リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

TPPで考えた。日本という国のあり方。

2011年10月30日 | Weblog
私も他の多くの国民と同様に、TPPは農業問題くらいの問題意識しかありませんでした。

しかしネットなどで話題になるようになり、いろいろ調べてみるとこれは日本という国家の将来において大きな分岐点だと思うようになりました。

私は経済学や国際関係論などを系統的に学んだことのない人間ですが、歴史、文明論、人類史、地政学、エコロジー等の観点からグローバリズムとTPPの是非、日本という国のあり方を考えてみました。

私自身は、日本国内で、日本という国の将来のあり方についての議論が尽くされていない段階で、交渉下手の日本人の中でも特に交渉下手で危うい(尖閣諸島の中国漁船衝突問題などで露呈した・・・。)民主党が政権をもっている現在、あわててTPP交渉のテーブルにつくということは時期尚早と考えます。
長引く不況に加え「災害からの復旧」と「原発事故の処理」という二つの難問を抱えた現在、少なくとも十分な情報が与えられた上で国民的議論を尽くして総選挙などを経てからでも遅くはないと思います。

政府やマスコミは「経済のグローバル化が進む中、日本が輸出国として生き延びるためには各国との経済連携を強める必要がありTPP交渉参加はやむを得ない」、「日本の旧弊を取り去るためにはTPP交渉参加しかない。」、「バスRに乗り遅れるな」、「平成の開国」、「アジアの成長を取り込め」、「消費者の利益になる」などといったイメージを報じてのTPPを推進する主張が大半でした。

新自由主義者が主張するようなグローバリゼーションと生産性の向上、果てなき経済成長の先に諸国民の幸福があるというおめでたい価値観はいまや世界の多くの人がそのまま受け入れられるものでもありません。
それによく考えてみると守られた農業生産者やゼネコンの談合や医療業界などの国内の旧弊(そもそも悪いことなのか?文化とも言えないか?)を取り去るための方法がTPPなどの外圧しか手段ない国というのも情けないことです。
「黒船」が来ないと日本は動けない国なのでしょうか?。まず、政府がなすべきことは何より国民が自ら考え行動するために徹底した情報公開と選挙制度の改革です。
何を守り、何を開くかということを個別に選択していく必要があるでしょう。
それに行き先も旅の目的も決まらないままバスに乗ってしまったらどこに連れていかれるか分かりません。
TPPが「平成の開国」というのは、アメリカに恫喝されて開国された幕末、それから敗戦でのGHQ進駐に引き続いての、3回目のアメリカによる黒船(恫喝)による開国ということになるのでしょうか?。
TPPは「平成の売国」だとか「平成の壊国」などという声もあります。
TPPを批准すれば軍事力、経済力などなどの力関係から言ってあらゆる分野においてアメリカの制度やルール、システムをパッケージで受け入れることになるのは明白です。
しかもラチェット条項などで簡単に変更できないならば、もう日本政府や国会は要らないかもしれませんね。
アメリカの州の1つになったほうが、アメリカ議会にまだ代表を送り込めるだけマシかもしれません。
「アジアの成長を取り込め」というのもおかしな話しです。インドも中国もタイも参加していないTPPではアジアの市場と成長を取り込むことはできません。
TPPに参加することでフェアな競争ができるならまだいいのですが、どうやらそうでもなさそうです。
準備や覚悟のないまま開国したら強国に一方的に荒らされるということも世界は経験済みです。
安い農作物が輸入されれば短期的には消費者の利益になるかもしれませんが、さらなるデフレを引き起こし失業者が増えるとするなら生活者である国民の利益にはなりません。(そもそも消費者というのは生活者をバカにした言い方です。)
さらに今のアメリカは物品だけではなく保険や医療、金融商品、マスメディア、通信、法曹、知的財産・・・などのサービスを売りたいわけですから、自国企業に有利なように様々な規制緩和やルールの変更を求めてきます。
多国籍企業の市場算入で、ローカルなものが破壊され多機能な役割を果たして来た農村や、地域の小規模な商店、地域のつながり、医療や教育、国民会保険などの社会共通資本はTPPにより破壊されるでしょう。

