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時の関守

この世という未知なる世界 (4)

私もいつかは、
神と出会い、
自分の使命をはたしたいと、思っておりました。
ところが、
ふと気づくと、
還暦(かんれき)をすぎ、今までしてきたことも無となり、
むなしさだけが残りました。

私は今まで、いったいなにをしていたのだろうか…。

「なにを言っているのですか。
あなたは確かに、臆病(おくびょう)で、
あと一歩も二歩も、
踏み出す勇気に欠けていました。
他人(ひと)の言動(げんどう)ばかり気にして、
あなたの中の、
ほんとうの自分を、生かすことをしていません。
でも、今それを悔やんでいるなら、
今からそうしなさい。
あなたには、
そうできるだけの健康なからだを与えています。
年齢は関係ありません。」

これは、わたしの中の心の声なのだろうか…。

若いとき私は、
どんな病気でも、意識の戻らない病人でも、
信仰の力で治す、そんなヒーラーになりたいと願って、
神に祈りました。

すると、誰かがこたえました。
「お前には無理だ。」と。

今、その意味がわかった気がします。
たしかに、そんな天の能力を授かるだけの、
責任と忍耐にかけていました。
どんな犠牲をはらってもよいという覚悟もありませんでした。

「だったら、よいのではないか。
お前は、そんな能力よりも、
一人の人間としての、
ささやかな幸せを優先したのではないのか。
そのことが悪いわけでもない。
それでも、
お前には、
お前にあたえられたものが、
あるのではないか?
今、お前の目の前にあるものを見なさい。」

そう、誰かが答えていました。


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