最近ネットを見ていますと、西鋭夫なるヤツが書いたという「明治維新の隠された真実」とか、「坂本龍馬に資金を出した黒幕の正体」とか、そんなアホくさい作品を買え!という広告がボンボコ出てきます。
いちおうちょっと気になって、同人とその著書に関するネットの反応を見ますと「目新しい話など何もない」「歴史をちょっとかじった人なら誰でも知っている話をもったいぶって話しているだけ」という評判ばかりであり、歴史を語る資格がないドシロウトであることが分かります。いわゆる歴史好きな情報弱者をターゲットにした詐欺商売ですな。
これに関連し、「明治維新の隠された真実」という系列のしょうもない本を書き、同じく情報弱者を相手に儲けているのは、以前弊ブログでも紹介した、原田伊織(昭和21~ 残念ながら存命)とかいう老害ジジイ。
コイツは「明治維新という過ち」「大西郷という過ち」「官賊と幕臣たち」などという、「薩長憎し!水戸憎し!」という正体不明の怨念を燃やし、ロクな下調べもしていない妄想丸出しの自称「サムライ・エッセー」なるトンデモ本を書き続けている、まあ、はっきり言いまして、司馬遼太郎にあこがれる一種の狂人。内容はいずれも、いかがわしい超常現象大好きな人だけが購読する「月刊ムー」掲載レベルです。
(なお私は基本、他人の氏名には「様」「さん」をつけて呼称するよう気を付けていますが、この原田伊織に関しては、呼び捨てもしくは「老害」「ジジイ」の呼称で充分な人物なので、以後そのように呼称します。)
この原田というジジイは自称歴史家ですが、その著作に対する姿勢は単なるカルト作家であり、決して歴史家のものではありません。
このジジイは歴史ものを書くにあたっての所信を「明治維新という過ち」においてこう書いています。
「近年は誰もが一次資料だ、二次資料だと騒ぎ立て、一次資料というだけで信じ込む単純さが幅を利かせている」
…あのね、おじいちゃん、「歴史の本を書く」ということ、しかもただの小説じゃなくて、史実を掘り起こして書くという行為をするのなら、当時書かれた資料をきちんとあたるのは当たり前なんだよ。それが史学というものなんだよ。「単純さが幅を利かせる」とかそういうレベルの話じゃなく、ごく当たり前の話なんだよ?わかる?おじいちゃんはたしか彦根東高校とかいう、滋賀県の名門高校(なんでも、毎年国立大学に100人以上の合格者を出している名門だそうです。なお、原田伊織は大阪外語大卒。あっ…(察し))の出身なのをやたらと吹聴しているのに、そんなことも知らないの?ほかの賢い彦根東OBが見たら泣くよ?
江戸末期から明治初年にかけての時期においては、当時の人が書き残した史料が本当にたくさん残っており、きちんと当たろうと思えばすぐにできるはずです。
しかしこのジジイが、自作において使用した参考文献68冊のうち、35点が小説家の手によるもの(ブログ「群龍天に在り」調べ)で、当時書かれた一次資料がほとんど使われていません。
しかも「参考文献」として、国賊作家司馬ポニョ太郎の「街道をゆく」を山のように使っており…もう、バカとしかいいようがありません。
なお、これら一連の原田作品の問題点については、「群龍天に在り」という非常に秀逸な歴史考察ブログがあり、そちらで大変丁寧にまとめられておりますので、ぜひご参考とされてください。
URLはこちら→http://touryuuuan.blog.jp/archives/1064198255.html
このほかこのジジイは、同著においてこう続けています。
「歴史を皮膚感覚で理解するということは、その場の空気を感じ取ることだ」
「資料や伝聞は、その手助けに過ぎない」
…おお、おじいちゃんは資料がなくても、その場所に立ったら歴史が理解できるんですね?すごいですね!おじいちゃんはエスパー伊東だったんですね!
…これはもう、「カルト」のレッテル貼りをしても十分でしょう。
私は原田ジジイの本は、前任地の図書館で読んだだけ(目と頭が汚れるので、その後読んでいないです('◇')ゞ)であり、その後のエゴサーチはネットで行っただけなのですが、まあ、これら一連の原田作品をざざっと調べれば、「明治維新じゃなくて、著者の存在自体が過ちだよ!」というツッコミが生まれること請け合いです。
なおこの原田なるジジイは著作において、大学時代に学生運動をしていたことを自慢していました。
私は「学生運動をしていたジジイはクズ、それを吹聴したり自慢したりするヤツはもっとクズ」との固い信念を持っていますが…やはり、人間のクズでした。
明治維新は我が国開闢以来の大変革の時代であり、その時代を駆け抜けた人の業績は、ある一面からだけでは評価しにくく、今もって正確な業績評価ができていない状態が続いていると仄聞します。
だからこそ、「薩長は殺人鬼でテロリスト」みたいなうがった見方をするアホウが昔から絶えないわけですが、明治維新についてほぼ間違いない事項として言えることは「いろいろあったが、日本人が残る英知を結集して国難を乗り切った。対して江戸幕府は当時、既に当事者能力を喪失していた」ということ。
少しでもスキを見せれば列強が即座に付け入ってきて植民地にされる、という剣呑な時期を乗り切った先人を捕まえて、自らは傷つくことのない後世から、ゲスの浅知恵で「テロリストだ、人殺しだ」などというのは、愚かとしかいいようがありません。活字にして世に問うていいことでは、決してありません。
いちおうちょっと気になって、同人とその著書に関するネットの反応を見ますと「目新しい話など何もない」「歴史をちょっとかじった人なら誰でも知っている話をもったいぶって話しているだけ」という評判ばかりであり、歴史を語る資格がないドシロウトであることが分かります。いわゆる歴史好きな情報弱者をターゲットにした詐欺商売ですな。