必読!!→→→異様な「TPP開国論」歴史の連続性を見抜け(内橋克人氏講演会)


TPPとは何か?参加の是非ということについてはNHKの視点論点で賛成派、反対派の主張がよくまとまっています。TPPとは何ぞやという方、自分のスタンスを決めかねている方はまず双方の主張を読んでみてください。



賛成派の戸堂康之東大教授の言説が「3人寄れば文殊の知恵」「臥龍企業」が活躍できるなど、よくよく考えればTPPとは本質的に関係のないイメージに終始しているのに対し、反対派の中野剛志先生の言説はTPP参加はメリッドが全くなくデメリットばかりということを具体例をあげてバッサリ切っており説得力があるように感じました。

この中野先生は10月27日朝の「とくダネ!」でも大暴れしたようです。




話題の朝ズバ。TPP問題入門としてまだみていない人は是非みてください。テレビ局側がTPPのメリットの例をテレビの関税率が100%(実際5%)として計算したり、TPPの経済効果が2.7兆という政府試算が10年間の累積の値だということを明示していない(当然1年での値と思う)ことなどのことに対して、中野剛志准教授がブチ切れてみせているのが愉快です。


自由貿易、国際協調が世界の潮流であるということを認めても経済学者の野口悠紀雄氏が言うようにTPPは自由貿易からもむしろ逆行する流れで、力関係から言えばアメリカ中心のブロック経済をつくろうという枠組みです。
軍事的プレゼンス、安保カードをはじめとした恫喝によるアメリカンルールの押しつけです。
これはもうあらたな植民地形態、もはや自由主義の仮面をかぶった帝国主義だとおもいます。

日本がアメリカのシステムやルールを唯々諾々と受け入れるというのならTPPへの参加はもっとも手っ取り早い方法でしょう。
軍事力や核兵器といったカードもなく、経済カード、技術カードもかつての生彩を欠き、交渉ごとにも弱い日本が、TPPへの加盟で日本の市場や食料安保といったカードも譲り渡してしまうことになります。
最後に残るカードは「日本語」「日本文化」、そして「日本人」でしょうか・・・・。

しかしTPPも非関税障壁の名のもとこれらにも理不尽で一方的な注文をつけることができます。

TPPは露骨な内政干渉である「アメリカの日本に対する年次改革要望書」などこれまでの流れの延長線上ではあるのですが、TPPを批准してしまえば実質的にアメリカの属国、植民地としての地位を国際法的にもお墨付きを与えてしまうことになるでしょう。

TPPに参加し批准すれば世界は、「あぁ、日本は実質的にも形質的にもアメリカ型グローバリズムを選び、アメリカの属国になる道を選んだんだな」と思うでしょう。


中国は、ASEAN10カ国に中国、日本、韓国を加えた「ASEAN+3」を「東アジア共同体」に昇華させる構想を推進しようとしています。こういった動きを牽制し日本が中国やASEANなどのアジア各国と結びつこうとしているのをアメリカが阻止しようと言うのがTPPであるという見方もできます。

とはいえ従属主義的思考という意味では媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ ですが・・。

結局、中華帝国の辺縁国家として生きていくのか、アメリカ式グローバル帝国の狩り場となり、属国のパシリとして生きていくのか、それともそのどちらでもない独自の国家として世界の中で特異な存在感を発揮しながら存続していくのか?ということが問われているのだと思います。

私個人としては、同じ世界秩序をつくるなら日本は世界の中での独自の立ち位置を活かしながら、世界各国が参加できる新たな経済の枠組みやルールを国連やWTO、IMFなどでつくるようにすすめていくべきだと思います。

考えてみれば日本はいつの時代も文明論的に面白い立ち位置にいました。

太平洋に面したユーラシア大陸の端の島国であり海に守られていると言う地理的条件から他国に支配されたことはなく、逆に鎖国と海外への進出を繰り返してきました。
日本には世界中の文化が流れ込み、蓄積され、そこで様々な文化が成熟しました。

江戸時代は260年もの間、まぁ平和な時代が続き、人口も約3000万人で平衡状態に達し、首都の江戸は世界に類を見ない清潔で美しい100万都市でした。
身分制に縛られ、農村部はガチガチの村社会ではありましたが、町人文化は花開き、教育レベルも高くエコロジカルで持続可能で文化的に成熟した社会を謳歌していました。

