霊的存在から知識を得るといった霊感もありません。
そこで、天理教にある創世神話をテキストにして、
それを(私なりの解釈になりますが、)考えてみたいと思います。
天理教の神様の言葉に、次のような言葉があります。
とても不思議な言葉です。
「今がこの世のはじまりと、言うてあれども何のことやら」
神は「今(この瞬間)がこの世のはじまりなんですよ」
と言っているのだけれど、
それを聞いた人間にとって、
「いったい神はなにを言っているのだろうか」と、
疑問に思うばかりであろう。
このような意味です。
このことは、一義的には、はっきりとした意味があります。
ありますが、
皆さんには興味のない話しだと思いますので、ここでは書きません。
私はこの言葉を、そうではなく、もっと広く解釈していきたいと思っております。
私たちはこの世に生まれ、さまざまな人生経験を経るなかで、
たしかに、
時間というものがあって、時間を元にもどすことは経験上、不可能であることを知っています。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
私たちは、その時間を直接、
見たこともさわったこともありません。
ですから、「本当に時間というものは、あるのですか?」
と聞かれたら、
答えられる人はなかなかいないと思います。
アインシュタインは、
時間というものが、伸び縮みするものであることを証明してくれました。
過去に戻れることも。
それが理論上では可能であることも。
過去に戻ることが、理論上可能と言われても…。
それでしたら、
「時間は実は幻想なのですよ。」と言われたほうが、まだましかもしれませんね。
時間は幻想で、永遠の今という瞬間があるだけなのだ、
と言われても、すぐに反論できる人がどれだけいるでしょうか。
もし、過去も未来もない
(過去も未来も、今というこの瞬間に存在している、
人間は、
人生という自分の映画を、
楽しんでいるだけなのかもしれない。
そうであれば、巻き戻しも先送りも、本当は可能なのかもしれない。)、
永遠の今しかないのだ、
というほうが真実にちかいものであるとしたら、
この世はじまりも、今という瞬間も、等しく同じ時を共有していることになります。