これに関連し、「明治維新の隠された真実」という系列のしょうもない本を書き、同じく情報弱者を相手に儲けているのは、以前弊ブログでも紹介した、原田伊織(昭和21~ 残念ながら存命)とかいう老害ジジイ。
コイツは「明治維新という過ち」「大西郷という過ち」「官賊と幕臣たち」などという、「薩長憎し!水戸憎し!」という正体不明の怨念を燃やし、ロクな下調べもしていない妄想丸出しの自称「サムライ・エッセー」なるトンデモ本を書き続けている、まあ、はっきり言いまして、司馬遼太郎にあこがれる一種の狂人。内容はいずれも、いかがわしい超常現象大好きな人だけが購読する「月刊ムー」掲載レベルです。
(なお私は基本、他人の氏名には「様」「さん」をつけて呼称するよう気を付けていますが、この原田伊織に関しては、呼び捨てもしくは「老害」「ジジイ」の呼称で充分な人物なので、以後そのように呼称します。)
この原田というジジイは自称歴史家ですが、その著作に対する姿勢は単なるカルト作家であり、決して歴史家のものではありません。
このジジイは歴史ものを書くにあたっての所信を「明治維新という過ち」においてこう書いています。
「近年は誰もが一次資料だ、二次資料だと騒ぎ立て、一次資料というだけで信じ込む単純さが幅を利かせている」
…あのね、おじいちゃん、「歴史の本を書く」ということ、しかもただの小説じゃなくて、史実を掘り起こして書くという行為をするのなら、当時書かれた資料をきちんとあたるのは当たり前なんだよ。それが史学というものなんだよ。「単純さが幅を利かせる」とかそういうレベルの話じゃなく、ごく当たり前の話なんだよ?わかる?おじいちゃんはたしか彦根東高校とかいう、滋賀県の名門高校(なんでも、毎年国立大学に100人以上の合格者を出している名門だそうです。なお、原田伊織は大阪外語大卒。あっ…(察し))の出身なのをやたらと吹聴しているのに、そんなことも知らないの?ほかの賢い彦根東OBが見たら泣くよ?
江戸末期から明治初年にかけての時期においては、当時の人が書き残した史料が本当にたくさん残っており、きちんと当たろうと思えばすぐにできるはずです。
しかしこのジジイが、自作において使用した参考文献68冊のうち、35点が小説家の手によるもの(ブログ「群龍天に在り」調べ)で、当時書かれた一次資料がほとんど使われていません。
しかも「参考文献」として、国賊作家司馬ポニョ太郎の「街道をゆく」を山のように使っており…もう、バカとしかいいようがありません。
なお、これら一連の原田作品の問題点については、「群龍天に在り」という非常に秀逸な歴史考察ブログがあり、そちらで大変丁寧にまとめられておりますので、ぜひご参考とされてください。
URLはこちら→http://touryuuuan.blog.jp/archives/1064198255.html
このほかこのジジイは、同著においてこう続けています。
「歴史を皮膚感覚で理解するということは、その場の空気を感じ取ることだ」
「資料や伝聞は、その手助けに過ぎない」
…おお、おじいちゃんは資料がなくても、その場所に立ったら歴史が理解できるんですね?すごいですね!おじいちゃんはエスパー伊東だったんですね!
…これはもう、「カルト」のレッテル貼りをしても十分でしょう。
私は原田ジジイの本は、前任地の図書館で読んだだけ(目と頭が汚れるので、その後読んでいないです('◇')ゞ)であり、その後のエゴサーチはネットで行っただけなのですが、まあ、これら一連の原田作品をざざっと調べれば、「明治維新じゃなくて、著者の存在自体が過ちだよ!」というツッコミが生まれること請け合いです。
なおこの原田なるジジイは著作において、大学時代に学生運動をしていたことを自慢していました。
私は「学生運動をしていたジジイはクズ、それを吹聴したり自慢したりするヤツはもっとクズ」との固い信念を持っていますが…やはり、人間のクズでした。
明治維新は我が国開闢以来の大変革の時代であり、その時代を駆け抜けた人の業績は、ある一面からだけでは評価しにくく、今もって正確な業績評価ができていない状態が続いていると仄聞します。
だからこそ、「薩長は殺人鬼でテロリスト」みたいなうがった見方をするアホウが昔から絶えないわけですが、明治維新についてほぼ間違いない事項として言えることは「いろいろあったが、日本人が残る英知を結集して国難を乗り切った。対して江戸幕府は当時、既に当事者能力を喪失していた」ということ。
少しでもスキを見せれば列強が即座に付け入ってきて植民地にされる、という剣呑な時期を乗り切った先人を捕まえて、自らは傷つくことのない後世から、ゲスの浅知恵で「テロリストだ、人殺しだ」などというのは、愚かとしかいいようがありません。活字にして世に問うていいことでは、決してありません。
老骨武道オヤジさまがおっしゃられるように、既成事実を別の角度からイチャモンをつけてけなす馬鹿というのはなかなか減らないもので、本当に困ったものです。
また、「学生運動をしていたヤツはクズ」というくだりですが、これは、決して老骨武道オヤジさまの過去をけなす意味で書いたわけではなく、かつて日本の国体を暴力で転覆しようとした動きがあったということに対する憤慨の意を込めておるだけでございます。まあ、今現在も学生運動に参加したことを吹聴しているヤツは本当に死んでいいのですが…。
これからもよろしくお願い申し上げます。