しかし産業革命からはじまった人類史的「化石燃料まつり」の始まりが鎖国をつづけていくことを許しませんでした。

太平洋を越えて黒船に乗ったペルーがアメリカ大統領の親書をもって浦賀に来航しました。
恫喝された江戸幕府は日米和親条約ついで日米修好通商条約を結びました。
これは関税自主権がなく、アメリカに治外法権を認める不平等条約でした。

明治維新で政体が変わってもこの条約は継続されました。
明治の日本人はこの不平等条約の是正のために尽くしたといっても過言ではありません。
国としての形を守るため、大急ぎで西欧列強諸国にも認められるように体裁を整え、鹿鳴館で舞踏会を開き、爪に火をとぼしながら軍艦を買い大国ロシアと闘い日露戦争をかろうじて勝ちました。
その時点ではアングロサクソン諸国においても東方の利権の獲得競争においてロシアの防波堤として日本を焚き付けました。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代ですね。
いわゆる司馬史観では「明治までの日本人は立派だったが、その後劣化した」という考えですが、私はその後の日本人も全てが急にダメになったとは思いません・・・。

日本は欧米列強のアジア、アフリカで植民地獲得競争をおこなっていた帝国主義に最期に遅れて加わり、富国強兵政策をおしすすめ第一次世界対戦にも参戦しました。
近代兵器を使った闘いは凄惨で戦地となったヨーロッパ諸国を中心に戦争懲り懲りだというムードになりました。
その結果、国際連盟が成立し軍縮など国際協調の時代に移っていきましたが、欧米諸国によるアジアやアフリカの植民地支配は続けられたままでした。

産業革命により工業生産は増大し、実体経済と投機との解離、供給過多、資本主義の暴走、などからバブルがはじけ1929年に世界恐慌がはじまりました。
アメリカをはじめとして関税を引き上げ、植民地をもっている各国はブロック経済をつくり保護貿易をおこなうことで対応しました。
その結果経済は一気に縮小しました。

その結果、持てる国と持たざる国の対立が強まり、これが第二次世界大戦を引き起こす素因となりました。
ドイツや日本などの全体主義国家は産業統制をおこなうことで対応しましたがこれが全体主義政党や軍部の台頭を産みました。

東アジアの覇者を目指した日本は本格的に侵出しはじめていた満州国や中国から手を引けとおどされABCD包囲網などで日本に貿易制限をかけられ追いつめられました。
石油や鉱石などの輸入は止められ、地下資源に乏しい日本は苦境に立たされました。

ハルノートで最終通告をつきつけられ挑発にのって圧倒的な国力があり勝てるわけがないアメリカ合衆国をはじめとした連合軍相手に太平洋戦争をはじめました。
日本は「大東亜共栄圏」をスローガンにアジアの解放を訴え、アジア、太平洋の2方面の闘いをおしすすめました。
ちなみにこの戦争は当時の日本では「大東亜戦争」とよばれており、「太平洋戦争」というのは戦後GHQがつくり強制的に書き換えさせた呼称だそうです。

いまとなって冷静に考えると、日本にも一分の「理」、「義」はあったのではないかと思います。
そして、この時代と今の状況がなんだか似ているようにも感じます。

真珠湾への攻撃からはじまり日本軍は当初は優勢に闘いをすすめ戦線を拡大しましたが、圧倒的に国力に勝るアメリカを相手の戦争が続けられるわけはなくミッドウェーの海戦に敗戦したあたりから劣勢になり撤退戦に転じます。
日露戦争の時とは異なり指導者層の機能不全から政治的な決着に持ち込むことが出来ず戦局は泥沼化しました。

南洋諸島、ついでサイパンも陥落し、サイパンの飛行場から飛び立ったB29の編隊による空襲で内地の非戦闘員も無差別殺戮をうけることになります。日本各地の都市の木と紙でできた民家は焼夷弾で焼き払われました。
さらにソ連を通じて降伏の意思表示をしていたにも関わらず、8月には広島、ついで長崎に原子爆弾まで落とされ、沖縄では上陸戦がおこなわれ、1945年8月15日に敗戦しました。

