現代科学が描いている、ビックバンからはじまる宇宙。
その最初の奇跡よのような爆発について少し考えてみます。
※ビッグバン┄150億年まえ、この宇宙のはじまりに起こった大爆発。
例えば、いまこの瞬間に、なにもない空間で爆発が起こったとします。
必ずなんらかの原因があるはずだと、誰もが思うでしょうね。
しかし、なんら思い当たる原因が見あたらないのに、爆発が起きたとき、
人は「まるで、きつねにつつまれたようだ。」と、表現するかもしれません。
誰かが、「霊のしわざにちがいない。」と言うかもしれませんね。
でも、そこにとても頭のよい人がいて、その原因をつきとめたとします。
(ガリレオの福山さんみたいに。)
きっと、福山さんはこうも言う
でしょう。
「この世に奇跡などない。すべてのことは科学で説明できる。」と。
私もそう思います。
ただ、この言葉には大きなまちがいがあります。
科学者はその原理を究明して、そのことの説明をしたことによって、
創造者になったかのような錯覚におちいっていますが、
何も創造していません。
たしかに、原理を追及することにより、ある程度は再現、再構築はできるかもしれませんが、
創造ではありません。
おもちゃのブロックがあれば、無限大にさまざまなものを作ることはできますが、
ブロックそのものは造れないのであれば、本当につくったといえるでしょうか。
本当に創造したといえるのは、ブロックを考案し、ブロック自体を作製した人でしょう?
ブロックで遊んでいる人が、「すごいものができた。」、えらいでしょうと言ったとします。
そんなことを言っても、おおめにみてもらえるのは、子供だけでしょう。
現在、生命科学は、
クローン羊やクローン人間のように、一見生命を誕生させているようにみせていますが、
さきほどのブロックと同じで、ブロックそのものである、
生命の原材料を造ることはできません。
遺伝子一つ造ることはできません。
原子爆弾はつくれても、原子そのものをつくっているわけではありません。
話をもどしましょう。
爆発にもかならず原因があるように、ビックバンにも原因というものがあるはずです。
ビックバンによりこの宇宙ができたのですから、
ビックバン以前には、この宇宙も物質も、何も存在しません。
何も存在していないのであれば、なぜビックバンは起こったのでしょうか?
そのことについての、
納得できる科学的知見(ちけん)を私は知りません。
ただ、科学者が何もないと言っている無のようなもののなかに、無とは似てもにつかない、想像を絶する可能性のようなものがあるのでしょう。
なにしろ、その無というものから、私たちのこの宇宙が生まれたのですから…。
科学というものが、物質(もの)以外の存在を否定することの、その矛盾がわかるでしょうか?