と長野は日帰りや通勤ができるほどに時間的に近くなったが旅情は失われた。そして、東京駅からわずか1時間でつくようになった避暑地軽井沢はこぎれいなガラクタを集めた大きなアウトレットモールなどもでき東京都の飛び地となった。
信越線は現在は横川側の鉄道文化村内の入浴施設までの2.6kmに遊具扱いの観光列車としてのトロッコ列車が、長野側は軽井沢~篠ノ井間で弟3セクターのしなの鉄道として生き残っている。
さてこの「横軽」区間だが、平成12年の3月に施行された改正鉄道事業法で新しく定められた「特定目的鉄道」という名目で、2007年の10月に鉄道文化村が観光用列車として復活させる方向で検討されているという。
このニュースを聞いて5年前の学生時代に18切符等で長野に来たときに横川で泊まり夜明けとともに碓氷峠を徒歩で越えたときのことを思い出した。霧につつまれた幻想的な風景であった。実際に汽車で碓氷峠を越えたことはないが、ぜひ復活に期待したい。
「A地点からB地点にできるだけ早く行こうとしていたことが無意味で馬鹿らしいことだったと、みなが気づく時がくるだろう。」と20世紀はじめに予言したのはトルストイだが、そろそろそのことに気づく人が増えはじめている証拠なのだろうか。
一方、本年4月にあっさりと廃止になった北海道ふるさと銀河線の線路もすでに傷み始めているようだ。味わい深い路線だったのだが、つくづくもったいないことをしたものだと思う。資源枯渇等でいよいよ自動車による輸送が困難になってきたころになって見直されるのだろうか?銀河連邦(臼田町は消滅したが)の一員として非常に悲しい。
公共交通機関は人権である。代替バスを走らせるからいいではないかという人もいるが、たとえ本数は少なくとも、鋼の強さで結ばれた鉄路とでは安心感が違う。
小諸~小淵沢を結ぶ小海線(八ヶ岳高原列車)も、運転は嫌いなので毎週のように利用させてもらっているが、乗っているのは高校生と高齢者、外国の人、そして休日は観光客ばかりだが。野辺山のJR最高地点、清里などの観光資源に恵まれローカル線としては優良な部類に入るのだろうが、廃止などの声は聞こえない。(もしJRが手放すというのならJAが買い取りJA小海線にすればいい?)
しかしもっともっと生活列車として活用されるように鉛線の活性化、バリアフリー化を進めていかなくてはならない。そのなかで病院の果たせる役割は何であろうか?
信越線は現在は横川側の鉄道文化村内の入浴施設までの2.6kmに遊具扱いの観光列車としてのトロッコ列車が、長野側は軽井沢~篠ノ井間で弟3セクターのしなの鉄道として生き残っている。
さてこの「横軽」区間だが、平成12年の3月に施行された改正鉄道事業法で新しく定められた「特定目的鉄道」という名目で、2007年の10月に鉄道文化村が観光用列車として復活させる方向で検討されているという。
このニュースを聞いて5年前の学生時代に18切符等で長野に来たときに横川で泊まり夜明けとともに碓氷峠を徒歩で越えたときのことを思い出した。霧につつまれた幻想的な風景であった。実際に汽車で碓氷峠を越えたことはないが、ぜひ復活に期待したい。
「A地点からB地点にできるだけ早く行こうとしていたことが無意味で馬鹿らしいことだったと、みなが気づく時がくるだろう。」と20世紀はじめに予言したのはトルストイだが、そろそろそのことに気づく人が増えはじめている証拠なのだろうか。
一方、本年4月にあっさりと廃止になった北海道ふるさと銀河線の線路もすでに傷み始めているようだ。味わい深い路線だったのだが、つくづくもったいないことをしたものだと思う。資源枯渇等でいよいよ自動車による輸送が困難になってきたころになって見直されるのだろうか?銀河連邦(臼田町は消滅したが)の一員として非常に悲しい。
公共交通機関は人権である。代替バスを走らせるからいいではないかという人もいるが、たとえ本数は少なくとも、鋼の強さで結ばれた鉄路とでは安心感が違う。
小諸~小淵沢を結ぶ小海線(八ヶ岳高原列車)も、運転は嫌いなので毎週のように利用させてもらっているが、乗っているのは高校生と高齢者、外国の人、そして休日は観光客ばかりだが。野辺山のJR最高地点、清里などの観光資源に恵まれローカル線としては優良な部類に入るのだろうが、廃止などの声は聞こえない。(もしJRが手放すというのならJAが買い取りJA小海線にすればいい?)
しかしもっともっと生活列車として活用されるように鉛線の活性化、バリアフリー化を進めていかなくてはならない。そのなかで病院の果たせる役割は何であろうか?
なぜなら、東京から上田までの切符は買えるけど、しなの鉄道の切符は一緒に買えないからです
なにより本数が少なすぎ
しなの鉄道間の駅に行くより、長野まで出る方が時間が短いなんて切ない。
バリアーフリーって、どこまでもフリーが良いんでしょうか?
ちょっとの段差が人を成長させる事は無いのでしょうか?
私の義父が脳梗塞で半身不随です。ダイエットが必要なのですが、あまり動かない人なので一向に痩せません。ちょっとの段差がリハビリと思うのですが、どこまでもフリーの方がもっと動いてくれるものなのでしょうか?
段差解消だけがバリアフリーではありませんが、がんばればなんとか段差(Gap)を超えられる人はいいのです。しかし、どうやっても超えられない人はどうやって社会に出て行くのでしょう?
がんばりたい人は、自然界には山なり海なりいくらでも厳しいフィールドはあるのですから、せめて人が作りデザインする街くらいは誰にとっても優しいつくりにしたいものです。
身体障がい者の運動量の確保というのは大きな問題です。杖、装具をつかっても、がんばれば歩けるレベルなら、目標を決めて毎日歩くのがいちばんよいように思います。
動くかどうかは本人次第ですが安全に動ける環境を用意してあげることは必要でしょうね。
小諸関連ということでTBさせていただきました。
よろしくお願いします。
置戸は学生時代の合宿で3回ほどお世話になった町です。街おこしにも熱心ないい街でした。
長野に北からも、北見を佐久、置戸を小海に見立ててずっと見守っていました。
銀河線の経営陣にはしなの鉄道の再生ほど、真剣さが足りなかったとは思いますが、いちばんの主犯格は廃止ありきで話をすすめた道なのでしょうね。
置戸や陸別、足寄など、せっかく立派な駅舎のある街が多いのに、鉄道がなくなると街の中心がなくなるような感じです。
なので、自町内だけでも守ると。。
で、残すために、最後に、車両が、送り込んであります。
なので、いつでも、復活は可能です。
住民の足 というスタンスですけどね。
でも自動車が使える世代はみんな車になってしまうようですが・・・。
訂正します。
廃校の宿泊施設にとまりたかったのですがあいていませんでした。