こんなことまでされたのだから敗戦国の日本国民は、戦勝国アメリカに対して怒りや恨み、憎しみの感情をもっていても当然のはずです。

しかし、戦後になって日本人はそこには意外なほどこだわりませんでした。
これは反米感情をもたないように巧妙で徹底的な心理プログラム(War guilt information program)に基づいて情報統制、操作がおこなわれ、「あれは軍部の暴走で軍国主義者にだまされていた。」と思うように洗脳・教育されたからでもあります。
本当は国民が一人ひとりの問題として日本と言う国のあり方、先の戦争の総括をおこなうべきだったのでしょう。
しかしその後も米国の庇護に依存したまま戦後の朝鮮戦争の特需、高度経済成長の中追いつけ追い越せのイケイケムードの中で忘れ去られていきました。

そんな中でも学校給食は輸入小麦のパンを強要され、大豆の輸入を強要され、輸入飼料での畜産をすすめられるなど、農業文化、食文化すら変えられるような計画的な文化侵略を受けつづけてきました。
(私の世代でもコメ食の国なのに学校給食は何故か好きではないパンが多く、たまにある米食の日がうれしかったのを覚えています。)
沖縄をはじめ日本各地に米軍基地が残り、航空機の墜落やレイプ事件など悲惨な事件が起きています。

日本はアメリカと日米安保条約を結び米ソ冷戦時代には自由主義陣営の一員としてアメリカの最大の同盟国でした。
自動車や家電をはじめとする優秀な日本製品はアメリカ市場の巨大市場で多いに売れ、日本は経済成長をつづけたため、円高・ドル安政策により圧力はかけられつづけています。
その後のバブル経済、バブル崩壊を経て日本の安定成長は終わりを迎え長期にわたる不況、低成長時代に突入しました。

銀行や農協などに預けられた日本人の貯金は、「売ろうとすれば宣戦布告とみなす」と言われた一方通行の米国債にかわっていきました。
そのお金がハゲタカファンドとして日本に流れ込み土地や企業を荒らしていきます。
郵政民営化で今度は巨額の郵便貯金や簡保のお金が狙われています。

資本主義経済と言う巨大カジノの胴元になったアメリカ合衆国(の1%の支配層、多国籍企業)はまさにならず者です。


アメリカ合衆国という国は、イギリスから飛び出た人たちが東海岸に建国してから、伝統的に西へ西へとフロンティアを求めてひたすら侵略して来た国です。これはもう習い性のようなもので、アメリカ・インディアンを制圧し西海岸に達してからはハワイ王国を侵略、日本を開国させ、占領。ベトナムには枯れ葉剤をまき、そして昨今はイラク・アフガニスタンと西へ西へすすんでの侵略は今も続いています。

共産化を防止、大量破壊兵器を保持、テロ支援国家などもっともらしい理由をつけてはいますが、よくよく考えればたいした「義」はなく、他国の文化や政治体制に強引な横やりを入れ続け、自国のスタンダードを押しつけ自分に有利なルールでビジネスをするという点ではみごとなほど一貫しています。
そもそも文化も政治体制も違う国をアメリカンスタンダードに沿わないからと言って「ならず者国家」と指名して強引なことをやればどうなるか分かりそうなものです。
911のテロなどは自分達と違う価値観をもつイスラム文化圏に対してそうしたごり押しをつづけた結果の反動とも思えます。(太平洋戦争開戦時と同様の構造が見えます。)

こんなことをしなければ世界が、経済がまわらないのなら、そのやり方がおかしいのだと思います。
私はTPPに参加することで日本までこんな下品でChildishなアメリカ型グローバリズム陣営の一員とみられるのが嫌なのす。

かつてのアメリカンドリームはどこへやら、これまでは先進国と途上国の格差(いわゆる南北問題)だったのが、グローバル化で国内でも格差がますます広がり、気付いてみれば医療などの社会保障は乏しく、貧困化がすすみ自国民の多くはおちおち病気にもかかれません。
マイケルムーア監督の映画「華氏911」や「シッコ」が上映されるなどアメリカ国内でもこのおかしさに気付いている人たちは増えています。
2011年10月17日にはウォール街でも反格差デモがおこなわれました。

