キャロライン・メイスの言葉に、もうすこしのあいだ耳を傾けたいと思います。
彼女は直感をたよりに、病気の霊的診断を続けていくのですが、あるときその行為に、決定的な影響を及ぼす出来事に遭遇(そうぐう)します。
ある末期がんの女性との出会いです。
その女性は次のように言います。
「深刻なガンがあるのはわかっているの。でも、なぜこうなったか教えてくれないかしら」
キャロラインはその横柄(おうへい)な態度に一瞬、怒りを覚えますが…
そして、「そんなこと私にわかるもんですか」
と言いかけたまさにその時、突然ある声が、彼女(キャロライン)に代わって話し出すのです。
そのとき、彼女はそこにいて、とても小さな傍観者(ぼうかんしゃ)となります。
そして、その(あたかも神のような)存在は、(末期ガンの)彼女の人生の詳細を語りだすのです。
それも文字通りあらゆる詳細を語りだします。
とるに足りない会話。
彼女にとって多少でも意味のあった人間関係すべて。
それは私たちの人生のあらゆる瞬間。
その瞬間にされていた知的、感情的、創造的、肉体的行為、あるいは休息さえ、すべてが知られ、記録されているということ。
それは、私たちが思うこと、感じることのすべてがプラスとマイナスの力の源となり、そのすべてについて私たちはきちんと説明する責任があるということを意味しています。
その荘厳なできごとに、キャロラインはそのとき、ただ祈ることしかできなかったのだと告白しています。
その驚くべき出来事が終わったとき、(末期がんの)彼女は一言だけ、
「どうもありがとう。これで私は何でも受け入れることができます。」と言います。
そして、
「死ぬのだってもうこわくありません。もうだいじょうぶです。」そう言って彼女は帰っていくのです。