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時の関守

この世のはじまり (2)

もちろん私に、この世のはじまりについて書くだけの、知識も能力もありません。
霊的存在から知識を得るといった霊感もありません。
そこで、天理教にある創世神話をテキストにして、
それを(私なりの解釈になりますが、)考えてみたいと思います。

天理教の神様の言葉に、次のような言葉があります。
とても不思議な言葉です。

「今がこの世のはじまりと、言うてあれども何のことやら」

神は「今(この瞬間)がこの世のはじまりなんですよ」
と言っているのだけれど、
それを聞いた人間にとって、
「いったい神はなにを言っているのだろうか」と、
疑問に思うばかりであろう。
このような意味です。

このことは、一義的には、はっきりとした意味があります。
ありますが、
皆さんには興味のない話しだと思いますので、ここでは書きません。

私はこの言葉を、そうではなく、もっと広く解釈していきたいと思っております。

私たちはこの世に生まれ、さまざまな人生経験を経るなかで、
たしかに、
時間というものがあって、時間を元にもどすことは経験上、不可能であることを知っています。
しかし、本当にそうなのでしょうか?

私たちは、その時間を直接、
見たこともさわったこともありません。
ですから、「本当に時間というものは、あるのですか?」
と聞かれたら、
答えられる人はなかなかいないと思います。
アインシュタインは、
時間というものが、伸び縮みするものであることを証明してくれました。
過去に戻れることも。
それが理論上では可能であることも。

過去に戻ることが、理論上可能と言われても…。
それでしたら、
「時間は実は幻想なのですよ。」と言われたほうが、まだましかもしれませんね。
時間は幻想で、永遠の今という瞬間があるだけなのだ、
と言われても、すぐに反論できる人がどれだけいるでしょうか。

もし、過去も未来もない
(過去も未来も、今というこの瞬間に存在している、
人間は、
人生という自分の映画を、
楽しんでいるだけなのかもしれない。
そうであれば、巻き戻しも先送りも、本当は可能なのかもしれない。)、
永遠の今しかないのだ、
というほうが真実にちかいものであるとしたら、
この世はじまりも、今という瞬間も、等しく同じ時を共有していることになります。




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