人類史的に概観してみると、今の時代は、地球上に何億年もかけて降り注いだ過去の太陽エネルギーを使い、また地球の環境を破壊しながら科学技術、文明、文化を急速に発展させることができたという「化石燃料(特に石油)祭り」の最終段階にいます。(武田邦彦先生の言説によります。)

このお祭りが終わりつつある現在、人類はどういう生き方を選んでゆけばいいのでしょうか。

日本は人口減少に転じました。
今後、日本が緩やかに衰退し、国内で化石燃料を使わずに食料生産が自給可能レベル、すなわち江戸時代と同じ3000万~4000万人近くまで人口が減らし国内で化石燃料などのエネルギーを使わずとも自給自足できるようになれば再び鎖国という選択肢もありえるでしょうか?
いや今の時代に他国と交流をもたず、閉じたシステムとして生きのこっていこうとしても、人口が70億人をこえ様々な国際的な課題がおこってくる地球上での孤立主義は許されないでしょう。(特に環境問題。地球温暖化や近隣諸国の環境汚染の影響は受けざるをえません。)

日本の活路は教育に力を入れ、人材立国、技術立国を目指すことだとおもいます。(かつてのデンマルクのように)
そして内橋克人氏の言うFEC(フェク、Food Emergy Care、食料、エネルギー、ケア)の地域圏内自給をあらためて目指すという流れを押し進めましょう。地に足の着いた「農村的なもの」を守り、新たな形で復活させましょう。
イタリアではじまったスローフードのムーブメント、CSA(Community Supported Agriculture)などの動きも出て来ています。
電子タグを利用したトレーサビリティなどと言う前に、地産地消で自分たちの手と目の届く範囲で作られた食料を食しましょう。
TPPのかかげる「世界中をひとつの経済圏へ統合し、最適な場所で、最も効率的な生産を行う能力をもった生産者が生産したものが、世界中で自由に流通すれば、世界中の人達が幸福になれる」という理想は大量輸送にかかるエネルギーが安価に手に入るという前提に基づいています。
これはおそらくは持続可能ではありません。

地球の裏側で作った農産物が、輸送コストをかけても近郊でつくった農産物よりも安いのは、もちろん生産適地や大規模農業ということもあるでしょうがエネルギーを投じた安価な輸送手段があるから、また輸入元の産地の環境破壊や安価な労働力に依っていることもありえるでしょう。プランテーションやモノカルチャー経済の弊害は嫌というほどみてきました。環境破壊や公害輸出などがコストに適性に反映されるのでしょうか?真の意味でのフェアトレードがなされるのでなければ安い賃金で働かされ環境を破壊される輸出国も、職や自給を奪われる輸入国もお互い幸せにはなれませんね。

エネルギーを投じた農業、貿易が持続可能かという点に関しては、石油や石炭などの化石燃料は有限であり、原子力もまだまだ安全に使える成熟した技術ではないことが福島の原発事故でも露呈しました。

グローバリストのいうグローバリゼーションとは逆行する方向かもしれませんが、人や物の移動を少なくすれば、使うエネルギーは格段に少なくてすむようになるでしょう。
莫大なエネルギーを投じA地点からB地点に物理的に可能な限り早くリアルなものや人を移動するということにどれほどの価値があるのでしょうか?

やはり可能な限り地産地消を原則とするのが自然だと思うのです。

今やエネルギーを投じて移動させるのはもはや情報だけで良いのではないかと思います。
インターネットをはじめとした情報技術は新たな言論空間を生み出し国や政治の在り方を大きくかえます。

国民のいのちと健康、生活を守る。これこそが国家の仕事の第一義です。
国民から信託をうけた政権与党の民主党は日本国民のために仕事をしていますか?(「「日本列島は日本人だけのものじゃない !」という鳩山元首相の発言、尖閣諸島中国漁船衝突事件のビデオのネット流出について「事実関係を調査し、中国に説明申し上げる。」仙谷由人官房長官もありましたが。)

