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時の関守

神の存在証明 (3)

所要で車を運転していました。
運転するとき、私はよくラジオを聞くのですが、加藤登紀子さんが被災地(能登半島)を訪れるという生放送をしていました。
そこで偶然私の耳に入ってきた、二つの言葉が心に残りました。

加藤登紀子さんの終戦後の経験から、
「生きることを発見する。」
と、言っていた言葉が、すっと私の頭に入ってきました。
終戦後の混乱のなか、自分のちから、生きる力を信じで生き抜く。
災害に会って、さまざまなインフラ、住む場所を失ったとき、生きることの原点に立ち戻る。
全てを失って、茫然自失(ぼうぜんじしつ)しつつも、でも、生きて、食事して、生活しなければならない。
それは、(不幸であるのはまちがいないのですが)生きることとは本当はどういうことなのか、再発見することなのかもしれません。

それと、ボランティアの学生さんが、こんなことを言っていました。
「ここではどんな人も、役に立っている。役に立つことが必ずある。」
生きるということの意味を、こんなにもシンプルに、簡単な言葉で言われている気がして心に残りました。

不幸、困難、生きる気力を失なうような出来事、突然の災難。
もちろん、そんなことは起きてほしくないのですが、そうなったとき、人間はどんな行動を起こすのでしょうか?
そんなとき、意外なことに、不思議と力がわいてくることはありませんか?
私はさまざまな人生経験のなかで、心がエイっと切り替わったことが何度かあります。
それまで、守りになっていた心が、どうしようもなく守りきれないことがわかって、攻めに転じるような経験がよくありました。

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