前原誠司外相は昨年「国内総生産(GDP)構成比1.5%の農漁業を守るために、 残り98.5%を犠牲にすべきではない。」との認識を示しました。
弱者を切り捨てる発想であり多様な農村の機能の一側面しかみていない大バカものです。

スマートフォンや自動車、飛行機がなくても生きては行けますが、安全な水や食料、ケアがなければ生きていけません。
世界恐慌になってもFECが地域に残されていれば、なんとか生きていけます。
林業が輸入木材により衰退した結果、山林は荒廃し洪水などを引き起こすようになりました。様々な機能をもつ農村をこれ以上荒廃させてはなりません。
こういった直接我々の命や安全に関わるものまで世界市場にいわれるまま明け渡すものではないと思います。

このような文脈ではイタリアのスローフード運動、それからキューバという国が注目されています。
キューバは米ソの冷戦前後の動きの中で最初は仕方なくですが、自然エネルギーの利用、都市農業、地域医療の推進など低エネルギーでGNH(Gross National Hapiness)の高いエコ社会、弱者にも優しい社会を作っていました。

こうなってくるともはや生き方の問題になってきますが、大量生産大量消費のグローバリズムを越えた新たな経済モデルを日本から発信し、TPPなどというケチな枠組みに縛られることなく国際社会に堂々と提案していけばいいのではないかと思います。

アラブ世界の放送局であるアルジャジーラのように日本から世界へ発信するメディアをつくるというのもよいのではないでしょうか?(Japan for Sustainabilityなどもそういう雰囲気ですね。)

国際条約への批准というのは憲法を除く日本の全ての法律の上位に位置します。
憲法とどちらが優位かというのには諸説あるようですが、日本国内のあらゆる法律は条約に沿うように変えていかなければ行けません。

何故、全ての国内法の上位に位置する国際条約、しかも生活や国の在り方に大きく関わる条約への参加の是非や内容、国のスタンスがろくに国内でも国会でも議論されないまま交渉へ参加という話しになるのでしょうか?
議論を尽くされた上でアメリカの属国でしかたない、あるいは中華帝国の辺縁で生きていこうというのならいいのです。
しかし十分な情報やシミュレーションも公表されずマスコミからは偏った報道しかなされず、議会でも議論されず、選挙のテーマにもならないままなし崩し的にこういった大切なことがすすんでいってしまうというとすれば恐ろしい国です。
これでは「民衆は知らしむべからず、依らしむべし」、というスタンスの江戸幕府や、大政翼賛のムードの中ウソの戦傷報道の大本営発表ばかりをしていた第二次世界大戦中と変わりません。
もはや民主主義国家の体をなしていませんね。


民主主義って何なのでしょうか?
政治って何なのでしょうか?
国って何なのでしょうか?


日本国民は馬鹿ではありません。いや馬鹿ではいけません。

国づくり、政治への参加の方法は選挙だけではありません。
日々、働くことも、地域づくりに参加することも、デモへ参加することも、議論し発信することも、日々の購買行動などの生活全てがこの国を、社会をどう成り立たせるかということにかかわってきます。
今こそ日本国民一人ひとりが独立し、きちんと学びリテラシーを身につけ、情報の真偽を判断し自分の頭で考え、それぞれの得意な方法で仕事、社会貢献、生産、消費、政治に参加することが本当に大切です。
その先にはじめて国家としての自立があるのだと思います。


参考文献)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
福沢諭吉
筑摩書房


もうひとつの日本は可能だ (文春文庫)
内橋克人
文藝春秋


怯えの時代 (新潮選書)
内山節
新潮社


洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて
苫米地英人
ビジネス社


江戸・キューバに学ぶ“真”の持続型社会 (B&Tブックス)
日刊工業新聞社

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2 コメント

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すばらしい! (やぶい)
2011-11-02 15:59:40
読ませていただきました。
「すばらしい考察」のひと言です。
機会があれば、一度お話したいですね。
返信する
ありがとうございます。 (といぴ)
2011-11-02 22:43:40
これまでのいろんな考えがつながりました。
ぜひぜひ。改めて福沢諭吉氏とかはいいこと言ってますね。
何故、日本で一番人気のあるプロマイドになっているのかを皆考えるべきです。
返信する

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